たとえどんな君だったとしても

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 僕が家に帰るとそこではいつもの様に彼女が待ってくれていた。もう付き合って何年になるかも解らないくらいに長くて僕はそのけじめをつけようとかなり高い指輪も用意している。そう、それは婚約指輪だ。  プロポーズはしようと思っているけどなんかずっとそのタイミングを逃してばっかりいて、指輪はもう3か月も待たされている状況だった。  今日だって慶弔事だったので先行臭い黒いスーツで、人疲れしているし、そんなタイミングはまた逃してしまっていた。  僕達は別に一緒に住んでは居ないのだが、随分と一緒に居る事が多い。僕が彼女の家に居る事も有るけれど、そこは普通にワンルームの狭い所なので、常々彼女は僕の家を訪れていた。  若干古くさいけれど、広さは普通に2人どころか子どもが居たとしても十分に暮らせそうなくらいに有る。でも、家賃は彼女の家の方が良いくらいで、ここまで話したら解るとは思うが、ハッキリ言ってしまうと僕の家はボロ屋敷なのだ。  まるで幽霊のいくつかが出てもおかしくはない家なのでそんな家賃なのだが、僕の彼女はそんな古い家をノスタルジックと言って「なんか、田舎のおばあちゃん家みたい」と言っている。しかし、彼女の実家もそのおばあちゃん家にも僕は訪れた事が有るがこの家程は古くは無かった。あくまでイメージの話なんだろう。  今日も別に約束した訳でもないのに彼女は僕の家で晩御飯を用意して待っていた。 「なんか、今日は君が居るような気がしてたよ」  疲れた身体に彼女の笑顔を見た僕は癒されていた。そんな姿が大好きで、だからこんなにも長い期間付き合っているんだ。 「あたしが居ても驚く事なんてもう無いね」  またニコッと笑って彼女は台所に立って、晩御飯を暖め始めた。  常々仕事や付き合いで遅くなるので「僕の事は待ってなくても良い」と彼女に家の事を勝手にしても構わないと言っているのに、当然の様に彼女は僕の事を待っている。そんなのを空振りにしてしまった事だって一度くらいの話では無いのだ。  時には、 「一言連絡してくれたら良いのに」 「だから待たなくて良いって言ってるだろ」 「待ちたいんだもん。そんな気持ち解ってよ!」 「忙しい時は連絡出来ないんだよ!」  そんな言い合いをして真夜中に口喧嘩を始めた事だって有る。それはもう近所迷惑だったことだろう。  しかし、僕たちは随分と口喧嘩以上になる事は無かった。もう本当に喧嘩をしたことなんてどれ程前になるのだろう。  そして口喧嘩も言い合ってそれでおしまいだったり、あまりに怒っても僕が家出をして近くの公園のベンチに座って頭を冷やす事が習慣になっている。  そんな時に限っては彼女の方から迎えに来てくれるのでそれで仲直りをしてしまうんだ。  恋人だって所詮は他人同士なのだから気の合わない所だって有る。それで喧嘩別れをしてしまったらつまらない。解り合える部分だってあるのだから時間を掛ければ良いだけの話なんだ。  当然のことながら今日は口喧嘩にもならない。確かに夜は随分と更けてしまったけれどそれだって彼女は僕がこのくらいの時間にならないと帰らないのを解っていたからその点は納得している様で、料理だってちゃんと時間を見計らってスープを暖めたくらいで直ぐに用意された。 「しかし、今日はビックリしたなー。急にトラックが道を逸れて来るんだもんな」  それは彼女の今日の出来事の話だった。そのくらいはちょいちょい連絡をし合っているので僕も把握していた。  それは彼女が道を歩いていた時にトラックが運転を誤り、彼女目掛けて事故を起こしたと言う事だ。 「普段から危ない事も有るって言ってるのに気を付けないからだよ」  僕はそんな風に文句を言いながら食事を進める。まあ、文句なんだけど彼女を嗜める意味も有るのだ。  そんな事は解っていながらも彼女は一度箸を止めて僕の事を睨んで膨れている。解っているけど、文句は許さないらしい。でも、こんな表情をする彼女は本当には怒ってない事を知っている。 「そんな顔をしたって駄目だよ。危ないのは危ないんだから。僕は君が居ないと生きていけないんだから」  ちょっと、いや、かなりクサイ事を言っているのは自覚している。でも、僕は損な時の彼女の姿を見るのが好きで時折こんな風に言う。  今日だって頬を赤らめて軽く俯いてしまった。