第一章

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第一章

「はあ……さむ」  俺はキャバクラのプラカードを持ちながら、なんとなく声がけをする。強引な客引きは違法だからな。ただ通行に邪魔にならないよう気をつけながら、『今ならすぐにご案内できますよー、いかがですかー』と空に声を発するだけでいい。寒いし、立ちっぱなしで足は痛いがそれなりにはお金がもらえる。とりあえず今日の飯は食えるだろう。  一見自由そうに見える仕事だが、実はちょくちょく監視されてるからサボったりしたらバイト代は出ない。世の中そんなに甘くないってことだ。  俺はサボっても行くところもないし、何かしたいことがあるわけでもない。とにかく今日のカネが欲しいだけだから、そこは馬鹿みたいに真面目にこなす。  人はたくさん通るけれど、まだ宵の口でキャバクラに行くような人はそんなに多くない。しかも今日はやたらカップルが多い。カップルだと客にはならないだろう。  また一組、目の前を通り過ぎようとしていた。  別にノルマはないのだが、こうカップルばかりじゃ声もかけづらい。  ふと男のほうと目が合った。なんだか知ってるような───。俺はスッと目を逸らした。  あの顔……どこかで?  急に思い出したくもない過去が甦った。 「───ねえ、徹じゃない?水沢徹(みずさわとおる)」  男は俺のド真前に立ち、わざわざ俺も顔を覗き込みながら言った。おい、連れの彼女がドン引きしてるぞ? 「僕のこと覚えてない?」  ───覚えてるっつーの!思い出したくないくらい覚えてるわ!  俺は無理やり営業スマイルを作る。 「えっと……どなたかとお間違えじゃないですか?」 「え?でも徹でしょ?」 「違いますね」 「違わないでしょ」  今俺違うって言ったよな……? 「何、いま仕事中なの?」 「仕事中ではありますね」 「何時に終わる?」  は?  意味分かんないんですけど?  ソイツの後ろでは彼女と思われる連れがあからさまに嫌そうな顔をしていた。そりゃそうだよな、なんてたってキャバクラの看板だもんな。 「じゃあ仕事終わったら飲みに行こうよ」 「えっと、だから、人違いですって」 「違わないよね?」  男の唇が弧を描く。  まただ───どうしてコイツは。 「ねえ、早く行こうよぉ」  後ろの彼女がとうとう甘ったるい声で奴を呼んだ。いいぞ!ナイスタイミング! 「で、何時に終わるの?」  あ。無視しやがった。 「答える義務はないですけど。さあ、俺にも分かんないですね」 「どういうこと?」 「お客さんでいっぱいになれば、そこで終了なんで」  男はふーんと呟いた。何かを考えてるようだった。 「じゃあ、僕もここで待つよ」  は?  後ろの彼女は俺と同じことを思ったらしく、すぐに奴の腕に絡みついた。 「ねえ、もう行こうってば」  奴は見たこともないような蔑んだような目をした。そしてスーツの上着のポケットからおもむろに財布を取り出し、そこから札を二枚出して彼女の目の前に差し出した。 「うるさいなあ。そんなに食べたきゃ行っておいでよ。お金はあげるから。───けど、そんなにがっついて食べたいなんて、太っちゃうかもね」  彼女は顔を真っ赤にして奴からお金を奪い取るように持っていくと、物凄い足音を立てて去ってしまった。  いや……おかしくないか!?っていうかだったらそのカネを俺にくれよ。そして彼女と飯食いに行け!  気がついたら周囲がざわっとしていた。俺の監視役が視界の端にチラチラと入ってきた。ヤバいな。問題を起こしたら今日のバイト代が出ない。 「じゃあさ、僕もここで待つよ。仕事の邪魔しなければいいでしょ?」  奴は涼しい顔でそう言うと、近くのガードレールに凭れて俺に手を振った。  ……いや、そういうことじゃねえ。俺はプラカードを持つ手に力が入った。若干ミシッと嫌な音がしたが、それは聞かなかったことにする。  監視役の姿はすでになかった。どうやら今日の仕事は続行らしい。
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