第一章 その四

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第一章 その四

「同じ学校っすか? 同じクラスっすか! 写真とか持ってないんすか!?」  さっきまであんなに悲しげな雰囲気を醸し出していたとは思えない程に、嬉々として詰め寄って来る薺奈ちゃんがそこにいた。 「……一つ聞いていいかな後輩ちゃん」 「なんすか先輩」 「そんなに俺を騙せたことがうれしいかい?」 「もぉーちろんっす!」  そりゃあもう最高の笑顔でそう言い切る薺奈ちゃん。なんかたまにどうしてこの子を好きになったのかわからなくなる時がある。今とか。あんなに自己嫌悪して贖罪に必死になっていた俺は一体何だったのだろうか。  ……まあ、それでも結局許しちゃうんだけど。 「ひとまず落ち着こうか。ほらちゃんと椅子に座って」 「おや? 意外と冷静っすね先輩。てっきりまた誤魔化してくると思ってたんすけど」 「何を言ってるんだ。俺はいつだって冷静沈着な、頼れる先輩じゃないか」  やれやれまったく。もう少し先輩に対して敬意というものを持った方がいいぞ。  確かに言われた通り、もし普段であれば焦って慌てて何とか場を濁そうとしていたところだろう。  だが今日はもう、既にこれでもかというほどに焦りも慌てもしたんだ。もはや可愛いと思う子をぶっちゃけることくらい、今の俺にとってはなんてことない。気になる子がいる発言に対するカモフラージュとしても十分だろう。 「確か写真があったっけな……ちょっと待ってね」 「え、マジで写真持ってたんすか。こう言っちゃアレっすけど、どうせ先輩のことだから女子の写真なんか持ってないんだろうなぁーって思ってたっす。女子にその手のお願いをするなんて出来なさそうっすし…………もしかして盗撮?」  スマホを取り出し目当ての写真を見つけたところで、そんな失礼にも程がある疑いをかけられる。どうして真っ先に出て来る考えが盗撮なんだ。俺ってそんなに女子に飢えているように見えるの? 「そんなわけないだろ……中学の時からの同級生なんだよ。ただ写真を撮ってくれって、カメラマン役を頼まれたことがあっただけだ」  身の潔白を証明しながら、薺奈ちゃんに見せるための写真をスマホの画面に表示する。焦げ茶色の髪を短めにまとめた、活発そうな笑顔の少女と、それに腕を引かれて困ったような笑みを浮かべた、黒髪ストレートの清楚な少女――そんな二人が映った写真だ。 「この写真の右側に写ってる黒髪の子が西木さんっていうんだけど――って!?」 「んしょっ……と。どれどれ」  写真を見せるためにスマホを渡そうとしたところで、薺奈ちゃんはそれを待たずに俺が手に持っているスマホを横からのぞき込んできた。  さほど大きいわけでもないスマホの画面を二人で見ようとすれば、身体を寄せなければならないのは道理である。  距離を詰め、顔を近づけ、寄りかかるように身体を寄せて、小さな世界を二人で共有する。  そして――そこまで近づけば、身体が触れてしまうのも必然のこと。 「~~~~ッッ!?」 「おー確かに可愛い人っすね。にしても黒髪ストレートって、今どき珍しい真面目さんっす」  思わず、背筋が伸びる。手足の指先まで筋肉が緊張し、身体が固まる。  そっとゆっくり触れた肩。そこからワイシャツ越しに伝わる薺奈ちゃんの体温を感じ、一気に心臓が暴れ始めた。 「この西木さんって人は、どんな人なんすか?」 「ぅあ……んぇ、っと……そ、その……あ、温かい、です……」  カラカラの喉から絞り出すようにしてどうにか出した言葉は、質問に対する答えではなく、なんとも劣情と本能に正直な『感想』であった。 「んー? 母性とか包容力みたいなもんすか?」 「そ、そんな感じ……です」  落ち着け、心を乱すな。  落ち着いて接触部位に意識を集中させ伝わってくる体温を脳内フォルダに保存させることを最優先に――違うそうじゃない。落ち着けって。  今のは薺奈ちゃんが都合よく解釈してくれたおかげで助かったが、もし本当に考えていたことがばれて気持ち悪がられていたら、俺を立ち直れないほど心に傷を負っていただろう。そうならないためにも、慌てず騒がず、堂々としていなければならない。  自分に暗示をかけるように言い聞かせ、上っ面だけでも平静を取り戻す。  オーケー大丈夫。視界良好、感度抜群、思考クリアオールグリーン。  右肩から二の腕にかけて検知した熱は脳内フォルダへ。 