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私が出てきたはずの古めかしい木の扉は、瞬きの間に白い壁となっていた。
ほんとにお茶を飲んだのか、白昼夢にでもあったかのように、目の前の景色と今しがた体験した記憶が複雑に混同する。
残留したお茶の味を舌の奥で転がしていると、再び教会前の広場に出た。
この広場は、パリの景色が一望できる。統一されたアパルトマンに混じって、名前も知らない巨大な寺院の屋根が、絶妙な塩梅で調和している。今にも「鳩と少年」でも聞こえてきそうな雰囲気に、少しだけ気分が高揚した。
ここモンマルトルは、パリで一番高い丘に造られた街だ。古き良きパリの姿をそのまま残し、芸術家の街とも謳われているが、キャバレーなども軒を連ねる歓楽街としても有名だ。治安もよろしくなかったりするが、それはどこに住んでたって同じだろう。
「うああああっ!」
その時、思考を打ち消すように、背後の方で大きな声がした。
振り向くと、キャップを深く被った男が明らかに持ちにくそうな革製の古びたアタッシュケースを持って、階段の方へ走って行くところだった。
一方で被害者と思われる金髪の少女は、足をもつれさせて地面に突っ伏していた。白と青のスカートがふわりとはためいている。
旅行者を狙った窃盗か……おそらく、アンケートをするふりをして鞄を奪ったのだろう。海外じゃよくあることらしいが、アタッシュケースを盗むとは、犯人もなかなか大胆なことする。
私は男を目で追いつつ、先ほど同様、身体強化の呪文を口にした。
呪文で構築した術式によって、魔力が鎧のように全身にまとわりつく。
次の瞬間、男が降りていった階段を飛び降りるように空を舞う。そのまま身体を翻し、男より先に階段の下へ着地すると、私に気づいた男は、慌ててその足を止めた。
相手にしたら突然人が降ってきたわけだし、もっと驚くと思っていたが、意外にも落ち着いているらしい。
投降するよう口を開きかけたが、男が指を銃の形に見立ててこちらへ向けた。
ハッタリ……いや違う、こいつ魔術師か!?
男の指先に集束する得体の知れない紫の波動に、ハッと息を呑む。
休日の真っ昼間にこんな堂々と……ってバレてないかもだけど、私も魔術使ってるのか。
ジリジリと熱が溜まってくるような焦りとは逆に、心臓は恐ろしく冷たくなる。
男はしたり顔で私に何かを言い放ったが、さっぱりわからないフランス語の上に、戦闘中にそんな悠長に聞き取ってなどいられない。
バチバチと爆ぜる紫の閃光を交わすと、階段や壁に銃弾が撃たれたような凹みができた。
人生初の魔術アリのガチ戦闘に、動くたび鈍く重々しい緊張が全身を駆ける。
再び男の指先から放たれた魔力弾をかわそうと、体を捻ったその時。
「ファイアァァァッ!!」
誰か、女の叫び声と共に、凄まじい爆炎が私と男の前に現れた。
男は逃げる間も無くあっさりと、その炎に飲み込まれる。そしてそのすぐ下にいた私も、状況が掴めないまま、大口を開けた炎に取り込まれていった。
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