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男の住む家はどこかじめじめしていた。
引っ越しに際する知識の乏しいまま、安さにつられて北向きの部屋を選んだせいかもしれない。
或いは、窓のすぐ向かいにそびえ立つマンションのせいかも。
だからだろうか、この部屋で小さな黒い蜥蜴の姿を見た時も、驚きはしたもののどこか納得してしまった。
蜥蜴は真っ黒というより少しすすけたような、埃っぽい色味をしている。
勿論きちんと面倒を見るつもりはない。
だだ、追い出すほどの理由も無いなと、男は思った。
思ってから数日。今ではたまに聞こえる、蜥蜴のさりさりと床を這う音にもすっかり慣れた。なんなら自分以外の生物の気配を感じるのが頼もしいくらいだ。
無言を共有する心地よさとでもいうのだろうか。
部屋の中で蜥蜴に野垂れ死にされても寝覚めが悪いので、二つの小皿に水と、ハムをちぎったものを部屋の片隅に置いている。だが皿の中身が減っている様子はない。
トカゲは主に虫を食すらしいから、これではエサとして不適なのかもしれない。
やせ細っている様子は無いので、この部屋のどこかから抜け出し、外でエサの調達でもしているのだろうか。
そんな暮らしが続いたある日、男は休日に付き合っている彼女を呼んだ。
ちらりと蜥蜴の存在が頭をよぎったが、幸いにも彼女は動物全般が好きと以前言っていた。万が一鉢合わせてもさほど大事にはならないだろう。
久々に予定が合った恋人との逢瀬に心が浮き足立つ。
ぼどなくして鳴ったチャイムの音に、男は立ち上がって彼女を出迎えた。
「お邪魔しまーす。言われてた食材買ってきたよ」
「ありがと、野菜放置してたら全滅しててさ。重かっただろ?悪いな」
いつものように役割を分けつつキッチンに立ち、男は下拵えをし彼女が味付けを決めていく。
出来上がった食事でお腹を満たしテレビを見ながら、たらたらととりとめの無い会話を続ける。
眠気と甘さが入り交じったような空気が互いに流れる。目が合うと心得たようにどちらともなく唇を重ねた。
数度の口づけが徐々に深くなっていき、荒い息のまま寝室へと縺れ込んだ。
そうなるともはや、男の頭に蜥蜴のことなど露程もない。
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