番外編

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 母さんはリビングに行く前にキッチンに案内する。うちにはキッチンが二つあって、一つはリビングと繋がったキッチン。もう一つは母さん専用のキッチン。業務用冷蔵庫があって、外国製のオーブンなんかも備えている。そこには一応テーブルと椅子があった。 「なんでこっちのキッチンに呼ばれたわけ?」  兄貴が怪訝そうに聞いた。 「お茶を選んでもらおうと思って」  母さんはいい歳なのに、きゅるんみたいなポーズを決める。 「お茶?」 「母さん、いまハーブティーにハマってんだよ」  一応俺が説明してやる。  そう、母さんはいろんなことに興味があって、そしてハマっていく。最終的にはプロ並みになってしまうことも少なくない。凝り性なんだと思う。そして子育ても終わって暇なんだな。 「ハーブティー、いいですね!もしかして自分でブレンドしてるんですか!?」  あ、変な奴が食いついてきた。 「あら、徹くんはハーブティーに詳しいの?」 「詳しくはないんですけど、植物図鑑を見たりして飲めそうなのはたまに採ってきて飲んでみたりします」 「あら!どんなの飲んでるのかしら!?」 「ドクダミとかヨモギとかくらいしか。まだ市販のほうじ茶と混ぜてたりするんですけど」 「すごい!」 母さんは目をキラキラさせている。これは話が長くなる感じ? 「え?聞いてない」  もの凄く不穏な声がした。俺は振り返って声の主を確認する。まさか……蒼兄? 「僕、聞いてないけど。どういうこと?」  腕組みをした蒼兄は眉間に皺を寄せていた。蒼兄もそんな顔するんだ……。 「わざわざ野草を採りに行ってるの?僕に黙って」 「わざわざは行かないよ。買い物の帰りとか。結構生えてるもんだよ。探すと楽しい」 「そんな話聞いてない」 「そんなの話すこともないだろ?ここのところ三木は忙しいんだし」 「でも聞きたいじゃん?徹がどんなことしてるとか」  なんなんだ!?痴話喧嘩か?しかも忙しく働いてる方が話を聞かせろって言ってる?意味分かんない。俺は軽くパニックだった。 「じゃあ今度徹ちゃんのお茶飲みに行くよ。な?」  あ……兄貴!?いま“徹ちゃん“って言った!?しかもなんで奴の肩に手を回してんだ!? 「ブレンドってあの、おばさんが自分でやったりするんですか?」  わっ!この状況をサラッと流したぞ、コイツ! 「好みに合わせてブレンドできるわよ!なんかリクエストがあれば」 「体調とかに合わせてお願いできたりします?」 「ええ」 「じゃあ……飲み過ぎで疲れているのが一つと寝不足用が一つ」 「飲み過ぎが三木なのは分かるけど、もう一つって俺の分?」 「だって眠れてないでしょ?隈、こないだより濃くなってる」 「俺のこと心配してくれてる?」 「どーせゲームかAVでも観て寝不足なんだろ?」 「は?今度デカい仕事のプレゼンあるのお前も知ってるだろ?」  兄貴はもの凄い顰めっ面をする。  ああ、そういえば親父が兄貴は最近妙にやる気になってるって言ってたな。兄貴も蒼兄も同じ課長って立場らしいんだけど、どうやら中身は全然違うらしい。兄貴のいる部署は上にもちゃんとした上司が順番に居るらしいんだけど、蒼兄のところは新しい部署で実質蒼兄がトップなんだそうだ。  兄貴は確かに負けず嫌いなところはあるけど、それを仕事でどうこうってタイプではなかった。仕事はあんまり好きじゃないみたいだった。だからのんびりやって、責任も上が取ってくれるならそのほうが楽って言ってたのを思い出す。  それが急にやる気を出したって親父が驚いてたんだっけ……。なんか理由があったりするのか? 「……じゃあただよく眠れるようにっていうのでもないか。滋養強壮?」 「そうねえ、どっちかといえばそっちの方がいいかしら?」  