第一章 常盤薺奈には敵わない

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第一章 常盤薺奈には敵わない

「なぁ後輩ちゃん。どうすれば彼女って出来るんだろう」 「はぁ? どうしたんすか先輩。発情期?」 「せめて思春期って言ってくれない?」  七月上旬。  梅雨が明けると同時にいよいよ暑さも本格的になり、窓から聞こえてくる蝉の声が夏の訪れを感じさせる。  冷房なんて気の利いたハイテク設備などない、涼しさを感じられるものと言ったら扇風機くらいの、部室代わりの空き教室にて、俺は長年の疑問を口にした。  覚悟というか、こんなことを聞くのには割と緊張しながらであったのだが、しかし机を挟んで対面に座る少女の目は、まるで残念な子を見るかのような目であった。  にしても発情期って……男子高校生としてはあながち間違いとも言い難いか? 出来ることならもう少しマイルドな言い方をしてほしいものだけど……ああやめて薺奈ちゃん。そんな目で見ないで。これでも結構頑張ったんだよ? 好きな子にこんなことを聞くのは。  薺奈ちゃん――常盤薺奈。それが彼女の名前。  そんな彼女のことを、俺は『後輩ちゃん』と呼ぶ。  本当は心の中でそうしているように『薺奈ちゃん』と呼びたいけれど、女の子を名前で呼ぶなんて行為は、ヘタレ思春期男子には少し難易度が高すぎる。  とはいえ、それで『常盤さん』なんて呼ぶのも負けた気がするし、何より距離感があって嫌だと見苦しい意地を張った結果、どこで間違えてしまったのか、最終的に『後輩ちゃん』で落ち着いてしまったのだ。  これはこれで気安そうな間柄にも思えるが、実際は名前どころか名字ですら呼べていないだけと言うのが現実である。  しかも薺奈ちゃんも真似るように俺のことを『先輩』なんて肩書オンリーの呼び方をするものだから、なんだかお互い名前を呼び合わない、ビジネスライクな関係みたいになってしまった。  個人的な願望としては、俺は『薺奈ちゃん』と名前で呼び、彼女からも名前で『奏汰さん』とか『奏汰先輩』とか呼ばれるような関係になりたいところだ。  さてそんな薺奈ちゃんはと言えば、俺の想いになど気づくはずもなく、こっちに向ける残念そうな目をそのままに、呆れたように息を吐きながら口を開いた。 「まあ先輩が突拍子もないことを言い出すのはいつも通りっすけどねぇ。でもいつも通りとは言っても、今日はまたいつもよりくだらないというか……どうしようもないっすね」 「く、くだらない!? い、いやいやいや後輩ちゃん、早合点はよくないよ。これはただ彼女が欲しいってだけでなくてだね、つまり男女はどうすればより仲を深められるのかという命題であり――言い換えればそう! 愛とは何ぞやという壮大なテーマであって決してくだらないなんてことはっ」 「なぁーるほど、先輩は彼女が欲しいんすね!」 「ちゃんと話を聞いて!」  その通りだけどさ!  彼女を作るにはどうしたらいいか。より正確に言えば、薺奈ちゃんを彼女にするにはどうしたらいいか。  目の前の憎たらしくも愛らしい後輩に一目惚れし、そんなことを考え始めてから早三ヶ月。同じ部活に所属しているというアドバンテージは、仲良くなることは出来ても付き合うまでには至らない、足らないものであった。  その足りない部分を埋めるために悩み、試行錯誤を繰り返す日々。だが残念なことに、恋愛初心者の俺では、これまで手ごたえを感じられるような作戦を思いつくことは出来なかった。  そんな中、頭を捻りに捻ってようやく考えついた今回の作戦。  それがさっきの『どうしたら彼女が出来るか』という相談に繋がるわけである。  …………だったのだけれど、 「でもいくら彼女が欲しいからって、そんなこと後輩に、しかも女子に普通聞くっすか?」 「え? だ、ダメだった?」 「別にダメってわけじゃないっすし、ウチは気にしないっすけど。でも、なんか下心が透けて見えるからあんまいい気はしないって人の方が多いと思うっすよ?」 「そ、そっかぁ……」  し、下心……マジかぁ……ナイスアイデアだと思ったんだけどなぁ……。  薺奈ちゃんを彼女にするために常日頃から考えている『どうしたら好きになってもらえるか』という悩み。それを解決するための、恋愛初心者が必死に編み出す作戦。  今回の作戦は、名付けるなら『誘導尋問作戦』とでも言おうか。  いくら自分一人で考えてもわからないのならば、誰かに知恵を借りればいい。さらに薺奈ちゃんに直接聞くことにより信頼度の高い情報になる。そしてこの作戦の素晴らしいところは、薺奈ちゃんの理想の彼氏像も分かる……かもしれない、ということだ。  だって薺奈ちゃんが『こんなことをすれば彼女が出来るかもしれない』って考えることは、つまり薺奈ちゃんはそれをされたら嬉しいという意味なんだから。  いやぁ、我ながら一石二鳥の素晴らしい作戦を思いついたものだなぁ! ……なんて、そんな風に思っていたというのにまさかの失敗。……ああなるほど。これがその、透けて見える下心というやつか。 「ま、先輩がそーゆ―ことを聞きたくなる気持ちもなんとなく分かるっすけどね」  渾身の作戦がご破算となり意気消沈する俺をよそに、薺奈ちゃんは腕を組んでうんうんと何やら一人で察したようにうなずいていた。  