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夏休みの学童保育は戦場の最前線みたいなものだ。お盆の休みは一時の休戦だと分かってはいても、末端の一兵士でしかない俺はただありがたくそのお恵みを享受した。遊びに行く元気も相手もなく、休みなら文字の通りに休んでいたい、とほぼ布団の中にいた。家族に会うのすら億劫で、忙しいから、と見え透いた嘘を吐いて実家に帰らなかった。お盆なんだから、学童は休みだろうよ。
突然会社を辞めたと思ったら、「大学、教育系だったし研修受ければ支援員の資格取れるから」とか言い出して学童指導員になった俺のことを、親だって心配してないわけじゃないのは分かってる。だからこそだ。会えばいろんなことを訊かれたり、言われるのは目に見えてて、想像しただけで疲れた。
たぶん俺の心に巣食っているのは、いい大人になって、今更あの人たちとちゃんと話すことへの戸惑いだ。
かつての俺は、サホや鷹良台の他の子供たちと同じく学童保育に通っていた。そうじゃなかった子供に比べれば、そりゃ面と向かって母や父と腹を割って話す時間もなかった。まあ、今まさにこうしてそれを言い訳にも使ってるけど……でも悪いことばかりじゃなかったって、それだけははっきり言える。
ここよりは田舎だし、今よりは時代も古いし。学童に預けられてる子供って、たぶん何となく可哀想って目で見られていた。俺自身、学童はそれなりに楽しかったし、親しい友達もいて不満もなかったが、帰り道、学童の方に曲がる俺たちは、手を振りながら真っ直ぐ街の方に帰っていくクラスメイトたちから、ちょっと浮いてるって思うこともあった。
それでも、居場所を一つでも二つでも多く持っていることが、俺の救いになっていた。単なる逃避だって言われるかもしれないけど、家とも学校とも違う、少し羽目を外せる場所……って思ってたのは俺の方だけで、指導員になった今なら分かるけど、俺は随分、学童の先生たちに苦労をかけてきたもんだ。そんなガキの頃の俺を、先生たちは、今の俺と同じ、「ふざけんなクソガキ」と言いつつも、学校の先生とも、親とも違う、押し付けじゃない温かさで、見守ってくれてた。
思い付きで突発的にこの仕事を選んだように、自分でも思っていたけど、こういうところにちゃんとした理由があったんだろうと、余計なことをウダウダと考える時間がある故に気付く。
『正月の休みには帰るから』と、罪滅ぼしのような一文を送信して、またゴロン、と転がって窓の外に目をやった。
日当たり不良な安アパートの窓からじゃ、何も見えやしない。
訳も分からないまま慣れない場所で駆け抜けてきて、やっと一息つけるのは嬉しいはずなのに。
「ひまわり、見れないのが寂しい」
……いやいやいや、俺何言ってんだ⁉
自分の呟きに驚愕して、横たえたばかりの身体をがば、と起こす。
やっぱり人間、考える時間がありすぎるってのはよくないよ。
3、4日ばかりの休息の後、俺は再び前線に戻った。
おやつの空き袋を回収し、俺は季節外れのサンタクロースみたいにポリ袋を担いで歩いている。この一コマを日常だと思える程度には、俺もこの場所に溶け込んだらしい。
(あ)
窓の前で、ほんの少し歩みを止める。
初めてここに来た時と同じ、レースカーテンのかかる窓に咲く金色たち。それも、俺の日常になったことは違いないんだけど。
お盆も過ぎた今、ひまわりの花が俺の心にもたらすのは癒しだけではなかった。
ひまわりは夏の花だ。夏が終われば枯れる。
当然の摂理でしかないのに、いつか芽生えていたこれは――
焦燥。
この焦燥は間違いなく、あの男――永原日向に結び付いているんだけど、どう扱うべき感情なのか、それをいまだに、俺は定めかねている。
俺はあの人みたいに、これは好意だって――恋愛感情だって、断定することができない。
だってヒナ先生が男だったこと自体、俺にとっては本来大大大事故だったのだ。決して簡単に踏み越えることのできない一線が、見えないけれど確実に俺の目の前に引かれていて、たぶん過去とか価値観とかアイデンティティとかそういう、これまた目に見えない何かが俺の身体を雁字搦めに羽交い絞めにしている。
向き合うことから逃げて、分からないままにしておくことで自分を守ることしかできないくせに、自分とヒナ先生を繋ぐものが無くなることに――俺は今恐怖している。
いっそ、何も考えない人任せのままでいればよかった。こんな欲を持ってしまったために、ただの疲れた大人だった俺は、ずるくて、醜い大人に成り下がった。
「ちょっとホッシー、聞こえてた?」
「※△*□$~~!?」
俺の思考を切り裂いた声に、俺は背中のポリ袋ごと引っくり返る。
「サ、サホか……急に話しかけんなよ。危ねえだろうが」
「急じゃない。何回か話しかけたのに、全然気が付かないから」
腰を抜かした俺を、サホが呆れかえった顔で見下ろしている。ああ、何だろうこのデジャヴ感……溜め息と共に、小さな手が差し出される。女児に助け起こされるアラサー男、いとダサし(涙)
「で……何だ?」
「だからぁ、今日、ヒナ先生の誕生日だねって! 言ったの!」
「へ……?」
「……ちょっと。その顔、まさか今知りましたって感じ?」
おいおい、何だよ、それ。
「てかホッシー、ま~だヒナ先生と付き合ってなかったの?」
サホの声が、再び遠くなっていく。
あの人、俺の戸惑いなんてお構いなしかのようにあんだけグイグイ来るくせに、そんな大事なこと、教えてくれなかったのかよ……!
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