第一章 その三

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第一章 その三

「――ずばり、先輩はうちみたいな女子が好きなんすね!」 「ちょっ――!? は、はぁぁああ!?」  どうしてこの子はこうもすぐに答えにたどり着けるのだろうか。実はテレパシーで俺の心が読めたりするの?   ……いやこれ完全に俺のせいか! 笑顔が似合って明るくて、俺より少し背の低い茶系の髪って、完全に薺奈ちゃんになってるじゃないか! 「ち、違うんだよ後輩ちゃん! それはそう言うことではなくて! ど、どっちかと言えばってだけで別に後輩ちゃんのことを言ってるわけでは!」 「もー、ほんの冗談っすよ、じょーだん。何慌ててんすか?」  愉快そうに、そんなことを白状する薺奈ちゃんであった。なんて心臓に悪いからかい方をするんだまったく。  寿命が軽く十年は縮む冗談だったが、なんでも聞くところによれば、こんなふうにからかわれるのを歓迎に思っている輩もいるんだってさ。そいつの名前は紗倉奏汰って言うらしい。奇遇なことに俺と同じ名前である。 「後輩ちゃん、この話題はもうやめておこう。俺の好きなタイプって言っても、好きになる子がそのタイプに絶対当てはまるってわけでもないじゃん?」 「む……まあ確かにそうっすね」 「だからほら、タイプで絞って視野を狭めるのもあれだし、他の観点から彼女を作るにはどうしたらいいか考えてみようよ」 「なんだか色々とはぐらかされている気がするっす」 「き、気のせいさ」  この話題を続けていたらいつボロを出してしまうかわかったもんじゃない。早いとこ違う話題にすり替えなければ。 「でもこれだと、先輩の好きな女子はどういう子になるのか、いまいち謎のままっすね」 「まあそうなっちゃうね。実際、明確にこれだっていうのがあるわけじゃないし」 「ここまでの話をまとめるとっす。先輩はモテなくてもいいから彼女が欲しく、でも好きな子はいないし好きなタイプもわからない……と」 「……なんかそう聞くと、彼女を作るのも前途多難そうだな」 「まあ、ぶっちゃけ舐めてんのかって感じっすね」  ぶっちゃけすぎだよ。 「別に舐めてたつもりはないけど、ここまで彼女を作るのが難しいとはね。思ってもなかったよ。まさかきっかけになりそうなことすら思いつかないとは」 「彼女にしたい好きな子がわからないんじゃ、方針の立てようもないっすからね。例えるなら、志望校どころか文系理系も決めずに受験勉強をするようなもんすよ。何から手を付ければいいのやら」 「……つまり、彼女にしたい子がどんな子なのか分かれば、ある程度この膠着した状況が進展するってことかい?」 「そりゃぁ何もわからないのとは全然違うっすけど……でも先輩、好きな子もいないし好きなタイプもわからないんじゃなかったんすか?」 「え、えっとだね、そのぉ……」 「あっ! もしかして本当は気になる人がいるとか!」 「いやその、だからそれは……」  君だよ! 好きな子も好きなタイプも薺奈ちゃんだよ!  心の中で叫ぶが、実際にはそんなことは言えない。言えるわけがない。これじゃ相談を飛び越えて告白になってしまう。薺奈ちゃんに告白する心の準備など、まだ俺には出来ていないのだ。  もし口にしてしまったら最後、薺奈ちゃんが冷めた目で『えぇ……ごめんなさい、紗倉先輩のことをそう言った対象として思ったことはないです』って口調も呼び方もすんごい距離感のあるフラれ方をするかもしれないと思うと――あ、ダメだ死にそう。というか死にたい。想像しただけなのにショックでどうにかなっちゃいそう。  うん、やはりまだ告白するのはダメだな。するのなら、もっと薺奈ちゃんの好感度を上げてからじゃないと。 「あのー、先輩? どうしたんすか? そんな急に固まって」  待てよ。