「ごっほん! えー、その西木さんは中学から学校が同じでね。真面目だし勉強もできるし、何よりみんなに優しいから、男子にも女子にも人気なんだよ」  西木さん――フルネームは西木(にしき)詩想(しそう)。  成績は優秀で中学時代には生徒会にも所蔵しており、教師からの覚えもいい。運動神経もよく、まさに文武両道を体現した大和撫子女子だ。  しかも奥ゆかしい彼女は自分の優秀さを鼻にかけることもなく、嫌みったらしい部分もないので人望も厚い。整った顔立ちと誰にも隔たりなく接する優しさには、多くの男子が彼女の虜になったことだろう。 「えぇ、完璧女子じゃないっすか。本当にその西木先輩は先輩にとって可愛いと思う人どまりなんすか? 普通好きになるっすよこれ」 「いや、西木さんとあまり話したことがなくて……どちらかというと高嶺の花って感じかな」  もしも西木さんともっと会話をする機会があったとしたら、確かに好きになっていたかもしれない。しかし女子に話しかけるなんてハードルの高い行為は、俺には少し荷が重いのだ。  しかも数少ない話す機会というのも、俺の妹が西木さんと同じ生徒会に所属していたから偶然出来ただけで、もし妹が西木さんと仲良くなければ、俺は中学も今も彼女と会話をすることが出来ないでいたに違いない。 「あーでも確かに。そんなにモテるんなら、話しかけても相手にされないかもしれないっすね」 「西木さんの性格的に、相手にしないなんてことはないだろうけど……まあ、恋愛的な意味では眼中にもないだろうね」  ――え、えーと……紗倉君は……や、優しい人だよね。  あの時の言葉は、だからそう言うこと。  頻繁に告白を受ける西木さんには、あの時の『紗倉奏汰をどう思うか』という質問が、『異性として』という意味を含んでいることに気づいていたのだろう。  しかし優しい彼女はそこで『なんとも思ってない』なんてバッサリ切り捨てることは出来ず、俺を傷付けないよう当たり障りのない返答で濁したのだ。 「ところで先輩、西木さんの隣に写ってるもう一人はどちらさんっすか? この人もなかなか可愛いと思うんすけど」  西木さんの恋愛観を勝手に想像し、そして中学時代に得た評価を思い出して少しブルーになっていたところで、薺奈ちゃんが写真を指差してそう聞いてきた。 「ん、ああ、そいつは翠泉(すいせん)彩芽(あやめ)って名前の、西木さんとは違う意味で皆から人気のある女子だよ」 「人気っていうと、この翠泉先輩とやらもモテモテなんすか?」 「だから西木さんとは違う意味だって。まあ彩芽が人気者であることは間違いないけど」 「せ、先輩が女子を名前呼び! これは西木先輩よりも翠泉先輩が本命の予感!」 「だからこいつはそう言うのとは違うんだって……」  翠泉彩芽。  本人曰く地毛らしい焦げ茶色の髪を『長いと邪魔だから』との理由で短くまとめた、非常にさっぱりした性格の女子である。  誰に対しても遠慮をせず、つまり『人によって接し方を変える器用さ』を持っていない彩芽だが、言い換えればそれは『相手によって態度を変えない、裏表のない性格』だとも言える。  そんな彼女には、男女問わず友達が多い……というより初対面でかなりフレンドリーに接してくるため、気づいたら友達になっている。まだ出会って間もないころにいきなり下の名前で呼ばれて、つい『こいつもしかして俺のこと……!』と思いかけてしまったくらいだ。そのすぐ後に、彩芽は人を基本的に名前で呼ぶのだと知ったため、勘違いはしないで済んだが。  一言で言うなら、翠泉彩芽という女の子は、俺にとって唯一の女友達である。 「写真を見れば分かると思うけど、人との距離がかなり近いんだよ、彩芽って。物理的にも精神的にも。近すぎて性別の壁を乗り越えてくるって言ったらいいのかな。表現するなら、まさに『友達以上恋人未満』って関係が一番しっくり来る」 「そんなに仲良しならもう告白しちゃえばいいじゃないっすか。オーケー貰えるんじゃないっすかね」 「ははは、それは無いな。うん、無い」  薺奈ちゃんがそう言うなら、確かにそうかもしれないと言いたいところだが、これに関しては自分の考えが正しいと自信をもって言える。  言うまでもないが、そもそも俺の好きな子は薺奈ちゃんであって、それ以外の女の子に告白するつもりなんてない。それを抜きで考えるとしても、告白してもフラれると分かっている相手に告白するような趣味はないのだ。 「直接じゃないけど、本人に言われたんだよ。