どうもこれは彼女も慣れない様でいつだってこんな事をしている。 「君は! いっつもそんな事で人の事を揶揄う! ズルい!」  彼女はそんな風に言うとご飯を掻き込んで食べて、リスの様に頬っぺたを膨らませる。  僕達の夕食は楽しく終えた。 「洗い物しようか?」  疲れてはいるけれどそのくらいは僕だって救けられる。その辺の動かない男と一緒にされたくはないから。 「別に良いよ。お前が洗ったら洗い残しが有るから二度手間だ」  彼女は食器を台所に運びながら軽く蹴りを僕にくらわしていた。さっきの表情とはかなり違って冷たい。しかし、通常の彼女はこんな雰囲気だ。  良く笑う人で悪く言えば八方美人で強い女の子の印象なのだが、僕には辛くしてみたり、その反面甘えたな所だって有る。それは僕の事を特別な人としてくれている証なのだろうと僕は叩かれ蹴られても一言だって文句は無い。そもそも痛くないし。  そんな風に言われたので彼女に甘えて僕は疲れも有ったしのんびりと横になってテレビを見始める。 「食べてすぐ横になったら牛になるよ」  そんな言葉が見えて無い筈の台所から聞こえている。彼女は壁でもすり抜けて見ているのだろうか。 「俺は元々おうし座だから牛なんだって」  冗談で誤魔化してチャンネルを回した。  こんな時間にはふざけたバラエティとニュースくらいしかない。普段なら前者を選ぶ僕だけどなんとなくニュースな雰囲気になったので日米関係のニュースを見ていると、暫くして地方ニュースになった。 『事故のニュースからです』  キー局とはアナウンサーのランクが変わってそんな事を伝えていたので僕はそれを真剣に見始めた。  その理由はこの事故は彼女が遭遇したニュースだったから。かなり大きな事故になってしまっている様子だった。 「事故のニュースしてるんだ」  彼女が洗い物を終えて手を吹きながら僕の横にペタンと座って一緒にテレビを見始める。 「うん。死亡者も出たみたいだよ」  僕達はそれから黙って事故のニュースを見続けた。淡々と事故を伝えるアナウンサーは続いて天気予報を報せ始めた。  明日は仕事も休みを取っている。そして天気は晴れの行楽日和になるらしい。だから僕は彼女とどっかに出掛けようかと考えて、彼女の事を見た。もちろんその時にはプロポーズの事も含めて考えていた。  当然僕が見詰めているので彼女がそれに気が付いて視線が合う。 「どうしたん? そんなに見詰めたって得はしないでないの」  そんな彼女の面白い言い回しが有る。一体どこの出身なのか解らない様な語尾を使うけれど、僕達は同じ出身地で長い付き合いなのでヘンテコな彼女の言葉使いだって慣れている。  それでも僕はもしかしたら「今」がプロポーズのそのタイミングなのかもと悩んで彼女の事を見詰め続けたが、彼女はそんな僕の事を簡単に無視ってテレビの方へ視線を向けていた。  やはりこのタイミングでは無いのかと僕は仰向けになって首を伸ばして後ろの方を見る。上下さかさまになったその先には彼女の為に用意している指輪をかくしている押し入れが有った。 「あのさ…」  僕がずっと押し入れの方を見ていると彼女が唐突に話し始めたので、動転した僕は慌て視線を押し入れから外して普段は見る事も無い窓の方を見てしまった。かなり不審だ。 「どうかしたの?」  しかし、なんとか声は震えないで話せているのでその辺は良しとしておこう。 「さっきから気にしてるのだけど」  彼女は僕の心を見透かしている様に話しているので、もう生きた心地はしないけれど、そんな彼女だってソワソワしているが見なくても解るので生きてないのかもしれない。この部屋には生き物なんて存在しない。 「なんの事かなー?」  ひどく苦しい言い訳だ。そんな事は解っていても取り敢えず僕には逃げしか無かった。 「掃除、しようとして見ちゃったんだよね。良いよ、別に」  その時になって僕はやっと彼女の事を見詰めたけれど、そんな彼女はハッとして話を続ける。 「違う! そう言う意味じゃない! 別にあたしはプロポーズなんてしてほしくないんだから。このままで良いよって言おうとしたんだよ」  そりゃあ、僕だって「良い」と言われたらそれはプロポーズの成功だと思ったよ。普通はそう思うだろう。  しかし、彼女の返答は違った。プロポーズを断るどころかそれさえも許してくれない状況にもなっていた。 「なんで? 君は俺と結婚したくないの?」  ガバッと起きてそんな風に言う。まあ、当然だろう。