それなら馬鹿正直に言わないで、薺奈ちゃんの性格をそれとなく遠回しに言えばいいのかも――いやダメだ! それは罠だ!  一見よさそうな考えに思えるが、相手はあの薺奈ちゃんだと言うことを忘れてはいけない。そんな迂闊な真似をしたら、すぐに本当のことがばれてしまうに違いないのだ。  さっきだって薺奈ちゃんは、俺が漏らした僅かな情報で、俺が好意を持っていることを暴きかけたばかり。あの時は性格の他にも見た目や仕草の情報があったとはいえ、やはりばれる可能性があるなら避けなければ。 「おーい、せんぱぁーい? 聞こえてるっすかぁー?」  よし、それなら薺奈ちゃんとは全く違う性格を言えばばれる危険はないはず――って、なんの意味があるんだそれは。薺奈ちゃんとは全く違うタイプの女子を彼女にする方法を知ったところでどうするんだ。  いや、もちろん知れるのならぜひとも知りたくはあるけど、それ以前に薺奈ちゃんからそれを聞きたくないというか、あまり気が進まないというか……うまく言えないけれど、過ぎた表現が許されるのであれば浮気をするような後ろめたさがある。 「むぅ…………よいしょっと」  浮気うんぬんはさすがに過剰表現だろうけど、それを抜きにしても嘘をつくのはやめるべきだろう。というのも、やはり好きな子に、俺が他に好きな子がいるって誤解をされたくないのだ。自分の好意がばれることは恐れるが、逆に行為に全く気付いてくれないのも寂しいと思うのは俺だけか、それとも思春期男子共通の残念な性か。  こうして考えていること自体、もうすでに薺奈ちゃんとは関係のないところへ飛躍している感は否めないが、女の子との交流が少なく女心など欠片もわからない俺としては、どうしても自分本位な考えになってしまって―― 「……せーんぱいっ。ふぅー……」 「ぉぉおおおおッ!?」  自分の世界に一人旅行していた意識が、突如耳元で発生した優しく生暖かい風で正気へと戻される。 「もうっ、無視するなんてひどいっすよぉ!」  慌てて顔を向ければ、いつの間に移動していたのだろうか、すぐ隣でふくれっ面をした薺奈ちゃんが、上目遣いでこちらを見ていた。  か、かわい……じゃない!  ふーって! 耳にふーって! 「なっ、何をするんだいきなり!」 「先輩が無視するからいけないんす! ウサギとウチは寂しいと死んじゃうんすよっ!」 「俺の気を引くよりもからかう意味合いの方が高い手段だった気がするんだけど」 「そりゃ、ただこっちに気づかせるだけじゃ面白くないっすからね! いいリアクションだったっす、先輩!」  面白くないからって……それだけでこんな大胆な手段を選ぶ辺り薺奈ちゃんらしいと言うかなんというか。こういうのを小悪魔系女子って言うのだろうか。いやまあ、あの耳が痺れるようなゾクゾクした感覚も案外悪くなかったというか、むしろもう一度お願いしたいと思うような快感が――おっといけない、これ以上考えるのはよそう。後戻りできなくなりそうだ。 「くっくっく、先輩は耳が弱点なんすねぇ~」 「な、なんて不穏な笑い方……先輩をからかうのは感心しないぞ」 「さぁって何のことやら」  はぐらかす気もないようなはぐらかし方に思わずため息が出る。しかし文句を言う気も起きず、薺奈ちゃんだしまあいいかと簡単に許してしまう。俺も随分薺奈ちゃんに甘いものだ。 「新聞部の友達に教えて記事にしてもらうっす」 「それはやめろぉッ!」  いくら甘かろうと許容できないこともある。というか誰が読むんだそんな記事。  さすがにそんな公開処刑にも等しいことをされるのを見逃すわけにはいかず、心を鬼にして対薺奈ちゃん用の切り札を使用する。 「そんなことしたら、部長権限で明日から部の活動内容を強豪校の野球部並みに厳しくするからな!」 「んなぁっ!?」  俺の宣言に、薺奈ちゃんはショックを受けたように叫び声をあげた。  テーブルゲーム部。それが俺と薺奈ちゃんが所属している部活。二人だけの部活動。  