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 学童にやって来る子供たちが背負っているのが、思い思いのリュックサックではなく、ランドセルに変わった。  このうだる残暑では、とても夏が終わったという感覚にはなれないが、でも確実に、季節は流れ行きつつあるのだと半強制的に気付かされる。  俺がこの仕事の過酷さに順応したところで、学童を朝から開ける必要はなくなり、俺たち職員の出勤時間も後ろ倒しになった。 「星野先生、よりにもよって1年でいちばんの繁忙期に入ってくださって、ありがとうございました。そして本当にお疲れ様でした。これからは、少しゆとりのある毎日になりますからね」 昼下がり、掃除なんかをしながら子供たちが来るのを待ちつつ、ミキ先生が深々と頭を下げてくる。 「いやそんな、至らないところしか自分にはなくて、人手が必要なタイミングの頭数にしかなってなかったですよ……ハハ……」 「とんでもない! 星野先生が来たこと、子供たち――特に女の子たちですけど、すっごく喜んでるんだから。子供に受け入れられる、好かれるって、この仕事で何より大事な素質ですよ?」 「そうそう。毎日朝が早かった時期は、なかなかそういうわけにもいきませんでしたけど、そろそろ飲み会しましょうよ! 星野先生の歓迎会も、ちゃんとできてないし」 話に入ってきた福ピー先生の提案に、俺は「あー……」と曖昧な反応をする。 「飲み会はその……曜日によるというか……」 福ピー先生は一瞬怪訝そうな顔をした後、すぐに「なるほどなるほど」と手でガッテン、のポーズを作った。 「あれですか? ヒナ先生のピアノのお稽古」 あれ、その話この人にしたっけ、と思ったが、昔から付き合いのある学童保育とピアノ教室、ある程度はいろんなことが筒抜けになっていてもおかしくはない。たとえばサホとか、ここの児童に伝わっていたなら、福ピー先生に話していても不思議はない。  まあヒナ先生もさすがに、子供相手に変なことまではバラしてないと思うけど…… 「えぇーっ、星野先生、ヒナ先生にピアノ習ってるんですか⁉」 素っ頓狂な声を上げたのはミキ先生だ。 「いや、まあ、なんというかその……成り行きで……」 「え~~何それ絵面が目の保養過ぎるんですけどっ!」 「え」 「ほら、星野先生とはタイプが違いますけど、ヒナ先生もかなーーり、お顔がお綺麗じゃないですかぁ。はぁぁ~~、イケメン二人にそんな接点があったなんて感激ですぅ! ピアノ教室の壁になって、レッスンの様子を見守りたい……」 「いや、それはあんまりおすすめしないっすねー……」 ミキ先生が、ヒナ先生のことをただただイケメンピアノ講師だと思っているのなら、俺に対するぶっ飛んだ言動の数々を知ってしまったら夢が壊れるだろう。 「……できた」 最後の一音の余韻を残して鍵盤から手を離した俺は、思わず隣に座るヒナ先生を振り返った。 「ねえ俺今、弾けてましたよね⁉ 最後まで!」 ヒナ先生は控えめな拍手を送ってくれた。 「はい。よくできました。頑張りましたね、ホッシー先生」 「ちょ……子供にするみたいな褒め方しないでくださいよ……はしゃいじゃって俺、アホみたいじゃないですか……」 きまり悪くなって視線を逸らすと、窓に置かれた鉢植えが目に入った。 「あ……ヒナ先生あれ、片付けないでいいんですか」 窓の植木鉢という狭い世界の中で力強く咲いていた花たちは、今やその気力を失ったように、だらりと首をもたげて俯いていた。 「ああ、ひまわりのことですか? はい、花は終わってしまいましたが、折角なので種を取ろうと思って」 答えるとヒナ先生は立ち上がって窓の前まで歩いた。 「ああ、もう結構乾燥してるから、このまま取れますね」 色彩を失った花を撫でるその手――終わりかけの命を受け止めるその手から、目が離せなくなった。 「……種、俺にも一粒ください」 「え?」 ヒナ先生の手が一時止まる。滑り落ちた縞模様の小さな種は、植木鉢の足元に投げ出された。 「……いいですけど、種なんて持って帰ってどうするんですか? 来年蒔く気ですか?」 どうする、と聞かれれば、先生にもらった種をどうするつもりだったのか、自分でも分からない。後先なんか考えずに、転がり出るように口から出た言葉だった。  ただ二人をつないでいたひまわりの花への、執着心からの言葉だった。 「どうでしょう。蒔くかもしれないし、蒔かないかもしれません。でも少なくとも、大事に取っておきます」 俺の隣に戻ってきたヒナ先生が手を差し出す。その下に広げた俺の掌の上に、小さな縞模様が音もなく落とされた。外は既に暗く、窓辺にあっても日の光なんか当たるはずもないのに、種は微かな温もりを帯びていた。 「ねえホッシー先生。この曲、連弾用の楽譜もあるんですよ」 「……やります」 「……はい。でも僕の楽譜棚にはないので、今度の週末、楽器屋に買いに行きましょう? ふふ、ホッシー先生とデートできます、やった」 「調子乗んないでください。デートじゃないです」 すいっ、とまた視線を逸らした俺の横で、ヒナ先生はふふふ、と笑い続けている。視界の端で見たその笑顔の眉はやっぱり下がっていて、困ったように見えた。  ひまわりの季節をまるまる越えて、「Tonight」は完成した。
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