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「おかえりなさい!思ったより早かったね」
家に帰ってきた僕を妻が玄関で迎えてくれた。
「わざわざ大丈夫なのに。身体も大変なんだから、ゆっくりしてて」
僕は、妻のお腹を優しくさする。五ヵ月目ともなると、だんだんと膨らみを帯びてきているのが服の上からでも分かった。
「まだ大丈夫だよ。むしろ今までずっとグデグデしてました」
妻ははにかんで、お腹をさする僕の手に自身の手を重ねた。僕は微笑み返し、さらにその上に僕自身の逆側の手を重ねた。
「じゃあ、もっとゆっくりしよう。明日は日曜だし、残った家事は明日僕がまとめてやるよ」
はーい、と元気よく答えながら妻はリビングに戻っていった。
手を洗い、部屋着に着替えて、僕もリビングに向かった。妻は、ダイニングテーブルの席についていた。テーブルには、温かいお茶が入った湯呑が二つ。
「粗茶ですが」
「ありがと」
冗談のようなやり取りをして、僕も向かい側に座る。お茶をすすると、身体がほぐれたような安心感が生まれた。
「……どうだった?」
妻が、お茶を飲みながら、おずおずと切り出した。
「んー、やっぱりおばあちゃん、長くないって」
「そう……叔母さんは?」
「叔母さん……チヨちゃんは、身体は問題ないよ。糖尿病と高血圧はあるみたいだけど。まあ、それもお母さんが亡くなるまでは、お盆と年始くらいにしか会わなかったから、最近知ったことだけど」
「そっか……」
そこで、妻は不安げな様子でもにょもにょと口籠もる。言いづらいことがある時、必ず妻はこうなる。だが、言いたいことは分かっていた。
「大丈夫」
妻と、そして僕自身に言い聞かせるように僕は声を上げた。
「チヨちゃんは、おばあちゃんが亡くなったら、施設に入る。入所したら、もう滅多に会うことはない。お金も、今までの障害者年金の貯蓄もあるみたいだから心配することはない。君と……これから生まれてくるその子には、絶対に迷惑をかけないようにするよ」
「……分かった。ありがとうね」
妻は、どことなくホッとした様子でお茶をすすった。僕もお茶をゆっくりと飲み干し、宣言通り、その日の午後はゆったりと二人で過ごした。ゲームで遊んだり、近くの川に散歩しに出かけた。二月の半ばの割には暖かく、地元自慢の河津桜はこの上なく美麗だった。ひらひらと舞う花びらが、直ぐそこまで来たる春を予感させた。夕飯は、そのまま外で食べることにした。少し奮発して、美味しいと評判のオーガニックカフェでミニコース料理を頼んだ。有機野菜で作られた料理は、どれも評判に違わない確かな味だった。
じんわりとした満足感を抱えながら、妻と手を繋いで歩いて帰った。
大学生の時に出会った妻と結婚して、早二年。地元で就職した僕のところに、結婚を機にやってきてくれた。義実家とはいくつもの県を隔てているので、周囲に頼れる人はなかなかいない。
彼女と生まれてくる子どもには、余計な気苦労はかけさせたくない。
世界には、楽しいこと、綺麗なもの、美味しいものが溢れているのだから。
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