しかしその実態は、特に活動らしい活動をしていない、放課後をだらだら過ごすだけの部活だ。  そんな無気力な部活になぜ薺奈ちゃんが、ついでに俺が入部したのか。それはもちろんテーブルゲームが好きだから――ではない。  最大の理由、それは俺や薺奈ちゃんの通うこの高校では、部活に入部することが強制されているのだ。  部活には入らなければならない。だがしかし、放課後は自由を、青春を謳歌したい。  そんな二律背反の葛藤を抱える若者にとって、活動しない部活動たるテーブルゲーム部はまさにオアシスとも言える場所なのだ。  まあそんなわけで、のんびり放課後ライフを人質に取られることは、薺奈ちゃんにとっては死活問題であり……俺にとっても諸刃の剣の、最終手段であった。  ……ところで強豪校の野球部並みに厳しいテーブルゲーム部の活動って、いったい何をすればいいんだろう。 「ず、ズルいっす先輩! ウチの平穏な放課後を脅かすなんて! 職権乱用っす」 「いや、平穏を脅かされたのは俺が先なんだけど」  全校生徒に耳が弱点だなんてばれてみろ、変な噂が立つに違いない。もしかしたら二人は付き合っているのではないかとか……あれ、そう考えると悪くないな。 「くっ、ぐーたら放課後タイムを引き合いに出されちゃ、引かざるを得ないっす……」  薺奈ちゃんが諦めたことで、残念ながら噂が立つことはなさそうだけど。 「というか、何の話してたんでしたっけ? 先輩のせいで忘れちゃったじゃないっすか」 「え、俺のせいなの? 何の話ってそりゃあ……」  ……何だっけ? 確か薺奈ちゃんに耳をふぅーっとされて……お、思い出したらまた耳が熱くなってきた。しばらく頭からは慣れそうにないな、あの感覚は。  しかしあれだな、あの耳ふーと言い、今も隣に移動してきていることと言い、なんだか今日はいつもより薺奈ちゃんの距離が近い気がする。  俺にとっては大歓迎だけれど、はたして最後まで理性が持つかどうかが問題だ。もしもまた耳ふーと同じか、それ以上の快か……もとい刺激を受けたら、とてもじゃないが耐えられる気が―― 『――先輩。奏汰先輩』  この声は……? ま、まさか! 『聞こえるっすか? 奏汰先輩』  顔を上げるとそこには、天使の羽が生えた制服姿の少女がいた……ように見えた。  薺奈ちゃんと同じ顔に同じ声。そして何よりも『奏汰先輩』という呼び方。……間違いない、いつだったか思春期をこじらせた俺の残念な頭が生み出した、偽りながらも理想の存在、脳内薺奈ちゃんだ。  俺がその姿(幻)を認識すると、脳内薺ちゃんは諭すような口調で言葉を投げかけてきた。 『冷静に考えてみるっす。もし劣情に駆られてウチに襲い掛かったらどうなるかを』  なるほど。自分の行動がどんな結果を生むのか考えさせることで、正気を保たせようというわけか。  もし俺が性欲に負けてしまったら……最低でも世間からは後ろ指をさされ、両親や妹からも白い目で見られる生活を余儀なくされるだろう。  ……だけど、なんとも度し難いことに、それでも本望だと主張するもう一人の悪い自分も存在してしまっている。 『奏汰先輩。あなたは一つ、忘れていることがあるっす』  忘れていること……? 『大事なのは奏汰先輩自身のことではなく、ウチがどんな気持ちになるかじゃないっすか?』  ――――っ! 「あぁっ! 思い出したっす!」 「……そうだ、そうだった。思い出した」  重要なのは俺が周りからどう思われるかではなく、薺奈ちゃんがどう思うかじゃないか。どうして俺はそんなことにも気づけなかったんだ。 「先輩に気になる人がいるって話っすよ!」 「バカだな、俺……なんて大事なことを忘れていたんだ」  危ないところだった。自分のことしか考えず、薺奈ちゃんを傷つけてしまうところだった。  薺奈ちゃんの嫌がることをするなんて、俺にとっても不本意である。もし行動を起こしてしまったら、俺は俺を許せないだろう。 