第一章【血溜まりに映る愛】 第一話

3/4
前へ
/4ページ
次へ
「悪……魔……?」 「そうそう、悪魔」  二人の間を秋の夜風が通りすぎる。  意図せず溢れたペンキのように広っていく夜空には、その虚無を取り繕うがごとく煌々と輝く星々が散りばめられていた。 「ふざけないで!」  テティアが声を上げる。  自称悪魔の彼だが、先の尖った尻尾も、ボロボロの翼も見受けられない。 「そんなに怒らないでよ」  そう言うと、男は笑った。  さっきもそうだった。微笑を浮かべながら攻撃を捌いたり、どこかおどけた様子が垣間見える。 「まあ、悪魔ってのは比喩表現。神は存在しないけど……悪魔はいる。なんてったって人間こそが悪魔なんだから。君もそう思うだろ?」  男はまた笑った。  笑う度に細まる目には、長いまつげがかかっている。   「神様は……いるわ」 「は?」 「だから、神様はいるわ」  テティアはしっかりと言い切った。その目には、子供がサンタクロースの存在を肯定する時と同じような色があった。 「まじ?」 「何かおかしい?」  男は困ったような笑い声を上げた。  眉をしかめても尚、男は笑い続ける。  だが、テティアにはそれが初めて、相手が自分と同じくらいの歳なのだと実感できた瞬間であった。   「な、なによ」 「いや、まさか一国を揺るがすことになるであろうテロリストが、そんなメルヘンチックな考えをしてたなんてね」  テティアは自分が馬鹿にされていることに気づくが、改めて今の状況を思い出す。  反逆者(テロリスト)と警察。  本来ならこうして話すことはない。   「あなた、今の状況大丈夫なの」  テティアはあえて冷たく言い放った。   「そうだね、本来ならテロリストを捕まえる絶好の機会だよ。でも、今はそうじゃない」  そう言うと、男は両手を広げ柔らかな笑みを作る。  まるで今から小踊り始めるかのような柔らかさだ。 「(悪魔)と契約する気はないかい? どうせ君は俺を殺さずに逃げることはできない。だけど殺すこともできない今、和解が合理的だろ?」  男は手を下ろす。 「それに、俺は君の王族殺しに協力したいんだ」 「え?」 「君、無差別で王族を殺してる訳じゃないでしょ。決まって下流階級の国民に仇なしている王族しか殺されてない。どう見たって計画的犯行だ」 「……そうよ」 「でしょ? だから俺はそんな君の行いに共感したいんだよ。汚い豚どもを殺したい。その為には君に情報を渡して協力するそれが最善だと思った」 「…………」 「それに、そっちの方が君にも良いでしょ? いつまでもこうしてるより、手取り早く和解する方が」 筋は通っている。  この状況でいつまでも時間を浪費し続けるのは非常に好ましくない。  テティアが襲撃したのがまだ数分前だが、それでも人が気づき始める頃合い。ここは適当にでも和解して逃げることが最善である。  だが…… 「初対面のあなたを、しかも警察なんて信用できない。どうせこれも罠でしょ?」  どれだけ好意的に接してきたとしても、この不気味で不確かな、それでいて肝が座っているこの男に対する疑念は深まるばかり。 「そんなこともあろうかと、あらかじめ此方(こちら)の情報は抜き取って来た。ほら」  男は胸ポケットから取り出した紙の束をテティアに向かって投げた。  拾い上げると、直筆で文字が書かれていた。 「これで良い?」 「嘘の可能性は?」 「証明はできないなぁ……」 「…………」  テティアは直筆の資料と男を交互にに見ながら思案する。  合理的に考えて、罠だとしたら自分を捕らえる頃合い(タイミング)はとっくにあった。それに、他に人の気配は無い。  それに、この資料はかなり詳細に書かれている。  この男は本当に協力するつもりなのか。 「……分かった」 「まじで!? やった」男は満面の笑みを浮かべた。 「俺、ウィリー・マローって名前。君は?」 「お、教える訳ないでしょ」 「えぇ……」 「貴方ね……」  男の幼稚な態度に、テティアは調子が狂いそうになる。 「まあ、俺は証明ができた、次は君だ」 「は?」 「こっちだって君がどういう気持ちで殺しまわってるのか知りたいもん」 「え、いや、そんなこと……」 「ほらほら早く」  ここで(たぶら)かして、相手の気を悪くさせたらどうなるか分からない。彼は『協力』と言っていたが、こっちからすれば命を握られているも同然。  ここは簡単に、それでいて嘘を言わない様にするのが最善。   「分かったわ」 「よし。じゃあ俺が聞きたいのは一つ。一国のテロリストがいったいどんな信条をもって殺しをするのか…………君の身の証はそれだけで良い」 「…………そうね……」  テティアは目を閉じる。  その純紅の瞳で、瞼の裏に映る記憶を眺めた。  やがて、目を開き、 「……この国は、歪んでいる」  言葉を夜風に流すように呟き始めた。    アウロチア王国、つまりこの国は『封建制(ほうけんへい)』が国民を支配していた。  封建制とは、『封土(ほうど)』と呼ばれる土地を譲渡される代わりに、その恩恵を受けた者は王に忠誠を誓い、兵士として軍事奉仕をすることである。王国では、この政策が約六十年前から執り行われていた。  往々にして、この封建制は王が反逆されやすい政策であった。何故なら、従者達はそれなりの武力を持つ訳であり、従者達が団結をすれば王を堕とすのは容易だからである。  しかし、アウロチア王国では違った。  王国では、以前から王に忠誠を誓っていた者達と、そうでは無かった者達とを選別し、より信頼できる者を兵士として向かい入れ、成果に応じた報酬を払った。  