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「ああ、それ、ちょっと前に授業でやりましたよ」
俺が ”初桜” について詳しそうな人物に尋ねると、すぐに答えが返ってきた。
「授業で?」
「ええ。自由登校になった頃だったと思いますけど。それがどうかしましたか?」
二つ下の女の後輩が、隣の席で少しだけ得意げに教えてくれる。
「どんな内容だったんだ?」
「えーと、確か……花とか桜は季語だけど、恋人とか恋心の意味も含んでる、って話をしたような……」
「へえ…。そういえば合格の意味で ”サクラサク” ていうのもあったよな」
反対に不合格だと、”サクラチル”
そう頭に浮かべたとたん、俺は心のどこかが微かに痛みを感じた気がした。
もう十年以上も前のことなのに。
けれどいい意味で鈍感なところがある後輩は、俺のことなんかお構いなしにどこかのんびりと続けた。
「昔も今も、特に日本人は比喩表現が好きですからねえ。人の一生を桜に喩えたりもしますし、桜だけじゃなくて、月の満ち欠けとか、雪とか。でもやっぱり、桜が一番でしょうか?」
いつも明るい後輩が満面の笑みで俺を見てくるので、俺は微かな痛みなど素知らぬふりで握り潰してやった。
「…まあ、桜は日本人の心の拠り所だからね。それじゃ、お先」
俺はそう言って席を立った。
握った手の隙間から微かな痛みがこぼれ出てくる前に、この場を立ち去るつもりで。
「あ、お疲れさまでした」
唐突に会話を終わらせたにもかかわらず、後輩はにこやかに送り出してくれて、俺は少々の罪悪感を覚えたが、無言で廊下でコートを羽織るとそのまま歩き出した。
外は、まだほのかに明るかった。
この頃どんどん日が長くなっているなと、春の訪れを身近に感じる。
けれど夕方になると肌寒さもあり、俺は車までを急いだ。
すると駐車場に向かう途中、細長い通路の両側に花の咲いてない桜の木が行儀よく並んで立っていて、
いつもならたいして気にもとめないのに、今日はなんとなくそれらの脇で立ち止まり、そっと、何も宿していないシンプルな枝を眺めた。
もう間もなく、そこは薄桃で彩られて、人々の心を癒す存在になることだろう。
俺は、ここが桜の花のトンネルになる毎年の風景を思い出していた。
華やかに賑わい、そして、ひとひらずつ舞っていく。
葉桜になり、若葉が芽吹き、新緑の葉でいっぱいになって………
けれど、時が経てばまた花は新しく開く。
一度散っても、また咲くことだってできるのだ。
俺は、それを毎年、ここで見届けてきたのだから。
きっと、人々はその当たり前の自然現象にいろんなことを重ねて見るのだろう。
いつの時代も、もしかしたらそんなところに慰めを求めているのかもしれない。
何度散っても、また咲くことだってできるのだと。
花も、人も………
まだ花もないその枝に対し、俺はひっそりと、今年もいい花を咲かせてくれよと願ったのだった。
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