『ずっと友達だ』ってね」 「あー……『ずっと』っすか」 「うん……『ずっと』だって」  一見、とても好意的に思われているようにも思える。  しかし実際には『それ以上になるつもりはない』と言われているも同然であり、俺は告白すらしていないのに彩芽にフラれているのだ。なんて理不尽。 「――って、直接言われてないなら、どうしてそんなこと知ってんすか?」 「友達に頼んで聞いてもらったんだよ。自分から『俺のことどう思ってる?』なんて、俺が直接聞けるわけがないだろ」 「うわー先輩らしー。……あれ、でも…………直接言ったわけじゃないなら…………普通正直に言わないし…………それならもしかして…………」  呆れながら小バカにした顔をする、なんて器用な真似をしたかと思いきや、薺奈ちゃんは顎に手を当ててぶつぶつと何かを考え始めた。 「後輩ちゃん? どうしたの?」 「あ、いえ、なんでもないっす。気にしない気にしなーい!」  そう言いながらぱたぱた手を振る薺奈ちゃんは明らかに何かを隠している様子だったけど、聞いたところで教えてはくれないだろうし、気にしないでおこう。 「ちなみに先輩は、二人とも可愛いと思うだけで気になってるわけじゃないんすか?」 「――っ、う、うん。何度も言うようだけど、気になる人はいないからさ」  もう一度写真を見ようと薺奈ちゃんが隣からスマホをのぞき込んできて、不意打ちで縮まった距離にまたドキッとしながらそう答える。 「じゃあこの二人のどっちかを彼女にしたいとも思ってないってことっすか? 可愛いとは思ってるのに?」 「可愛いと思うのと、彼女にしたいと思うのは違うからね」  もし薺奈ちゃんに一目惚れしていなかったら、どちらかを好きになっていたのだろうか。  人を一目惚れで好きになる単純な自分が、人を『可愛いから』や『仲がいいから』だけの利湯で好きになる可能性。  そんな『もしも』が思い浮かび、しかし今は関係のない事だと頭から追い出す。 「しっかしこの二人も違うとなると、いよいよ先輩がどんな子を彼女にしたいのかわからないっすね。もうお手上げっすよぉー」  写真を眺めるのも飽きたのか、机にもたれかかった薺奈ちゃんは疲れたような声を上げる。 「そこをどうにかしてくれるのが後輩ちゃんの役目なんじゃないか。何のために俺がこんな相談をしていると思ってるんだよ」 「えぇ……ウチにそんな期待されても困るんすけど」  今日何度目かわからない呆れた眼差しを向けられる。  でも俺知ってるよ。なんだかんだ言いつつ、薺奈ちゃんは俺の為になんかいい感じのことを考えてくれるって。薺奈ちゃんは俺にとっての救世主ジャンヌ・ダルクになってくれるって。 「そうっすね……こんなのはどうっすか?」 「その自信ありげな顔……どうやらナイスなアイディアが閃いたようだね、後輩ちゃん」 「ふっ……もちろんすよ、先輩。これ以上ないほどナイスアイデアっす」  もう思いついたのか。さすが薺奈ちゃん。 「もう諦めましょ?」 「よくそんな無慈悲なアイディアを自信満々に言えたな!」  彼女にしたいと思っている本人から言われると、より一層残酷に聞こえる。 「だってだって先輩さっきからあれも違うこれも違うばっかじゃないっすか! そんなんで彼女とか出来るわけがないじゃないっすか! どんだけわがままなんすか!」 「ご、ごめんなさい」  言い返す余地もないほど心に突き刺さる正論だった。  で、でもしょうがないじゃないか。彼女にしたいのは薺奈ちゃんなんだから。それを本人に言うわけにはいかないし……。 「やっぱ、どんな彼女が欲しいのかが少しでもわからないと手の施しようがないっすね」 「どんな彼女が欲しいか、か……」  ここで好意がばれることを覚悟して、薺奈ちゃんの性格を答えるか。  それとも当たり障りのない答えで場を濁すべきか。  本来の目的、つまり『どうすれば薺奈ちゃんを彼女に出来るのか』を追い求めるなら、前者を選ぶべきではあるけど……。  いや待てよ。それなら俺が答えるより、もっといいのがあるぞ。 「参考までに聞くけど、後輩ちゃんはこういう彼氏が欲しいっていう願望はあるの?」  参考までに――これを頭に置くことで、やましい気持ちがないアピールが出来る便利な言葉である。うん、今のは会話の流れ的にも怪しまれずに、ごく自然に聞くことが出来たんじゃないかな。自分を褒めたいくらいだ。  そしてこれなら、薺奈ちゃんの好みを把握することができる。 