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第二章 その三
懸念が実現しようとしている危機的状況。彩芽に組み伏せられながら、頑張って声のした方向を確認しようともがく。場合によっては口封じする必要もあるからな。きちんと目撃者の正体を暴いておかないと。
人の記憶を消すのに、罪に問われない合法的な手段って何かあったっけ? と、脳内検索しながら目を向けて。
しかしそうして見つけた目撃者の姿を見て、俺はこんな状況の中でありながら、ほっと胸をなでおろした。
ぱっちりとした目、長いまつげ。柔らかそうな桜色の唇。透き通るような白い肌に艶のある長い黒髪。すらっとした手足はまるでモデルのようで、みんなと同じ制服を着ているはずなのに、一人だけファッションショーをしているかのごとく輝いて見える。
まるで物語の世界から抜け出してきたお姫様。そんな可憐さを持つ、この学校で一番の有名人。ああよかった、彼女ならいたずらに言いふらしたりしないと安心できる。
「違うんだ西木さん。これは君が思っているほど、愉快な遊びじゃないよ」
「う、うん? よくわからないけど、喧嘩しているわけではないんだね?」
問題。目撃者の正体、だーれだ?
答え。それは西木さんでした、ちゃんちゃん。
……いや、別にそんなオチをつけるような事でもないのだけれど。
「ほらっ、彩芽。女の子がそんなはしたない真似したらダメじゃない。紗倉君も困ってるよ」
「うわぁぁああん! だって奏汰がアタシをイジメるんだよぉ!」
腕を引かれて立ち上がった彩芽は、そのまま西木さんに抱き着きぐりぐりと胸に顔をうずめて泣きついた。
まったく、イジメだなんて事実無根なこと言いやがって。それに西木さんに抱き着いてあんなことまで…………う、うらやましい。
「うううぅ~しそぉ~」
「きゃっ! ちょ、ちょっと彩芽、くすぐったいよぉ」
恥ずかしそうな顔をしながらも、西木さんは『しょうがないなぁ』といった表情で彩芽の頭を撫でる。……いいなぁ、俺もあんな感じて薺奈ちゃんに甘やかされたい。というか薺奈ちゃんの方から甘えてきてほしい。
「あっ、そうだ! なぁ奏汰、詩想ならモテモテになる方法を知ってんじゃないか?」
「お、確かに。頭いいな彩芽」
「へへっ、まあな!」
「も、モテモテ?」
ひとしきり頭を撫でられ満足した彩芽は、その場に腰を下ろし、先ほどまでの怒りはさっぱり忘れた様子で口を開いた。事情を全く呑み込めていない困惑気味な西木さんも、何か聞きたいことがあるらしいと察して彩芽の隣に座る。
隣に彩芽、もひとつ隣に西木さん。女の子二人と並んでおしゃべりだなんて、図らずもかなり贅沢な昼休みになったものだ。
「いやな? 急に奏汰がモテモテになりたいなんて言い出したもんでさ」
「語弊を招く言い方だが、おおむねその通りだ。西木さんならその秘訣を知っているんじゃないかと思ったんだけど」
本来の目的は彼女を作ることだが、わざわざ訂正する必要もないだろう。
「こ、困るよぉ。私は別にそこまでその、も、モテるわけじゃ――」
「西木さん。悪気はないんだろうけど君がそれを言っちゃいけない」
「そうだぞ詩想。アタシと奏汰にごめんなさいするべきだ」
「え、えぇ……? ご、ごめんなさい」
謙遜も行き過ぎるのはよくないぞ。西木さんレベルでモテていないとしたら、俺と彩芽の立場がなくなってしまうじゃないか。
「自分で自分のことをモテてるなんて言いにくいのはわかるけど、さすがに西木さんなら少しくらいは自覚あるんじゃない?」
「そ、その……そう言うお話はよく頂く、かな。あはは……恥ずかしいなぁ」
なんとも無理矢理言わせた感がすごいが、本人に認めてもらわなきゃ話が進まないので大目に見て欲しい。
「なぁ頼むよしそー。どうしたらモテモテになれるのか、アタシ達を導いてくれよぉー」
「困ったなぁ。私は別に、普通にしているつもりなんだけど」
そう言いながら西木さんは頬をかく。だが本当に困ったのはこっちだ。
普通、つまり何も特別なことをしないと言うこと。そんなんで俺がモテモテになれるはずがない。だから何か普通じゃないことを教えてくれないと。
「普通って! それでモテるのは詩想くらいだ! ずるいぞ!」
「もっとこう、あるんじゃない? 男子をイチコロにする、とっておきがさ」
「そ、そんなのないよ! もうっ、二人とも変なこと言って」
西木さんもなかなか強情だな。もしかしてわざと分からないフリをしてモテる技術を独占つもりじゃ……なわけないか。
「でもどうして二人はも、モテ……そ、そんなことが気になるの?」
「それは……その、えー」
彼女の作り方を知りたいから――こ、こんなこと恥ずかしくて言いずらいぞ。ばれないようにもっと別の言い方を――
「それが聞いてくれよ詩想。奏汰の奴、彼女欲しいらしいんだ」
