第三章 その二

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第三章 その二

 おしゃれ。漢字で書けばお洒落。  しかし漢字で書こうがひらがなで書こうが、俺にとっておしゃれというのは馴染みのない、理解しがたい言葉である。  調べてみたところ『洒落』とは、一説では『曝(しゃ)れる』……つまり『曝(さら)される』の意味で、曝されて余分なものがなくなったことが語源となっているそうだ。  曝す、晒す、さらけ出す。余分なものがない、隠されていないものを『洒落』というのなら、己が嘘偽りなくイケてると思ったこの服もまた、洒落ていると言えるのではなかろうか。  ……うん? なんだい奏恵ちゃん。それは屁理屈だって? 俺の服は間違いなくおしゃれじゃないって? ……そんなこと言われなくても分かってるよ。だからこうして服を買いに来たんじゃないか。  さて、またしても俺のファッションセンスを否定されてしまったけれど、そんな俺がどうして今まで興味もなかったおしゃれについて学ぼうと思ったのかを話そうと思う。  それはもちろん、おしゃれに目覚めたから――ではない。  あらかじめ断っておくが、おしゃれに興味を持っていないのは現在進行形で変わっていない。  もちろん奏恵ちゃんに服装がダサいと言われたのは心外であったし、その汚名を返上しようという思いもあった。けれどそれは、あくまでダサいと言われたのが癪だっただけで、別にダサいと言われないのであれば、おしゃれな服装である必要もないのだ。  じゃあなぜ今回、わざわざ奏恵ちゃんにお願いしてまでおしゃれな服を買おうと思い至ったかのかというと、その理由はいたってシンプル。 そこには聞けば誰もが納得し、そして呆れるであろう、簡単で邪な狙いがあったからに過ぎないのだ。  彼女を作る、ひいては薺奈ちゃんを彼女にするための自分磨き――そう言えば聞こえはいいものの、身も蓋もなく言ってしまえば、単にモテたいから。ただそれだけ。それがおしゃれをしようと思った理由。  だって……おしゃれな男って、もうその響きだけでモテそうじゃない?  てなわけで、閃いた今回の作戦は『おしゃれ作戦』である。私服がダサい男より、おしゃれな男の方が女の子からモテるに違いない。センス溢れるファッションに身を包んだ俺を見せれば、薺奈ちゃんだってきっと惚れてしまうことだろう。  ……まあ、薺奈ちゃんに私服を見せる機会があるかと聞かれれば、今後に期待と言わざるを得ないのだけれど。  それはさておき。  完全にショッピングモードに入った奏恵ちゃんに連れてこられたのは、電車に揺られること三十分。さらにバスに乗ること十五分ほどの、地元からそこそこの距離にあるショッピングモールであった。  近所の安い服屋で済まそうと思っていたのに、まさか地元から離れるだなんて聞いてないぞ。そう奏恵ちゃんに言ってやれば、だからおにぃはダサいんだよと理不尽なことを言われてしまった。 「この店なんていいんじゃない? 今ちょうどセールやってるみたいだし」 「そ、そうなの? この店いいの? 俺にはどの店も同じように見えるんだが」 「もうそれ、おしゃれじゃないとか言うレベルじゃないんだけど? もう少しファッションに興味持った方がいいんじゃない?」 「そうは言うがな奏恵ちゃん。服なんて着られればどれも同じだろう」 「じゃあ何でおしゃれを教えてくれなんて言い出したんだし」 「だ、だっておしゃれな方が女の子にモテると思って……」 「ならつべこべ言ってないでさっさと服選んで来い! 私はここで待ってるから!」 「ええ!? 奏恵ちゃんがいないとどれがおしゃれなのかわからないんだけど」 「……分かった。なら試着したところを見てあげるから、早く服選んできて」 「ええ!? こんなおしゃれな店で一人になるのは不安なんだけど」 「さっさと行け!」 「りょ、了解!」  蹴っ飛ばそうとしてくる奏恵ちゃんから、慌てて逃げるように店へと入る。  こんな店で一人になると不安になるのは本当なんだけどな……。奏恵ちゃん本当について来てくれないし。なんか一人で洋服見始めちゃったし。そんなにお兄ちゃんと一緒なのが嫌なの?  ……とりあえず、いくつかよさそうなのを持って行って奏恵ちゃんに選んでもらおう。せっかくこんなところまで来たんだ、何か一つくらい買わなきゃもったいないもんな。  まずは奏恵ちゃんに一番酷評されたシャツから見ていくか。中学生みたいなんて言われたままじゃ癪だし、ここは大人っぽいものを……おっ、これなんていいんじゃないか? 茶色っていうのがまた渋くて大人な感じが……ろ、六千円!?  え、これ一枚で六千円もするの? それだけあったら、いつもの服屋なら上から下まで一式揃うんだけど? な、なら隣の白いシャツは……こ、これでも四千円するのか。セールで安くなってるんじゃないの? おしゃれって怖い。  財布を取り出して中身を確認する。そこには一万円札が一枚、堂々と居座っていた。だが普段なら頼もしい戦闘力を誇るお札も、ここではただの紙切れに過ぎないようだ。  まいったなぁ……奏恵ちゃんに服を買ってあげる約束したし、自分にはあまりお金をかけたくないんだけど……女の子の服って男より高そうだし。 「……ん? なんだあれ」  どこかに気軽に手を出せるような安い服は無いのだろうかと店内を見渡すと、隅っこの方に大量の服が雑に積まれているワゴンを見つけた。ワゴンにはやたら目立つ赤いチラシが張り付けてあり、そこには『廃棄処分セール! 一つ五百円!』と紫の文字で書かれている。