いやはや、何を察したというんだい? 俺の気持ちが分かるって――も、もしかして、薺奈ちゃんのことを好きなのがばれたとか!? 「先輩、モテなさそうっすもんね……」 「そういうことを憐れみながら言うな! はぁ……」  ひとまず俺の評価を犠牲にしたものの、好意がばれることは回避出来たようで何より。  しかし薺奈ちゃんと付き合うために考えてきた今回の作戦だけれど、自信があっただけに失敗した後のことを想定していなかった。これからどうしたものかとすぐさま思考を巡らせてみるが、そんなポンポンと簡単に思いつくはずもなく。どうやら今日のところは諦めて、また新しい作戦を考える必要がありそうだ。 「でも、実際のところどうなんすか?」 「……ん? どうっていうのは?」 「確かに先輩はモテなさそうっすけど、でも冴えない男子が意外と人気っていうのはありえない話ではないっすし。先輩がモテるなんて聞いたこともないし想像もつかないっすけど、でもほら、万が一ってあるじゃないっすか。先輩がモテるって可能性も、僅かながら一応存在しているわけで」  なんだか散々な評価を受けている気がする。 「……うん、そんな限りなく低そうな可能性を考慮してくれているみたいでありがたいけど、事実俺はモテない男子だよ。あはは……ねぇこの話もうやめよっか。俺の傷口が広がる前に」  じゃないと泣いてしまいそうだ。薺奈ちゃんの前で情けない姿を晒すわけにはいかない。 「あー違うっす。勘違いっすよ。そっちじゃなくて、その前の話をっすね」 「その前? 何のこと?」 「いや、先輩が聞いてきたんじゃないっすか。どうすれば彼女が出来るのかって」 「ああそっち……あれ、でもそういうのを聞かれるの、あんまりいい気はしないんじゃなかったっけ?」 「ウチは気にしないとも言ったっすよ」  つまりこれは……まだ作戦は失敗していなかったということか?  なんだ、モテるモテないを言い出したから、てっきりさっきの話はもう終わったもんだと勘違いしてしまった。  ……って待てよ。その話をすり替えたのは薺奈ちゃんだし、もしかして……、 「さては後輩ちゃんよ。俺をからかうためにわざと紛らわしい言い方をしたな!」 「いやぁ、先輩の反応が面白くってつい……」 「後輩ちゃん!」 「……てへっ!」  ぐ、くぅっ、出たなそのポーズ……!  頭にこつんと手を当て、舌をちょろっと出してウィンクする仕草で、薺奈ちゃんの得意技。あざといながら可愛いと思ってしまうから、つい照れて強く言えなくなる。これが惚れた弱みというやつか……。  今までも、薺奈ちゃんが俺をからかうたびに文句を言おうとするのだが、毎回これをやられて何も言えなくなり、なし崩し的に許してしまうのだ。薺奈ちゃんも味を占めていることだろう。現に今回も許してしまったのだし。 「ま、まぁ? 俺も先輩だし? 後輩ちゃんのお茶目だって大目に見てあげるけれど?」 「はぁぁ、相変わらず先輩はチョロいっすねぇ。チョロい先輩、略してチョロ先っす」 「その不名誉な呼び名は看過できないからな……っ」 「あぁん、許してくださいっすよせんぱぁ~い! お詫びにほら! さっきの先輩の相談にも乗るっすから! 彼女、欲しいんすよね!」 「相談に乗ってくれるのはありがたいけどさ……」  むぅ、いかんいかん。これじゃまた薺奈ちゃんのペースだ。  俺の最終的な目標は薺奈ちゃんと付き合うこと。  この相談で彼女の作り方だけでなく、薺奈ちゃんの好みも把握したい。そのためにも、可能な限り会話の主導権を握っておく必要があるだろう。  しかし主導権を握ると言ってもどうしたらいいんだろう……主導権、主導……とりあえず、俺の方から話を振っていけばいいかな? 「よし、それじゃあ後輩ちゃん。改めて聞くけど、どうすれば彼女が出来ると思う?」 「知らねっす」  終わっちゃったよ。  主導権を握るはずの会話が一瞬で終わっちゃったよ。 「いや後輩ちゃん! さすがにそんな一言で済まされるのはやるせないんだけど!」 「んなこと言われてもっすよぉ。さすがのウチでも、先輩の恋愛事情を全く知らないのに何かアドバイス出来るわけがないじゃないっすか」  な、なるほど? 一理ある……のか?  つまり薺奈ちゃんは、いきなり『どうすれば彼女が出来るのか』って問題を解決する前に、俺が恋愛に対してどんな考えを持っているか、知る必要があると言いたいのか。 「それなら後輩ちゃん、その俺の恋愛事情とやらを知るために何でも聞いてくれよ」 「んじゃはい質問っす! 先輩ってモテる?」 「だからモテないって何回同じことを言わせるんだ!」  話が振出しに戻った。 「ねぇ後輩ちゃん。今の質問をする必要は本当にあったかい? ただ俺の心を傷つけただけじゃなくて?」 「これを確認しておくのは大事なことっすよ! 今後の方針を決めるための簡単な目安になるんすから! ……まあ分かり切ってたことなんで、別に改めて聞く必要もなかったんすけど」 「おい最後。ぼそっと言ったつもりだろうけどばっちり聞こえてるからな」  咎めるようにそう言えば、薺奈ちゃんは悪びれる様子もなく、ペロッと舌を出して、 「てへっ!」  だからそれはずるいって。
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