つまり、「王に好まれているか否か」で、身分の優劣がつけられたのであった。  具達的には、兵士を選別する際の試験での工作、不正、賄賂。  王に好まれていない者がどれだけ兵士として力を持っていようが、選別の際には上の力で落とされた。中には、賄賂の金額に自らの機会をドブに捨てた者も多いという。   「そこからは早かった」  テティアが言った。  そう、本当に早かった。  「兵士の選別」という名目で着々と身分の分離が進み、やがては王に古くから従じてきた者だけが権力を持つようになった。  そして、選別に落ちた者との住む場所を分けた。アウロチア王国は、元は国の中央に王城があり、その周りで国民が住んでいた。  しかし、封建制を執った後は、王城の周りを選別を通過した者達で固め、王城から遠ざけるように他の者達を置いた。 「やがて兵士達は貴族と呼ばれるようになり、身分という概念が生まれた」  そして、兵士(貴族)達と他の者(下流階級)の住む場所は高い塀で囲われ、上流階級と下流階級は完全に情報が絶たれた。  こうして、王国での身分差別が始まった。 「私は色々な人が苦しむ所を見てきた。でも、本当は理由なんて無い。私はこの国を変えたい、ただそれだけ。それ以上でもそれ以下でもない」  テティアは改めてウィリーの方を向き力強く言う。が、対するウィリーは何かを口に含ませたかの様に頬を膨らませ、額には脂汗が滲んでいた。 「あ、貴方、ちゃんと聞いてた……」 「ウエエエエェェ……!!」  テティアが不満気な顔を浮かばせた時、ウィリーはあろうことか口から嘔吐物を吐き散らし始めた。 「え、ちょ……」    呆気に取られているテティアをよそにウィリーは尚も吐き続けた。  しばらく、妙な間が空いた後、ウィリーが絞り出す様な声を出す。 「…………頭の中をめぐる情報量が多いと、人間はその負荷に耐えきれずに何かしらの症状が出る。例えば吐き気とかね……」 「それってつまり」 「そう、俺はその典型的な例さ」  ウィリーは口を拭い、フラフラと立ち上がる。 「君の攻撃を捌けたのもこのおかげ。どういう攻撃が来るか、それがどんな軌道でどんな速さか……それを予測して対応する、この頭じゃ造作もない」 「…………」  ようやく分かった。  テティアが覚えた違和感の正体。  本当にそんなことがあり得るのだろうか?   自分はしかとその光景を見てしまった。  彼は初めから人間などでは無かった。   「…………」  改めて自分が対峙している相手の異常さに、テティアは思わず拳を強く握る。 「さっき君は「理由なんて無い」って言ってたけどさ、本当は「理由が分からない」んじゃないの?」 「え?」 「頑固たる意思表示ができていないし、かといって殺しに対する境界線が貼られているかと言うとそうでもない。さっきだって俺を殺そうとしたけど、警察とは言え俺だって下流階級の国民なんだぜ? 見境無しに殺しにかかるのはないよ」 「それは……」  テティアは少したじろぐ。 「目標だけが一人歩きしていて、目標(それ)に君自身も追いつけてない。まるで誰かに、そう(王族殺しを)する様に操られてる傀儡みたいだ」  ウィリーは笑った。  夜の闇に溶けた彼の顔に、差す月明かりが影を落とし、その笑みと影が混合した嘲笑を浮かび上がらせる。 「一連の王族殺しは君一人で企てた訳じゃないでしょ?」 「……!?」 「優秀な指導者(バック)が二人……いや、一人いるね? でも指導者(そいつ)もまだ未熟だね。これまでの犯行、国に及ぼす影響としては薄い。狼煙のつもりだとしても回数が多いよ」 「…………」    ウィリーは自分のこめかみを指で突いた。  やはり危険なのかもしれない。  ウィリーと言う(悪魔)と手を組むこと自体が。いや、そうであるなら、自分がこの状況にいる時点で詰みだ。  ならば、今ここでやらなければ。  テティアが右足を引いて構えようとしたその時。  後方から雲を断ち切る程の悲鳴が聞こえた。  振り返れば、悲鳴が聞こえてきたのは、ちょうど襲撃したところからである。 「流石にもう気付かれたか」  ウィリーが首を掻きながら舌打ちをする。 「鬼の吐息。明日、朝にまた会おう。場所は商店街の花屋の隣にある路地裏だ」 「罠かどうかは確かめさせてもらうわ」 「はは、どうぞお好きに。そしたら、もうじき帰った方がいいんじゃないの?」 「ええ、そうね」  そう言うと、テティアは外套を拾い走り去ろうとした。 「ああっと、ちょっと待って」  しかし、ウィリーの制止によりその歩を止めることになる。 「鬼の吐息なんて言い辛いからさ、名前、教えてよ」 「はぁ?」  このタイミングで名前を教えるのに時間を割くのはいささか気が引けるが、逆に好意的な所を見せた方が良いかもしれない。  テティアの脳裏にいくつもの考えがよぎるが、テティアは決断する。 「……テティア。今はこれだけにしておく」 「テティア……じゃあ、王族殺しのテティアか」  いかにも、というような名前を口ずさむように呟いた彼を他所に、テティアは走り出す。  その足音は全くもって聞こえなかった。  残されたウィリーはその背中が次第に闇に埋もれていく様を見ていた。 「……あんな可憐な少女が殺し回ってたなんてね。知らない方が良かったかもな」  ウィリーはか細い笑みを浮かべながら、夜の闇に消えていった。
/4ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加