番外編 初めてのおつかい

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**  その日は社長も専務も予定が入っていて、課長がいないのにランチ出来ないって嘆いていた。いや、みんな徹さん好き過ぎだろ。 「そういえばこないだ貰ったイラスト、色付けて軽く合成してみたんですよ」 「え!? ホント!?」  徹さんは目を輝かせて喜んだ。この表情に実は僕も弱いんだよなあ。 「あの、よかったら見ていきます?」  徹さんはうんうんとたくさん頷いてくれた。  日中の営業部は閑散としている。営業一課の事務作業は別フロアにある。二課とウチだけが何名かの事務仕事をする者だけがフロアに残っていた。  課長も深田も浅井も出ている。魔女二人は今日は撮影会だった。  二木は忙しそうにしていたけれど、徹さんに会うと嬉しそうに手を止めた。 「あれからきんぴら頑張って作ってみました」 「うん。どうだった?」 「最初はなかなかコツが掴めなくて……三回くらい作ったらなんとなく分かってきたっていうか。それで、あの、美味しいって……」  そういうと二木は嬉しそうに頬を赤らめた。  徹さんは嬉しそうに『よかったね』って喜んでいた。  いや、ホントに相手はハゲ散らかし課長なんだよね?  僕は徹さんに隣に座るように言って、パソコンを起動させた。まだ制作途中だったけれど、出来たところまで徹さんに見てもらう。 「うわー! 凄いよ! 勅使河原さん」  徹さんは興奮気味に言ってくれた。  正直、社長や専務の要求は高度なもので一瞬このプロジェクトに選ばれたことを後悔したりしたんだけど。徹さんが凄いね、流石だねって言ってくれるのを聞いていたらそれもどうでもよくなってきた。  単純に嬉しい。こんなの課長に見られたら、また睨まれるんだろうけど。 「──ずいぶん楽しそうだねえ」  湿度を含んだ粘着質な声が背後で聞こえた。 「社長の直轄のプロジェクトに選ばれるなんて、そりゃあ楽しいよねえ」  この嫌味な感じ、振り返らなくても分かってる。どうしてこんな時間にフロアにいるんだろう。 「君が水沢くん?」 「は、はい。水沢徹です」 「もしかして初めて会うのかな? 部長代理の竹澤だ」  もしかしなくても初めて会うんだろーが。そもそもこのプロジェクトに部長代理は関係ないはずだ。  徹さんは慌てて立ち上がって頭を下げた。 「あの……もしかして騒がしかったでしょうか?」 「いやいや、社長直轄のプロジェクトだからねえ。うるさいと思う人間は居ないんじゃないかな?」  嫌味! 本当に言い方がねちっこくて嫌いだ。二木もハラハラと見守っている。 「しかし……会社に来るっていうのにその格好はないんじゃないかな?」  え? と徹さんは言ったまま固まってしまった。 「いくら駆け出しのイラストレーターといったって、社長と専務に会うのにそんな……失礼、今どきの学生でもしないような格好して来るなんて。常識ってものがあるだろう?」 「……すみません」  徹さんは小さくなって頭を下げた。部長代理は半笑いで続けた。 「そんな格好で会議に出るなんて、我が社を舐めているようなものだよ。誰も教えてくれなかったのかね? まあ、常識なんて誰かに教えてもらうものではないかもしれないがねえ」  徹さんはすみませんすみませんと頭を下げ続けた。二木は唇を噛んで拳を握って震えていた。けれど僕も二木もこういう人間が苦手なのだ。何も言い返せなかった。 「三木課長と黒田課長と同窓なんだって? 何を専攻していたのかな? 現代美術? それとも油絵とかやってたのかな?」 「え? あの、すみません。ちょっと意味が分からないのですが」 「意味が分からない!? 君、どこの大学だったの!?」  出た! 無意味な学歴差別! どこの大学だったかで態度を変える奴なんだよな。 「あの……、うるさかったならそろそろ解散するんで」  僕がそう小さな声で言うと、部長代理に睨まれた。 「話の途中で割り込んでくるなんて、社会人としての基礎がなってないね! 君!」  大きな声を出された。僕はもう動けなくなってしまう。こういう怒号が本当に苦手だった。 「あ、あの、大学とか行ってなくて。三木と黒田とは高校の同級生っていうか」 「行ってない! ほう、これはまた。どうして大学にいかなかったのかな?」 「いえ、あの、大学どころか高校も途中で辞めたので」 「高校中退! これは驚いた! それはもう中卒ってことだよねえ!」  部長代理はこれでもかっていうくらい大きな声を出した。フロア全部に響き渡っている。 「あ、えっと」 「君、それはちゃんと社長に報告したのかい? いくらなんでも中卒はマズいよ。我が社の品位というものが問われかねないよ!」 「いえ、言ってない、です」 「それは困ったねえ。社長にすぐに報告しなくっちゃ。この会社はねえ、大卒でも簡単に入れるような会社じゃないわけ。みんながそんなこと聞いたら、不公平だって話になるかもねえ」  ああ大変だ。部長代理は大袈裟に驚いてみせた。確かに正社員ならそうかもしれないけど、徹さんはそうじゃない。そんなこと関係ないじゃないか……! 「あの、みんなに迷惑がかかるなら……すぐにでも、あの」 「三木課長にも迷惑がかかるだろうねえ。もしかしたら責任を取らされるかもねえ」 「あ、あの三木は悪くないんで。俺のせい、です」 「そうはいかないよ、会社だからね。君の失態は三木課長の失態だからね!」  部長代理がそう言うと、徹さんは深々と何度も頭を下げた。すみませんすみませんと何度も言った。
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