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1.
「めぐすり」
知世乃ーー僕の叔母は、唐突に呟いた。僕は、彼女をチヨちゃんと呼んでいる。僕の母がずっとそう呼んでいたからだ。
チヨちゃんの目の前に座る内科医は、怪訝な表情をした。
最近変わったことはあったか、という返答がこれでは当然のことだろう。
「ああ、目薬がね、むかーしにもらったやつが切れたみたいなの。また出して欲しいわあ」
すぐさま、僕の祖母がそう言った。チヨちゃんのすぐ横に寄り添うように座っている。
内科医は、納得したように処方箋をパソコンに打ち込んだ。
「あー、とにかくね、知世乃さんは血液の結果は、いつも通り。糖尿病と高血圧。劇的な悪化はないけど、食生活には気をつけさせるようにね」
はい、と祖母は神妙な顔をして頷くが、きっと明日には忘れているだろう。
内科医は、祖母とチヨちゃんの方に視線を向けていたが、実際は、二人の後ろに立つ僕に内容を覚えてもらいたいのだろうなと、なんとなく理解した。
「じゃあ、二人とも待合室に行っていて大丈夫ですよ。キヨ子さん、お孫さんと話させてもらうからね」
祖母とチヨちゃんが診察室から出ていくと、内科医はさて、と切り出した。
「今日は来てくれてありがとう。やっぱりね、お孫さんがいるだけで落ち着くのか、キヨ子さんの話もスムーズだよ。君は、キヨ子さんとは別の家に住んでるんだよね?近いの?」
「ええ、僕は妻と、アパートに暮らしていて……おばあちゃん家までは車で30分といったところだと思います」
なるほど、と内科医は相槌を打つ。
「知世乃さんは、まあいつも通りの内容だけど、やっぱりキヨ子さんがね……。もう腎機能もほぼ機能していない。そのことは、聞いてるね」
「はい」
「本当なら透析が必要になるけど、ご本人は拒否している。これも聞いているかな?」
「はい」
内科医は、深くため息をついた。
「知世乃さんの世話があるからといってね……。家でご自身で行う透析は、もうだいぶ記憶力が落ちてしまっているから不可能だろう。知世乃さんが、手伝える状態ならよかったけど、それも無理な話だね……誰か手伝えるひとがいればね……」
そこで、内科医は意味ありげに僕に視線を送る。僕は、それに気付かないフリをして、無言で視線を切った。ぎこちない沈黙が続いた後、諦めたように内科医が話を続けた。
「……しょうがない。もう85歳だ。寿命と思おう。キヨ子さんが亡くなったら、知世乃さんをどうするかっていう話は進んでいるかい」
「ケアマネージャーさんと、一応お話はしています。あと重度の知的障害者ということで、区役所の支援課の人も気にかけてくださっているので、そこら辺は円滑に進みそうです」
よし、と内科医は頷く。
「大変だと思うけど、よろしくね」
「僕にできることであれば」
できないことはしない、という裏返しの言葉を返した。
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