第五章

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 俺は嗚咽がおさまるとポツリポツリと話し出した。  母さんのこと、借金のこと、岩谷のこと。そして自分にはそんな余裕がなかったこと。二人とは違うこと───。  黒田は殴られた時に口の端を切ったんだろう、血が滲んでいた。そして俺の前で正座して聞いていた。  三木は俺の隣にピタリとくっついて俺の話を聞いていた。 「───すまなかった」  俺の話がひとしきり済むと黒田は土下座した。 「……黒田は悪くないよ。勝手に泣いただけだから気にしないで」  そう。勝手に二人にコンプレックスを感じたのは俺なんだ。それに派遣を切られたり家を追い出されてずっと気が張っていた。その緊張の糸が切れてしまったっていうのもあるのかもしれない。 「水沢がそんなふうに思ってたなんて気づかなかった。ごめん。けどバカにしてとかふざけてとか、そういうつもりでキスしたわけじゃないから」  黒田は顔をあげて俺を見据えながらそう言った。  は? 「は?」  俺より先に超絶不機嫌な声を出した奴が隣にいた。 「じゃあなんでそんなことしたわけ?」 「なんでって……そりゃなんとなくっつーか」 「それをふざけてるっていうんだよ」 「ふざけてたわけじゃなくて、その、なんていうか……確かにふざけてかもしれないけど、したくなかったら普通しねえだろ!」  三木に突っ込まれて、なぜか黒田がキレ出した。 「おかしなこと言うなよっ!そもそも黒田はノンケだろ!?ふざけて以外に理由なんてない」 「自分がバイだからって決めつけてくんじゃねえよ!俺は徹ちゃんだからしたくなっただけ。別におかしくはない」 「いや、全然おかしい」  のんけ?ばい?  また聞いたことのない言葉が出てきた。けど三木と黒田が戯れ合ってるわけじゃない言い争いってなんか嫌だった。俺は二人の間に割って入った。 「ストップストップ!そんなことで喧嘩しないでよ」 「「そんなことじゃない」」  どうしてそういうとこだけ声が揃うんだろうな。俺は苦笑した。 「黒田はふざけてたけど悪気はなかったんだろ?じゃあもういいよ。あんな挨拶みたいなのは外国じゃよくやることだろ?」  三木も黒田も驚いたように俺を見た。 「え?違うの?テレビじゃそんな感じだったから」  ふいに三木が俺の肩を掴んだ。三木の顔が近くなった。  両頬にチュっとリップ音が響く。音ほど唇は頬に触れてはいなかった。 「これは友人とかへの挨拶」  三木はそして黒田がしたみたいに唇にチュっと軽く口付けた。 「これは家族とか恋人とかにするヤツ」  そ、そうなのか……。俺は顔が真っ赤になるのを感じた。 「ね?違うでしょ?」 「いや、まあ、そうかな。けど家族だと思えば、まあ許せないことはない」 「俺は家族の意味でキスしてねえけど」 「黙れ」  っていうかどさくさに紛れて俺は三木ともキスしてしまった。そう思ったら俺は真っ赤になった顔が火照るのを感じた。結局出てきた言葉は…… 「───家族だからノーカンってことで」  とかいうわけの分からない言葉だった。  それから俺は三木と黒田に挟まれてソファに座っている。二人とも個別に俺には話しかけて来るんだけど、二人で話すことはなかった。正直気まずい。なんか話題を振らないと。 「あの、さ。さっき二人が言ってたのってどういう意味?の…のんけとかばいとか?」 「聞いたことない?」  答えたのは三木だった。 「知らない」 「恋愛対象のことだよ。ノンケは男と女、ゲイとかホモは男同士、バイは男も女もどっちもイケるってこと」 「黒田はノンケ?三木は……バイ?」 「そう」  三木はそう答えたけれど、黒田は何も答えなかった。  そういう言い方ってあるのは初めて聞いた。男と女が普通だと思ってたし、派遣先でもだいたいはそんな感じで、たまに『あいつホモみたいだな』とかいう陰口みたいなのなら聞いたことはあった。けどどっちもオッケーなんて話はでたことがなかった。 「三木は彼女の他に彼氏もいたことあるの?」  俺がそう聞くと三木はうーんと首を捻った。 「そもそも彼女もいたつもりもないけど?」  え?俺は目をパチクリさせて三木を見つめた。  黒田は急に笑い出す。 「ホント迷惑なヤツだろ?」  俺も流石にそれは黒田に同意だった。 「それはそうかも」 「だからコイツ真面目に付き合ったことないんだよ。男も女もワンナイトラブってタイプだからな。大学の頃からホント問題ばっか起こしてたよな」 「ちゃんとした告白にはちゃんと断ってたからね!ワンナイトでいいっていうから相手したのに本気になるのはルール違反じゃん」  それは……どうなんだろう?もう俺の理解できる範疇じゃないことだけは分かった。 「黒田こそ彼女いるんじゃないの?」  三木が反撃に出た。 「大学から付き合ってた彼女と二年前に別れたきりだ、ボケ」 「ヨリ戻せばいいじゃん」 「馬鹿言うなよ。向こうはもう人妻だっつーの」  そっか。なんというか色々あったんだな。少し羨ましいぞ。俺だけ何にもないんだからな? 「彼女居なさすぎて男に走るっていうのは違うと思うけど?」 「俺がそんなにモテないと思ってるわけ?んな理由じゃねえよ」 「僕は高校の時から徹が気になってたんだからな?それは黒田も知ってるだろ?」 「そもそも本気で付き合ったこともないんだから、すぐ飽きるかもしれねえじゃん?」 「は?」  俺が二度目のストップをかけたのはいうまでもない。なんでこんなにギスギスしてんだよ? 「徹ちゃんは男でも平気なわけ?」  黒田が突然俺に振ってきた。正直───どうだろう?  好きな子がいたのは小学校の頃だし、中学に入ってからは何となく周りに無視されてたから、そんなこと考えられなかった。 「……分からない。好きな子がいたのは小学校の頃のことだし。それからはそんなこと考えられる環境じゃなかった。考えたこともなかったな……」 でも黒田のキスも三木のキスも別に不快ってわけじゃなかった。 「けど僕のこと描いてくれてたよね?それは好きだからってことじゃないの?」 好き?確かに“好ましい“って意味ならそうだけど。そういうことを三木は聞きたいわけじゃないんだよな? 「三木は───綺麗だったから。それで目が離せなくなって」 「それは好きだからじゃないの?」 「ミーシャの瞳と一緒だけど」  それを聞いた黒田は爆笑してたし、三木は俺を後ろからぎゅうって抱きしめて離さなかった。 「───僕は徹のこと好き、だよ」  三木はどさくさに紛れて俺の耳元でそっと呟いた。
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