第二章

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**  三木は八時前には帰ってきた。なんかすごく疲れてるみたいだった。帰ってくるとすぐに上着を脱ぎ、リビングのソファに腰をおろした。すぐにネクタイを緩めて息を吐いた。 「ずいぶん疲れてるみたいだね。ビール飲む?」 「飲む」  俺は三木にビールを渡した。三木はすぐにプルタブを引いて一気に呷った。 「昨日は大変だったみたいだね」 「ああ、昨夜は接待する側だったからなあ。どうしても向こうのペースになるから。仕方ないけど」 「まさか黒田に会えるとは思わなかったけど」  そう言うと三木はまた眉間に皺を寄せた。 「徹は黒田のことは覚えてたんだ?」 「まあ、それなりに喋ってたから」 「アイツは誰にでもそうだろ。無駄に愛想がいい」  まあそうなんだけど。だからこそ俺も話しやすかったんだけどな。  俺は自分から話しかけることは苦手だったし、むしろ黒田みたいに誰とでも話してくれる人は俺にとってはありがたかった。 「───黒田なんか変なこと言ってなかった?」 「別に……ああ、俺が中退した理由が三木のせいだって思ってたみたいだから、違うって言っておいた」  そう……三木は小さく呟いた。なんかまずかったか?そう言えば三木もあの時は家の事情でなんか大変だったって言ってたっけ。思い出させちゃったかな。 「黒田とはどのくらいの付き合いになるんだ?ほら、幼馴染なんだろ?」  俺はあからさまに話題を変えた。 「いつから……そう言われるとたぶん産まれる前からかな」  は? 「僕の父親と黒田の父親は一緒に会社起したんだよね。だから二人とも結婚する前からの知り合いだし、それから結婚して妊娠したのも同じような時期だったから、実質産まれる前からの知り合いだな。そんで今二人で親父達の会社に居るからなあ。腐れ縁どころの話じゃないな」  すご……。だからこそ黒田は三木のために頭を下げたんだな。 「僕の母さんは俺が小学校に上がる頃から病気に罹って、そっから入退院を繰り返して僕が十歳になる前に亡くなったんだ。だからずっと黒田のおばさんには世話になったよ。間違えて母さんって呼んじゃったりして」  そう言って三木は目を細めた。ずいぶん懐かしい思い出なんだろう。 「僕が中学に上がる頃、親父が再婚してさ。新しい母親ってのが出来たわけ。僕としては仲良くしたかった。黒田のおじさんやおばさんにも仲良くねって言われてたしな。けど───結局あの女とは仲良く出来なかった」  三木はもう俺を見ていなかった。思い出すように(くう)を睨んだ。 「僕のこと全てに口を出してきて。黒田とも仲良くするなって言われた。なんでそんなこと言われるの分かんなかった。まあ遊べなくなるのは嫌だったけど、黒田とは学校一緒だったし学校では関係ないし。黒田にも相談したんだけど、たぶん早く母親として馴染みたいんじゃないかって言われてさ。それなら僕も少しは我慢するかって」 「───そしたら全然違ってた。あの女は僕を自分のものにしたかっただけだった」  三木は吐き捨てるように言った。思い出すのも腹が立つようだった。  自分のものってどういう意味なんだろうか。 「……やたら距離は近いし、身体をベタベタ触ってくるし。正直気持ち悪かった」  あ……。そっちの意味か。それは地味にキツいかも。 「だから高二の夏休みに家を出たんだ」  ああ……あの頃は一番キツかったって、そういう意味だったんだ。  それなのに俺は浮かれて三木のスケッチなんかして。そりゃ“気持ちわる“って言われても仕方ないか。 「えっと、あの、ごめん。勝手に描いちゃって悪かった」  そんな事情があるのに、三木に何か言われたからって勝手に落ち込んで描けなくなるとか。流石に申し訳ないっていうか。 「僕の方こそ八つ当たりだったと思う。悪かった」  三木はやっと俺の方を向いた。その顔は俺の知ってる三木の懐かしい顔で。少し微笑んでるような表情だった。  俺は懐かしい気持ちで三木をジッと見た。  三木は手を伸ばすと俺の頬に手の甲を当てた。少し冷んやりしていた。そしてその掌で俺の顔の輪郭をなぞるように何度も撫でた。  ん?  三木はなにをしてるんだ? 「三木?」  俺がそう声をかけるとハッとしたように手を引っ込めた。 「ごめん。着替えてくるから、ご飯にしよう」  三木は慌てて立ち上がって部屋に入ってしまった。  えっと……何だったんだろう。  思い出したら俺も顔が真っ赤になった。早くご飯の用意しなくっちゃ。慌ててキッチンに向かった。
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