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 福ピー先生の言うことは本当だった。  一つには、初日の今日だけでクソガキファイルはNo.20くらいまで埋まった。鷹良台放課後児童クラブの辞書に、平和や平穏という言葉はないらしい。  もう一つには、女子児童の多くは俺に対し、サホと同じような評価を下したということ。俺の場合、見た目で周囲の好感を得るのはそんなに難しくない。その自覚は昔からある。嫌な言い方と思われるかもしれない。しかしまた、「顔はいいのに勿体ないわね」と言われる残念系であることを俺が気にしているのも事実である。  もっとも、小学生の女の子たちから見たら、若い男というだけで素点が随分と跳ね上がっているのも否定できないだろう。何なら元気を有り余らせた男子児童どもにも俺はモテる。主に取っ組み合いやチャンバラの相手として。  そしてこれもまた福ピー女史の予言通りであったが、舐め腐った態度のガキどもに振り回され、走り回らされ、昼にはもう俺のHPゲージは赤く点滅し、警告音を発していた。すまん、ピーピーピーピー鳴られたところで俺には手の施しようがないんだ。 「ホッシーお昼一緒に食べようよー」 「あ、私も私もー」 「あぁ? 何だお前ら、飯の時間までつきまとってくんじゃねえ」 しっし、と手で追い払うフリをすると、女の子たちはきゃーっと騒ぎながら俺を囲んで勝手な席順で座った。少し離れたところで、福ピー先生とミキ先生が「やっぱり星野先生、人気ですねぇ」とニコニコ話し合っている。  やかましいよ。 「ホッシーお弁当それなのぉ?」 輪の中の一人が、コンビニの菓子パンとおにぎりを口に運ぶ俺にばかでかい声をかけてくる。 「バカ言え。『手作りは愛情!』みたいな幻想を、学童指導員が率先して押し付ける社会なんざ、終わってんだろ。この手抜き昼飯はな、俺からお前らのお家の方とな、社会へのメッセージなんだよ」 気だるげで粗雑な口調と、言っている内容の壮大さのギャップが可笑しかったのか、女の子たちはまたきゃーっと盛り上がる。 「でもぉ、ホッシーの場合は単なる不摂生でしょ?」 「う」 「お弁当どうの以前に、どうせ家でも自炊しないでしょ」 「うるせえな。コンビニうまいから、いいだろ」 「てかさホッシー」 喧しさを切り裂いて、妙に明瞭な声を投げ込んできたのはサホだった。 「お弁当作ってくれる可愛い彼女とかいないわけ?」 サホの方に振り向くはずみで、固くなりかけていたのを無理に噛みちぎったメロンパンのかけらを丸呑みしてしまった。 「っんぐ……は? 何なの」 「動揺しすぎ。それいないってことでいい?」 また、きゃーっと喧しさが戻る。 「やっぱり、顔がいいだけじゃダメなんだ」 「ホッシー、モテなさそう~」 またガリガリとメロンパンをちぎりながら、女の子たちの輪から顔を背ける。 「お前らー、今時『彼女いないの?』って質問はセクハラだかんなー。親御さんにチクんぞ」 とは言いつつ、今度こそはメロンパンの隙間から溜め息が漏れる。  実際、顔がいいだけではモテない。  だからと言って自分の何を変えようという気もない、それが俺のよくないところなんだろう。自分に対する危機感みたいなものすらも、気付けば失っていた。まあ転職はしたが、どちらかと言えば前の会社を逃げるように辞めたというだけだ。  ああ俺、いつの間にこんな疲れた大人になっていたんだろう。  ふと、ここの窓から見える景色を今初めてちゃんと見ていると気付く。  まず夏の真昼の空の青さに視界が滲んで、次に駐車場の向こうに見える家に目がいく。ここから見えているのは恐らく家の側面部分だろうが、プロヴァンス風というのだろうか、白い外壁に緑の屋根の可愛らしさは十分に分かる。 (あ、ひまわり) 直感的に、その花を意識した。  それは2階の小さな窓だった。かぎ編みというのか、精緻に作り込まれた模様の、真白いレースカーテンを背にするようにして、鉢植えの中に鮮やかな黄色が咲き乱れていた。  どんな人が、住んでいるんだろう。  どうしてか目を離せないほど、興味を惹かれていた。  こんなお部屋の持ち主は、白いワンピースにでも身を包んだ清楚系の娘さんに違いない。そう思えば、どこからか風に乗って、オルゴールの優しい旋律さえ聞こえてくる気がした。 「ちょっとホッシー、何ボーッとしてんの」 「あーあーあ。少しの間くらい黄昏させてくれよ。だいたい勤怠記録上、今は昼休みなんだよ」 「はぁ? 黄昏と昼どっちなのよ」 ガキにやけに冷静なツッコミを入れられようと、俺はもう動じないぞ。戦場のような業務の間隙に、こんな健やかな癒しを見出してしまったのだから。クソガキどもよ、今ならば多少の無礼は許そうではないか。 「……ホッシーってまじ変な奴」 ふん、と鼻を鳴らすようにして、サホは立ち上がった。  え? 俺今鼻で笑われた?  やっぱ撤回。俺にそんな寛大さはない。許してたまるか、この筆頭クソガキめ。  下級生たちに囲まれながら去っていく背中に、心の中で悪態をついた。  俺とあの窓をめぐる物語が少し進展するのは、その僅か数時間後だった。 「行ってきまーす」 独特の無駄に明瞭な声が響く。視線をやると、サホが朝俺の前に振り落としたリュックではなく、薄いトートバッグみたいなものを肩にかけて教室の出入口に立っていた。 「は? ちょ、どこ行くんだよ。抜け出す気か?」 狼狽える俺に、サホは心底面倒くさそうに引き返してくる。 「はー。これだから新入りは。サホが今から行くのは、あそこ」 俺の傍らに立ったサホは窓を指さす。  あ。さっきの、ひまわりの窓―― 「サホだけじゃないよ。ヒナ先生に習ってる子たちはねえ、みんなこうやって抜け出して、ピアノのレッスンに行くの」 「あのひまわりの窓、ピアノ教室だったのか」 「ひまわりの窓って……いい大人が恥ずかしい言い方しないでよ……ってちょっと! ホッシーに引き留められたせいで、もう時間ギリギリじゃん! 遅れちゃったらホッシーのせいですーってヒナ先生に言っちゃうからね!」 サホは声が通る分、ぎゃあぎゃあ騒がれると頭に響く。 「あー……いってらっしゃい……」 騒がしい足音はもう階段をばたばたと駆け下りていて、俺が力なく振った手を、あいつは見ちゃいなかった。  ……と、いうことにも気付かずに、しばらく空気に向かって手を振っていたんだ。俺は相当上の空だったんだろう。  ヒナ先生っていうのか、白ワンピのお嬢さんは。  そうか俺が聴いたのはオルゴールじゃなくて、ピアノの音だったか、と妙に納得した。8:2くらいで単なる俺の幻聴だった可能性の方が高いのに。  ピアノの先生かあ。似合うだろうな。  ……何だこの感想は。「ヒナ先生」なる人の、顔も俺は知らないじゃないか。  それでも滑稽極まりないことに、「白ワンピの清楚系美女」というヒナ先生の幻想が、俺の中で完全に出来上がっていたのだ。
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