プロローグ「魔術師はそこらへんに結構いる」

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プロローグ「魔術師はそこらへんに結構いる」

 「なぁ杏花(きょうか)ぁ、客が来ねぇよ」  と、かすれた声が店内に響いた。杏花とは、私の名前だ。  私は声の主に「知りませんよ」とあっさり返す。 「なんか冷たくねぇ?」  かすれた声の主、ズーシェンはそう口を尖らせた。  私は雑巾でフローリングを拭き終えると、立ち上がり、腰をぐっと伸ばすついでに辺りを見渡した。  天井からは色とりどりのモザイクランプたちが吊るされており、タイプライターやら地球儀やら、一見するとガラクタのような品物たちを、温かく照らしている。小汚くなければ、写真映えしそうな景色だ。  この店は、アパートの一階を改装した小さな雑貨屋だ。しかし雑貨屋というのは建前で、本当は魔術が組み込まれた魔道具を売る専門店である。そして、私のバイト先でもある。 「いっそチラシでも配ったらどうですか」  私の案を右から左へ流すように、ズーシェンは椅子にもたれかかった。 「えぇ〜めんどっちぃ」 「おいおいしっかりしろよ……」と言うかわりに、私は少し大きなため息をついた。  日本語は通じるし、こうして職と衣食住を与えてくれるのはありがたいけど、このサボり癖はなんとかできないのだろ……いや、無理か。  商品の埃を取るフリをして、横目に彼女を見る。  雑な口調で雑な性格のくせに、アジア人特有の神秘的な顔立ちな上に、背も高くスラっとしてるからか、たとえ毎日ツナギ姿でもオシャレなオーラが出ている。独特なハスキーボイスと美しい翡翠の瞳に射抜かれた人は、果たして何人いるのやら……いないのやら。  そんなことを想像してみるが、椅子に寄りかかってる彼女のアホ面で、それは失笑へと変わった。 「おい……今、アタシのこと見て笑ったろ」  その鋭く切長な翠眼が、眼鏡の向こうで光る。  私は軽い咳払いをして、知らんぷりを決め込んだ。 「まぁいいや……それよりお前にちょっと仕事だ。喜んで受けやがれ」 「それが人に物を頼む態度ですか……?」 「わぁったよ、次からはちゃんとするから」  ほんとにするんだか? と訝しみつつも、私は仕事の詳細を聞いた。 「前に紹介した薬師のとこに、これ届けてくれ」  そう言って渡されたのは、片手に収まるくらいの小さな茶色い紙袋だった。手に持つと、丸くて硬い感触が伝わってくる。 「薬師……えっと、岩永さんですか?」  ズーシェンは「ん」と頷く。 「了解です。すぐ届けてきますね」 「あ、おい寝癖たってんぞ」  要らぬ忠告に、私は振り返った。 「いや、くせっ毛なだけなんで!」  私は反抗心の強い黒髪を撫でつつ、袋の口をしっかりと握る。  アンティーク調の古びたドアを軋ませると、肌がひりつくような冷たい風が頬を撫でた。四月とはいえど、まだ外出にコートは必要だ。 「頼んだぁ〜」と、ドアベルの音に紛れて彼女の気怠げな声がした。  雲一つない空から降り注ぐ陽光に、私は少し目を細める。  これは私、梓野 杏花(あずの きょうか)の、二十歳の一般人が、魔女に成り上がる物語。
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