第三章

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**  三木からは遅くなるから先に夕飯食べててと連絡が来た。俺と黒田で先に鍋パーティーを始めることにした。黒田が自慢の鍋を作ってくれるという。 「……キムチ鍋」 「あれ?徹ちゃん、辛いの苦手?」  う。実はあんまり得意じゃなかったりする。 「まあ、いいから食ってみろって!」  黒田はいい笑顔で親指を立てた。  確かに黒田のキムチ鍋は美味かった。どうやら黒田の母の直伝らしい。三木も大好物らしいから作り方よく見とけって言われた。豚肉にニラたっぷりで確かに運動部の黒田にとってはスタミナがついたかもしれないな。 「辛くないか?」 「うん、大丈夫」  黒田は俺のためにかなり辛さ控えめにしてくれたようだ。 「そう言えばさー、徹ちゃん絵描くのもうやめたのか?」  俺は変なところに入って咽せた。辛いからちょっと痛い。  と言うか何で黒田はそんなこと知ってるんだ? 「最近やっと描けるようになったけど。黒田はなんでそんなこと知ってるんだ?」 「高校の時、三木から聞いた。よく花壇の前にスケッチブック持って描いてたろ?あれ、三木の席からよく見えたんだよな。それで見てた」 「そっか」  俺は少し動揺した。三木は俺が絵を描いてるのをずっと知ってたんだ。だから偶然スケッチブックを拾ってくれた時に中を見たのかもしれない。 「で、今はなに描いてるんだ?見せてよ」 「いや……まだあんまりよく描けてないっていうか」 「水沢は高校の時から絵上手かったじゃん。ちょっとだけ!な?」  黒田は大好きなお散歩を待ってる大きい犬のようだった。まだ?まだ?みたいな。なんだか尻尾が見えるようだぞ。  俺は仕方ないなあとばかりに重い腰を上げた。 「へえー!上手いじゃん!あの猫だろ?」 「ミーシャ、な」  名前くらい覚えろよ。そんなんだから懐かれないんだぞ? 「え?これで終わり?猫しか描いてないじゃん」 「だからあんまり描いてないって言ったし……」  俺は恥ずかしくなって黒田からスケッチブックを取り上げた。黒田は取り上げられると少し呆然としていたが、すぐに何かを思いついたかのように口角を上げた。 「そういえば三木はもう描かねえの?」  黒田は核心をついてくる。聞かれたくないことを……と恨めしく思ったけれど、黒田は何があったか知らないわけだし。  俺が言い淀んでいると、楽しそうだった黒田は顔色を変えた。 「悪りい。もしかして俺余計なこと言った?」 「いや……。そんなことない」  俺もそろそろ乗り越えるべき時期なんじゃないだろうか?三木からは自分を描いてくれって言われたし、きっとまた言われるだろう。その時になんて答えたらいいんだろう。うまく答えられるだろうか……急に不安になってきた。 「黒田は俺が内緒で三木を描いてたことは知ってる?」 「まあ。それは三木から聞いた。それを見た三木が水沢に何か言ったんだろ?」 「なんて言ったかは聞いた?」  黒田は首を振った。 「───気持ちわるって……言われた。確かに内緒で自分が描かれたら、俺だってやっぱり気持ち悪いと思う」  黒田は溜め息を一つついた。そして困ったような顔をした。 「いや、だからってやっぱりその言い方はないだろ。やっぱり相手は傷つくだろうし。本来なら水沢に肩を持ちたいところなんだが、俺は三木の事情も知ってるから簡単には非難できない。ごめんな」 「黒田が謝ることじゃないって」  俺は慌てて黒田に言った。黒田は昔からこういうところがある。その公平性が信頼される理由だ。もし俺の肩ばかり持ったらその時は嬉しいだろうが、きっと黒田のことは信用できない。  それで俺は思い切って黒田に相談してみようかと思った。 「それはもういいんだ。三木にもこないだ謝られたし。俺も悪かった。ただ……」 「ただ?」 「───それを言われて以来、“人“が描けなくなちゃって」 「嘘だろ?」 「ホント。こないだも三木に自分を描いてくれって言われて。そん時は適当に誤魔化したんだけど、また言われたらどうしようかと思って……」 「描けないのは三木は知らないのか?」  俺は頷いた。  黒田は何も言わなかった。俺も黙るしかなかった。鍋のグツグツと煮える音だけが響く。
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