僕たちはもうかなり長く付き合っているからプロポーズが失敗するなんて僕は思ってなかったどころかそれさえも許してくれないなんて予想なんて出来なかったから。 「結婚、したくない訳じゃない。君と一緒に居たら楽しいし、好きだよ。だけど、ねえ」  そうして彼女は困ってしまっていた。 「そんな、俺は君だけの事がこんなに好きなのに」  こうなってしまうと僕はガックリとするしかない。そうしているとポツポツと涙が落ちているのが解る。情けない事だ。 「だから、あたしも好きだって言ってるし、別に別れ話してる訳でも無いじゃないかい! これからも一緒に居る事は変わりないよ」  その言葉が僕に気を使っている様で更に惨めになってしまう。 「良いよ。そんな事を言わないで。そうだよね、こんなに待たせたのも悪かったんだよね。情けない俺に付き合ってくれてありがとう」  もうこれは変化球の別れ話だと思っていたからこんな返事をしているが、彼女はそんな僕の事を見て深いため息を吐いた。 「だから、違うって」  本当に呆れて困った表情をしながら涙を流している哀れな僕の事を彼女は見ていた。 「あたしたちは住む世界が違うんだよ。結婚なんてできなくなったんだよ。惨めなあたしに期待させないでよ」  怒る様にそして寂しそうに彼女は強い言葉で話していた。  その時にまたテレビは全国のニュースを報じ始めてさっきの事故のニュースも流れた。それ程に注目されている事故だった様で全国に発信されている。そして今度は被害者の名前も報せられ、そこには彼女の名前が流れていた。  そう彼女は事故で死んでしまった。それを忘れた様にこの家に幽霊として居る。  僕だって今日は彼女の通夜に出席して帰ったのに、そこに彼女が居たから嬉しくなって普通にしてしまっていたのだ。 「死んだ人間と生きている人間が結婚できる訳ないっしょ」  今度は彼女が涙を流してへたり込んでしまった。  こんな彼女の姿は見たくなかった。もちろん死んでしまった彼女の姿を見たが、それと同じくらいにショックな事だ。  彼女は僕との別れを何度も繰り返さなければならないのだろうか。そんな事にはしたくない。 「俺は君が居ないと生きていけない」  ずっと昔から有る僕の本当の心だった。彼女にこれ以上情けない姿を見せまいとそんな事は言わなかったが、とうとう話してしまった。しかもまだ僕は泣いていて本当に情けない。 「そんな事を言ってちゃダメだよ。生きて、そんで幸せになんなきゃさ」  彼女が優しく僕に微笑みかけてくれていた。  けれど僕はそんな言葉を聞かないで泣いている。もうどんなに情けなく思われようと関係無い。彼女の事だけは離したくない。 「幽霊でも良いから俺と結婚してくれない?」  こんなプロポーズだって有っても良いじゃないか。僕はそう言って彼女の手を取っていたが、流石に幽霊だけ有ってその手は冷たい。  だけど今、彼女が震えているのは寒いからじゃないだろう。 「嬉しいな」  寂し気に彼女は呟いた。  ずっと流れているだけになっているテレビのニュースが次から次へと事件を伝えている。すると、僕の住んでいる近くで自殺が有ったらしい。そのニュースに僕と彼女はどうしてか今の状況を忘れた様に見入ってしまった。  それは数時間前の出来事で人気の無いビルで飛び降り自殺をした人間が居たらしい。その人は恋人を亡くしてその後追いに自殺をしてしまったとの事だった。 「俺も死ねば良いのか」  僕はそんな風に呟いたがもちろん彼女は許してくれない。 「馬鹿な事を言ってんでないよ!」  彼女は僕に軽く蹴りをくらわしながら本当に怒っている様に顔を強張らせていた。  でも、もう僕に残された道はそれしかないのだ。本当に彼女の為だったら死んでも構わない。 「君の居ない世界にもう未練なんて無いよ」  泣きながら僕は彼女に抱き着いて小さく語った。 「そんな風に言われたら許してしまいそうになるやんか」  すると急にテレビの音が大きくなった気がして2人でさっきのニュースの続報を見た。そして二人で顔を合わせると笑った。 「これじゃ全く問題なんて無いやないか」  眺めているテレビには僕の名前が有った。  忘れていた。僕は彼女の通夜の帰りに悲観をして彼女に会う為に自殺をしてしまったのだ。僕達は住む世界は違いなんてしなくてずっと一緒なんだ。これからも一緒に居たいと願う。 おわり
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