第四章

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**  俺は血を流し過ぎたみたいで暫くは入院することになった。例の女はどこかに姿をくらませたらしくて警察が探しているらしい。それもあって三木の家にはまだ帰れそうもなかった。またやって来ないとも限らないからだそうだ。俺はそれはないんじゃないかって思ったけれど。  三木は犯人が捕まるまでは実家に戻るらしい。  俺は何故か個室に入院していて、三木は当たり前でしょって言ってたけど正直落ち着かない。三木は二日ほど俺に付き添っていたが、流石にそれ以上会社を休むことは出来なかったようだった。  そして三日目には何故か黒田がやって来た。 「おー大丈夫か?」  そう言って病室に入って来た黒田のほうがよっぽど顔色が悪かった。 「うん。もう平気だよ。てか黒田のほうが顔色悪いよ」 「二日寝てねえからな」  いやもうこんなとこに寄らないで早く帰って寝なよ。  黒田はベッドの脇の椅子に腰掛けた。 「……なんか疲れてる?」 「まあな。で、どうなんだ?」 「もういつ退院してもいいんだけど、三木が心配性だから。あといくつか検査がある」  俺がそう言って苦笑すると、黒田も過保護だなあと俺と同じように笑った。 「三木から電話貰って、水沢が刺されたって聞いた時は驚いた」  どうやら三木は救急車と警察に連絡したあとすぐに黒田に連絡したらしい。 「俺だって心配だったからすぐにでも水沢のとこに来たかったけどさ。あの野郎電話で全部俺に仕事ぶん投げやがった」  黒田は口を尖らせて言った。どうやらそのせいで二日も徹夜だったらしい。流石に三日は無理だから会社に来いと言ったのも黒田だった。 「悪かったな。そんなに心配しなくても、ほら、腕切られただけだし」  俺は黒田を慰めるように言ったつもりだった。けれど返って来た言葉は思いもしないものだった。 「徹ちゃんさあ、それ本気で言ってんの?まさか三木には言ってねえよな?」  黒田は唸るような声で言った。 「徹ちゃんが刺されなければ、三木が刺されてたかもしれないんだぜ?命の恩人だろうが」 「でもそれは俺がドアを開けて出て行ったせいだし……」 「相手は夜だけじゃなく昼間も三木を監視してたそうじゃねえか。通勤の時に後ろから刺されててもおかしくはなかった。むしろこのくらいで済んでよかったっていうか。いや、よくねえか」  黒田はそう言うと俺の頭にぽすんと手を乗せた。 「よく頑張ったじゃん。けど無理すんな」  そう言ってわしゃわしゃと撫でた。  俺は気になっていたことがあった。黒田になら聞いてもいいか。 「あのさ、三木って今実家に戻ってるじゃん?その……気まずいとかないのかな?その、母親と」 「あー。あの後妻ね。アレは三木が家を出てすぐに親父さんと離婚した。すげえ揉めたけど。だから今は親父さんしか住んでないかな」  そうか。それならよかった。 「よかったら俺ん家に来いって言ったんだけど、悪いからって。おおかたあの女がまた現れたら今度は俺に被害がおよぶかもって思ってるんだと思うわ。あいつ、ああ見えて気にするタイプだから」 「それは分かるよ」  そう、どっちの気持ちも分かる。気を遣ってしまう三木の気持ちも、家に来いっていう黒田の気持ちも。 「───アイツさ、結構溜め込むタイプなのよ。困ってても助けてって言えないの。後妻の時だってずっと溜め込んでて、終いには夏休みにいきなり家出て行くしさ。俺は上手くやれてないのは知ってたけど、そんなに深刻なことだと思ってなかった。不器用なんだよ、あれで」 「家を出たのって高二の夏休み?」 「そう」  だから苛ついて俺にあんなふうに言ってしまったんだろう。 「だからずっと水沢には謝りたかったんだと思うよ。それに水沢のことがずっと気になってたみたいだったから」  俺?どうして俺なんかのことを!? 「どうしてって顔に書いてあるぞ。分かりやすいなあ」  黒田は愉快そうに笑った。 「水沢って誰にも心開こうとしないくせに、花とか動物とか描いてる時にもの凄く優しい顔してんだよな。それが気になるって三木は言ってた」  ずっと見られていたのか?俺はそう思うと今更ながら顔が赤くなった。  そんなこと思いもしなかった。みんな俺なんかに興味はないだろうなって。 「本当は三木は偶然拾ったスケッチブックをきっかけに仲良くなりたかったんじゃねえかな。だってアイツ、他人が落としともんとか普通拾わねえもん」  そうなんだ?俺はなんと言っていいか分からず苦笑した。 「で、自分のことにケリつけて夏休み明けに登校してみりゃ水沢は学校辞めてるしな。三木は岩谷のとこまで行ったんだ、水沢はどうしたんだって。連絡取りたいって何度も言ったけど岩谷は絶対教えなかった。関わるなって三木はよく怒鳴られてたよ」 「あー……あの時は本当にぐちゃぐちゃだったから」  そう。母さんが死んだだけでも受け止めきれなかったのに、裁判をするとかしないとかで凄く揉めてた時だった。母さんの働いていた会社からは結構酷い言葉を浴びせられた。過労死って言うけど、そんなたいした仕事はさせてないのに時間がかかるのは能力がないせいじゃないですか?とか。俺はそれに返す言葉もなくて、ただただそれを受け入れるしかなかった。岩谷が居なかったら俺は壊れてしまっていたかもしれない。だから岩谷は俺を誰にも会わせたくなかったんだろう。 「ああ、もしかしたらそれからアイツちょっと変わったかもしれないなあ。なんつーの、愛想は良くなった」 愛想が良くなった?確かにそんな気もする。 「───けど、そのぶん何か本音が見えなくなったっていうか。俺は付き合いが長いし、俺の前では何も変わってないけどさ。他の奴らからしたら表面的にはかなり付き合いやすくなったんじゃないかな。けど、不器用なとこはそうそう変わるもんじゃねえから、本音が分からない。だから今回みたいにストーカーされたりするんだよ、急に冷たくなったってな。そもそもそんなに他人のこととかすぐに受け入れるタイプじゃねえのに。まあ誤解させるんだろうな」  そっか。けどそれってどちらが悪いってものでもないだろう。三木は単なる表面上の付き合いのつもりだったし、相手はそうは受け取らなかったってことだ。 「水沢。でも相手を刃物で傷つけるのはよくない。そこは間違えんなよ」  黒田は俺の心の中を見透かしたようにそう言った。
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