なんて読みにくくて毒々しいチラシだ。  でも五百円とは魅力的だな。あそこからいくつか適当に持っていくとするか。 「奏恵ちゃんお待たせ。良さげなのがあったよ!」 「ふーん……? まあとりあえず着て見せてよ」  タイミングよく試着室の近くにいた奏恵ちゃんに声をかけると、あまり期待してなさそうな反応が返ってきた。さては俺の選んだ服がダサいと思ってるな? それなら度肝を抜いて見せようじゃないか。 「ちょっと待っててな」  試着室に入り、服を広げてどれから着るかを考える。  持ってきたのはシャツとズボン合わせて十着ほど。適当につかんで持ってきただけに統一性も何もないが、これだけあれば奏恵ちゃんを唸らせるような組み合わせを、一つくらいは見つけることが出来るだろう。  まずはこれとこれで……。 「(シャッ)どうかな奏恵ちゃん!」【英字新聞柄のワイシャツ】 「う、うぅん……それはあんまし……ん?」 「そうか、自信あったんだけどな」【英字新聞柄のズボン】 「ホームレスか!」 「ええ!?」  なんだかとても心外な評価を受けた気がする。 「そうして上下その柄で揃えちゃったの!? もう新聞をまとってるようにしか見えないんだけど!?」 「で、でも英字新聞を読んでる人っておしゃれじゃない?」 「読んでる人はね!? でもそれ着てんじゃん! 読んでないじゃん! ていうかまた英字のシャツなの!? どんだけ英字好きなの!?」  その後も続く批評の嵐。俺にはよく理解できない言葉の数々だったが、とにかく奏恵ちゃんが言うには、上下で同じ柄にするのはやめておいた方がいいらしい。 「とにかくおにぃはもう英字禁止!」 「わ、分かった。これ以外に英字が入ったやつは無いから安心してくれ」 「本当なんでしょうね」 「マジマジ。じゃあまた着替えるから」  カーテンを閉め、もう一度コーディネートを考え直す。  上下で柄を揃えない、英字を着ないと言うヒントを貰ったんだ。さっきよりましな服装にして見せる。 「(シャッ)これでどうだ!」【大量の漢字が入ったシャツ・大量の韓国語が入ったズボン】 「耳なし芳一か!」 「ええ!?」 「英語じゃなければいいってことじゃないから! 何その文字シリーズ! というかよくあったねそんなの!」  またしても浴びせられる批評の嵐。ついには奏恵ちゃんから文字禁止令が出された。 「もう文字入りの着ちゃだめだからね!」 「わ、分かった。着替え直すよ」 「待ったおにぃ。次からは見せる前にどんな服か教えて。心の準備がしたい」 「了解した」  しかしまいった。文字を禁止されたから持ってきた服の半分以上が着れなくなってしまったぞ。この残り少ない服でコーディネートしないといけないのか……。 「奏恵ちゃん、着替えたよ」 「どんな服?」 「数学的な服」 「それさっきまでの文字が数字になっただけでしょ! 却下!」  な、なんで見る前に分かったんだ奏恵ちゃん。おしゃれな人にはそういう能力が身につくのか? 「奏恵ちゃん、着替えたよ」 「……数字入ってないでしょうね」 「入ってない。今度は縞々と水玉だ」 「んん……ちょっと想像できないけど、じゃあ開けていいよ」 「(シャッ)どうかな?」【水玉模様のシャツ・縦縞模様のズボン】 「うわぁ……」  俺を見るなりすごいドン引きしてきやがった。なんて奴だ。 「おにぃそれ……普通にダサい。信じらんないくらいダサい。もうなんて言うか……とりあえずダサい」  同じ言葉を連呼されるのがここまでつらいとは思わなかった。妹に泣かされそうだ。 「おにぃごめん、私が悪かったからさ。おにぃの服私が選んであげるからさ。だからもう自分で選ぶのはやめよう?」 「そ、そんな憐みの視線を向けないでくれ! 俺はまだやれる!」 「いや本当にいいから。ていうかもうどっから持ってきたのこの服。こんな罰ゲームみたいな奴が置いてある店じゃないはずなんだけど」 「ああ、それならあっちに廃棄処分のワゴンがあったんだよ。一つ五百円」 「廃棄になるのも納得のラインナップ……あれ? おにぃこれは? これも五百円?」 「ここにあるのは全部そうだけど……どれどれ」  奏恵ちゃんが手に取ったのは紺色のズボン。  あー、それか。持ってきたのはいいものの、なんかちっちゃかったんだよな。 「このデニムいいじゃん。絶対これがいいよ」 「いや奏恵ちゃん、それ履いたけどちょっと小さいんだよ。ぱつっとして気に入らなかった」 「これはそう言うやつなの! 足がシュッとして見えるようになってんの! とりあえずこれ着て! シャツは……あ、これ可愛い」 「えぇー。なんか地味じゃないか、それ」 「こういうシンプルなのがいいの! おにぃのは柄が多すぎ!」  少し大きめの半袖シャツを手に熱弁する奏恵ちゃん。  なんでも上は少し緩めに着るのが今の流行りらしい。  俺のTシャツも首のとこ緩めだけど? と言ったら、あれはおしゃれとは言わないと怒られた。いまいち違いが分からないけど、ここは奏恵ちゃんに従っておくとしよう。 「(シャッ)着替えたよ奏恵ちゃん」 「おー……うーん……ま、まあまあ?」 「どうせだったらちゃんと褒めてくれない?」 「に、似合ってはいる……かも」  結局奏恵ちゃんからおしゃれの一言を貰うことは出来ずに、俺の買い物は終了となる。まあ似合っているという評価を得られただけマシだろうか。  結構心身ともに疲弊する思いだったのだが、おしゃれとは何なのかについては分からずじまいである。
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