「俺はなんて許されざることを……人間として、男として失格だ……」 「……え、そこまで自虐することっすか?」 『そこまで自分を卑下することはないっす、奏汰先輩。あなたは気づけたじゃないっすか』  な、薺奈ちゃん……! こんなケダモノ以下の俺を許してくれると言うのか……! 「まぁいいっす。先輩が意味わかんないこと言うのはいつも通りっすからね。んで、話を戻すっすけど」 『いいのです。人は過ちを起こす存在っす。それに、つい感情が空回りしてしまうのが奏汰先輩の奏汰先輩らしさっすから』  薺奈ちゃん……俺って奴は……俺って奴はぁ……! 『もう大丈夫っすね? 奏汰先輩』  ――ああ、もちろんだ。 『もう間違いを起こそうなんて思わないっすね? 奏汰先輩』  ――ああ、もちろんだ! 「つまり先輩は、気になる人がいるってことっすね?」 「ああ、もちろんだ!」 「キャーッ! やっぱりっすか!」 「……………………あれ?」  ん? あれ?  ……あれぇ!? 「だれだれ? 誰っすか! 素直に教えるっすよ先輩!」 「待ってちょっと待って!? おち落ち着いて後輩ちゃん近い近い!」  興奮したように身を乗り出した薺奈ちゃんの顔が、目の前に顔が突き出される。  と、取り乱すな冷静になれ俺! 脳内薺奈ちゃんの言葉を思い出せ!  もう大丈夫だってさっき約束したばかりなんだからああごめん無理なんかドキドキしてきたうわぁいい匂いする! 「ち、違うんだ後輩ちゃん。そもそも俺には好きな人がいないって、さっき結論付けたばかりじゃないか」 「えぇー! 気になる人がいるかって聞いたら『もちろんだ!』って、今言ったじゃないっすかぁ」  どうするどうするどうすればいい!?  なんて言えばこの状況を乗り切ることが出来る!? 「す、好きな人も気になる人もいない! いないったらいない!」  混乱して思考もまとまらないままに口から出た言葉は、言い訳と言うにはあまりにお粗末な物であった。これでは簡単に言い返されてしまうと自分の口下手さ加減に嫌気がさすが、しかし薺奈ちゃんはなぜか顔を伏せて何も言ってこない。ただ、身体をわずかに震わせていた。 「そんな……じゃあ先輩は、ウチに嘘をついたってことっすか……? ひどいっす、ショックっす。ウチは悲しいっす……くすん」  聞こえて来たのは、そんなか細く儚い声。  ま、まさか……泣かせて、しまった? ……俺が? 薺奈ちゃんを?  ――泣かせてしまった!?  な、なんてことをしてしまったんだ俺は! あろうことか女子を、好きな子を泣かせてしまうだなんてっ! 決して許されることではないぞ紗倉奏汰!  とにかく薺奈ちゃんの涙を止めなければ……でもどうすれば……っ。 「ぐすっぐすっ、先輩に嘘つかれたっす。ウチは傷ついたっす、ぐすん」 「う、嘘とかじゃなくて、えと、気になる人というかなんというか……」  薺奈ちゃんは俺の嘘が原因で泣いてるっぽいし、えーっと気になる人がいないって誤魔化しつつ嘘をついてないってことも説得するには……。 「……か、可愛いと思う人はいるかなぁー! な、なーんて!」  これ以上の言葉が出てこない自分の頭が憎い! で、でも一応、すすり泣くような音は止んだような……ど、どうだ?  恐る恐る様子を窺っていると、薺奈ちゃんは伏せていた顔をゆっくりとあげて―― 「なぁーんだ! それならそうと早く言ってくれっすよぉ!」  ――眩しいくらいの、とても素晴らしい笑顔を見せてくれた。 「あの……後輩ちゃん? 泣いてたんじゃ……」 「そーんなのウソ泣きに決まってるじゃないっすかぁ! もうっ、先輩ったら簡単に騙されちゃってぇ! さすがチョロ先っす!」 「…………ウソ泣き?」 「はいっす! てへっ!」 「……………………は」  ――ハメられた!
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