わ。何故か家政夫と母さんが意見が一致してるぞ! 「アシュワガンダとかロディオラとかがいいんでしょうけど、あんまり最初っから飲むのもどうかしらねえ」  そう言って本格的に棚の中を探しはじめた。 「ハニーブッシュやリコリスとかの方が飲みやすいと思うのよね。ああ、ハイビスカスとかローズヒップもいいかも」  そしてテーブルにいろいろ取り出して、ついでにデジタル計量器も出してきた。 「ずいぶん細かくやるんですね」 「細かく量った方が失敗は少ないのよ」 「すごい種類ですね。全部覚えてるんですか?」 「このくらいは普通よ」 「すごいな」  普通じゃないし、家政夫もそこまで食いつくなよ。話が長くなるじゃんか。俺は溜め息をつく。こんなところでただ見てるだけなんて時間が勿体ないよ。早くお茶でも飲みながら蒼兄や兄貴と話がしたいのに。 「あ、メモしてもいいですか?俺もいろいろ知りたいから」  あ。もうコレ地雷だから。  母さんの目がキラキラしてきた。間違いなく話が長くなるヤツだわ。俺はとりあえず軽く咳払いなどしてみる。  母さんは運よく気づいてくれた。 「ああ、湊はお兄ちゃんと蒼くんを先にリビングに連れて行ってて。お茶淹れたら持って行くから」 「ううん、大丈夫。僕はここに居るよ。楽しいから」  蒼兄は愛想よくにこりと笑った。 「黒田は先に行ってれば?兄弟で積もる話もあるでしょ?」 「毎月帰って来てんだ。そうそうねえわ。お前ばっか特別に作って貰おうとか思ってんだろ、どうせ」 「勝手に寝不足の奴なんてどうでもいいからね」 「ハッ。俺が心配されたのがどうせ面白くないんだろ?まあ毎日接待で飲み歩いてる人は違いますねー」 「は?」 「すいません、お待たせしました!」  うわ……家政夫メンタル最強かよ。また空気読まずにぶった切ったぞ。手にはスケッチブックと鉛筆を持っていた。 「あら。珍しいわね。絵でも嗜まれるのかしら?」 「た、たしな……?」 「絵を描くのかってこと」 「あ。はい、あの……ただのスケッチですけど」  兄貴が隣でアシストしたけど、この家政夫あんまり言葉を知らないのか?どこの大学だったんだろう。そういえば話に出て来たことってあったか?  母さんはまあ!見せて!と興奮してる。そういう芸術とか好きな人だからなあ。 「いえ、その、あんまり上手く描けてないんですけど」  家政婦はパラっと捲った。 「上手じゃない!この猫は?」 「三木の家の猫です。ミーシャっていいます。美猫なんですよ」  母さんはウキウキでスケッチブックを見せてもらっていた。 「あら……これは蒼くん?」 「ああ、はい。まだあんまり上手く描けなくて」 「そうじゃなくて蒼くんもこんな表情するのね」  母さんは蒼兄を見た。蒼兄はなんだか恥ずかしそうに下を向いた。  兄貴は家政夫の後ろからスケッチブックを覗き込んでいた。 「おー。やっとヒトが描けるようになったか!」 「うん。なんとか」 「───え?どういうこと?」  蒼兄がいつもとは違う低い声で呟いた。家政婦が初めて動揺する。 「な、なんでもない」 「なんでもなくないよね?ねえ、どういうこと?」 「───い、いま話すことじゃないから」  家政夫は下を向いて小さな声で言った。 「三木、徹ちゃんを困らせるんじゃねえよ。帰ってからちゃんと聞いてやれ」  蒼兄はそう言った兄貴を睨むように見つめると、結局折れた。  じゃあ帰ってからでいいと呟いた。兄貴は小さくなっている家政夫の頭を撫でた。 「すいません、なんか」  家政夫は何故か母さんに謝った。 「大丈夫よ。ふふ、蒼くんもそんな顔するのね」  母さんは何か喜んだようにそう言った。相変わらずよく分からない。
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