「ウチっすか? ウチはぁ――も~ちろん、先輩みたいな人がいいっす! キャハッ!」 「俺をからかってるのはよくわかった」  残念ながら薺奈ちゃんの返答はまじめな答えではなく、からかうことが目的の冗談であった。そううまくはいかないものだ。  ……どうしよう、からかわれているのは分かっているんだけど、それでもすごく嬉しいぞ。顔、にやけてないよな? 「ぶー、冷めた反応っすねぇ。可愛い後輩がこぉんなに愛らしいこと言ってるんすから、もっと喜んでくれてもいいじゃないっすかぁ」 「自分で言うことじゃないよね、それ」 「ぶーぶー」  口をとがらせて子供っぽく不満を訴える薺奈ちゃん。ついご機嫌取りに奔走したくなる。  さてそんなついついかまってしまいたくなるわがままお姫様は、しばしの間机に突っ伏し、『あー』だか『うー』だか呻くように音を発した。  いったい何をしているんだと観察していると、机に伏せたままの体勢で薺奈ちゃんは顔を横に向ける。  そして横向きにこちらを見上げる薺奈ちゃんとパチッと目が合い、 「なら、先輩」 「ん? なんだい後輩ちゃん」  にやり、といたずらっ子のような笑みを浮かべると、 「そんなに彼女が欲しいなら――――ウチと付き合ってみるっすか?」  とんでもない爆弾が落とされた。 「……………………え」 「どうっすか先輩? ウチが彼女になってあげましょうか?」 「え、え――ええぇェエエエエ!?」  まじかまじかマジで!?  いや落ち着け俺! そんなうまい話あるわけがないだろ! 「ま、また俺をからかってるのかい後輩ちゃん!?」 「むぅ、ひどいっすね先輩。女の子にこんなこと言わせておいて、それを信じないなんて」  頬を膨らませ、ムッとした表情を見せて来る。  これはまさか……本当の本当に?  ゆ、夢じゃないよな……?  出会ってから三か月、ついに俺の思いが成就する瞬間が訪れるなんて……! 「ウチが彼女じゃ、嫌っすか……?」 「うぇっ!? い、いやっそんなことはっ!」  急激に早まる心臓の鼓動。  緊張と混乱でうまく舌が回らない。  しかしこんな願ってもないチャンス――いやもはやゴール、逃すわけにはいない! 「お……俺は」  そうだ! 言え! 『付き合いたい』っていうんだ俺!  ごくり、と。  つばを飲み込む音が、やたらと大きく聞こえた気がした。 「先輩……せんぱい、ウチ……」  うるんだ瞳で、頬をほんのり赤く染めた薺奈ちゃんがゆっくりと顔を近づけて来る。 「こ――後輩ちゃんっ」  薺奈ちゃんの顔が、もう触れてしまうそうになるほど近くにある。薺奈ちゃんはそのまま俺の耳元へそっと口を近づけると―― 「……なーんて。冗談っすよ」  囁かれた言葉を、すぐに理解することが出来なかった。 「……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………は?」 「ぷっ……くふふ……あははははは! もー先輩慌てすぎっすよぉ! 冗談に決まってるじゃないっすかぁ!」  じょ……冗談?  えーっと……つまり……また、ハメられた? 「ち…………ち、チ――――」  ――――チクショォォオッ!  なんて――ッ、なんて残酷なことをするんだ!  どうしてこんなひどいことが! 俺の繊細でピュアなハートを弄ぶなんて! 「後輩ちゃん! 君って奴はァッ!」  今日という今日は! さすがの俺でも怒るぞ! 「ごめんなさいっす! てへっ!」  大声を上げる俺の前で、そう言って舌をちょろっと出す薺奈ちゃん。  ウィンクする彼女を見て、毒気を抜かれ思わず言葉が詰まる。  ――――まったく、薺奈ちゃんめ。これだけ人をからかっておいて悪びれる様子もないなんて。俺じゃなかったらこっぴどく怒られているところだぞ。  だがまぁ……その可愛さに免じて、今日のところは大目に見てやろう。  なんたって俺は薺奈ちゃんに甘い、チョロい先輩からな。  ショックも怒りもどっかに飛んでいき、残ったのは大きな疲労感と敗北感。  結局のところ、今日の『どうしたら彼女が出来るのか』という相談ではこれと言った進展はなく。今回の『質問カモフラージュ作戦』はいつも通りに……いや、いつも以上に惨敗という結果になったのであった。  そして、わかったこと……というか、再認識したことが一つだけ。  やはり、薺奈ちゃんには敵わない。
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