「えっ! そうなの?」
「彩芽ェ!」
何をあっさり暴露してくれてんだこいつは。
「しかもアタシがせっかくナイスな作戦を考えてやったのに、それをあっさり却下してくんだぜ? ひどいと思わねぇ?」
「アレのどこがナイスな作戦だ!」
いや確かに途中まではよかったけど。
しかし過程でいくらときめいたところで、渡されるのが飲みかけの紙パックジュースでは百年の恋も冷めるというもの。さすがの俺でも、女の子から飲みかけ紙パックを渡されるのは――あれ、少し嬉しいかもしれない。
「ねぇ彩芽。その思いついた作戦ってどういうのなの?」
「プレゼントをあげるのはどうかってゆー作戦だよ。それを奏汰がダメダメなんて言いやがってさぁ」
「騙されないでね西木さん。彩芽が渡してきたのはこのピーチ水だ」
「あ、あはは……それは確かにダメかも」
「詩想まで言うか! この裏切り者ぉ!」
チャポチャポと中身を揺らして『それ』を見せれば、西木さんは苦笑いを浮かべ同意してくれた。一方で彩芽は、仲間だと思っていた西木さんにまでダメだしされ、心外そうに口をとがらせる。
「しょうがないじゃん! 手元にそれくらいしかなかったんだから!」
「まあまあ。ごめんって彩芽。でも、プレゼントって考えは私もいいと思うよ」
「ほ、ほんとかっ!? やっぱそうだよな! ナイスだよな!」
「まじか……西木さんもプレゼントを渡されたら、嬉しいって思ったりするの?」
「もちろんだよ。それに自分の気持ちを形にして相手に伝えるって、素敵だと思わない?」
……なるほど、それは素敵な言い回しだ。さすが西木さん、プレゼントを最初『物で釣る』と表現した彩芽とは大違いだな。
西木さんによりプレゼント作戦がまさかの高評価を受け、彩芽が『どうだ! アタシの言ったとおりだろ!』と言わんばかりのどや顔をこちらに向けてくる。
いやいや、お前が得意げになるのもおかしくないか――そう口を開こうとしたところで、不意に鳴ったチャイムの音に遮られる。時計を見てみれば、針は十二時五十分を指しており、つまり午後の授業開始十分前であることを告げていた。
「さぁてっと。お話もいいけど、予鈴もなったことだしそろそろ教室に戻ろっか。授業に遅れちゃうのはよくないもんね」
「あれ、もうそんな時間か。なー、次の授業なんだっけ?」
「数学だよ。宿題ちゃんとやったの?」
「えっ……あれぇそうだっけー? な、なー詩想。お願いがあるんだけど……」
「まったく、しょうがないなぁ」
ゆっくり立ち上がり、スカートを軽くはたいて整える西木さんと、跳ねるように立ち、スカートをパンと叩いて雑に埃を落とす彩芽。対照的な所作を見せながら、仲良さそうに一緒に教室へ歩いていく二人を見送り、一人残った俺はいそいそと弁当箱を片付けつつぼんやり考えをまとめる。
いつの間にか『どうしたら彼女が出来るか』から『どうしたらモテモテになれるか』に逸れてしまっていた相談内容。故に薺奈ちゃんを彼女にするためにやるべき明確な課題やミッションは見つからなかったが、それでも何も成果がなかったというわけでもない。
あのモテモテの代名詞である西木さんが『これをされたら嬉しい』と大絶賛した、彩芽考案のプレゼント作戦。渡す物によっては目も当てられない悲惨な空気になってしまうという弱点もあるが、あらかじめ注意すべき点が分かっていると考えればさほど問題でもない。
プレゼント作戦。それは気持ちを形にして伝えること……ああ、なんて素敵な響きだろう。彩芽から提案された時点では考慮するまでもないと切って捨てた作戦だが、西木さんの手にかかればこれほど素晴らしい作戦もないのではないかと思えてくる。これは今後、薺奈ちゃんを彼女にする作戦を考える際は、西木さんをアドバイザーとして誘致する必要があるかもしれない。
些細な懸念事項があるとすれば、最も肝心な部分――薺奈ちゃんは何を貰ったら嬉しいと思うのかがさっぱり分からない、ってことくらいか……いや大問題だな。
「ううむ……プレゼント、か」
女の子が貰って喜ぶものってなんだろう? ぬいぐるみ? それともブランド物の財布とか?
最悪、現金をそのまま――「プレゼントがどうかしたんすか?」――うん?
あれ、今聞き覚えのある声が聞こえたような。具体的に言うならば、いつでも会いたいけれど、心の準備が出来るまでは会いたくない――みたいに思っている、想っている子の声が聞こえたような。
……というかぶっちゃけ、薺奈ちゃんの声が聞こえたんだけど?
「どもっす! 部活以外で会うなんて珍しいっすね、先輩!」
もしかしたら、何をあげるべきか悩んでいる俺を救済するため、脳内薺奈ちゃんが降臨したのかも――なんて可能性を一瞬考えたけど、振り返った先にいたのは紛うことなきご本人様であった。
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