過去編 伊東 旭

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過去編 伊東 旭

「ハァ……」  目の前の光景を見つめ、伊東(いとう) (あさひ)は白いため息をついた。  都市が凍っている。誰も彼もがいなくなったせいで、冬の冷気に抗う術を持たず、何もかもが凍り付いて半透明の宝石のようになってしまった。地面には雪も積もっている。そこへ日の出と共に光が差し込み、視界の全てを輝かせた。  終末を迎えた世界。けれど、最も悪い時はすでに過ぎ去った。これは同時に、新しい世界の始まりでもある。寂しくも荘厳な風景は彼にまでそんな柄でもない感想を抱かせる。気分は詩人。この地上に、たった一人の寂しい詩人。  今は一八歳。月から降り注いだ謎の光のせいで世界が滅茶苦茶になってから、早くも一年経った。  凍りついた街を眺めながらぼんやり黄昏ていると、やがて背後から声がかかる。 「ドウしたンデスカ、あさひ?」  いかにもなイントネーション。それだけで日本人でないことがわかる。  独特なクセのある響きを持った声なので、個人の特定も容易だ。 「おはよう、ドロシー」 「グッモーニン、あさひ」  小さなビルの屋上。立ち尽くす彼の横へ、赤毛で茶色い瞳の少し年上の女性が並ぶ。ドロシー・オズボーン。アメリカ人だ。地下都市にいると思っていたのに、いつの間にやら上がって来たらしい。 「ここは危ないよ」 「アハハ、コノ世界でアナタの隣より安全な場所なんてありマセン」  そんなことは無いと思うが、しかして一理ある意見だとも思った。彼女一人くらいなら、たしかにどんな危険に見舞われても守り切れるだろう。 「アナタはヒーローデス。自覚しなサイ」 「そういう呼ばれ方をするのは、やっぱり苦手だな」  鋭い眼光。高身長。筋肉質な体つき。一見すると怖そうなのに、へろりとした情けない笑みを浮かべる彼。途端に厳つい雰囲気は消し飛んでしまった。この旭という少年は、実際には気弱で大人しい性格なのである。  それが、なんの因果か持って生まれた不思議な力で多くの人々を救うこととなり、今や“英雄”なんて呼ばれてしまっている。ついには生存者達が集った仙台の地下都市を彼の王国にしようなんて話まで出て来た。本人は嫌がっているのに。 「いくらなんでも冗談だよね、今時、王様なんてさ?」 「ハァ? 何を言ってるンデスカ、私の生まれた国には今もキングがいマス」 「アメリカは大統領でしょ?」 「ソレは育った国。私、こう見えて生まれはイギリスです」 「あ、そっか。イギリスには王様がいたね」 「イエ~ス。他の国にも意外と王様はいマスヨ。有名ドコロだとオランダとか、ベルギー、モロッコ、ブータン。ていうか日本のテンノーヘーカだって似たようなモノでしょ?」 「それはそうかも……いや、でも、一番問題なのは俺が王様にされそうなことだろ」  どこの世界に一八歳の一般市民を王様にする国があるというのだ。政治のことなんて何もわからないのに。  しかし、ドロシーは不服そうに眉をしかめて首を傾げる。というか上半身全体を傾けて下からこちらを斜めに見上げた。長い赤毛が重力に引かれカーテンのように垂れ下がる。胸元の隙間から谷間が見えてしまい、旭は慌てて顔を逸らした。しかし、ドロシーはぐるっと回り込んで今度は正面から黒い瞳を覗き込む。吸い込まれそうなほど大きな瞳に、どうしても目が離せなくなった。 「ソレの何がイケナイ? さっきも言いマシた、アナタはヒーローデス。たった一人で何万人も助けマシタ。私も助けられマシタ。今だって守ってくれてマス。アナタの素晴らしい力と優しさが無ければ、人類はアナタ一人を残してとっくにくたばッてマスヨ? 皆が感謝して、お返しを考えるのはアタリマエのコト」 「いや、でも俺は……」  別に、皆を守ろうとしたわけじゃない。たまたま、あの霧から生まれる怪物達を倒せる力を持っていたからそうしただけだ。一番守りたかったものは最初に喪ってしまった。だから正気に戻った後、たまたま目の前にいた人間を── 「あさひ、あの時、私を助けてクレタのは、お母さんの代わりデスカ?」 「ッ!」  図星を突かれて硬直する。  ドロシーはクスクス笑いながら抱き着いて来た。 「ホントーにアナタはわかりやすい人デス。別に、ソレでも構いマセん。アナタが私を助けてくれたコトは変わらない。皆だってソウ言いマスヨ。王様をやる自信が無かったら私が助けてあげマス。タクサンの命を守っている分、タクサン周りに頼っていいノ。キングはデンと座って構えていれバ、オールオッケー。難しいコトは、できる人に任せなサイ。アナタが傍にいてくれる。ソレが皆の……いいえ、私の安心なんデス」 「ドロシー……」  我慢できなくなって抱きしめた。この一年、彼女のおかげで生きて来られた。何もかも奪われた悲しみから立ち直ることができた。だから彼女を守りたい。母に出来なかったことをしたいからではなく、一人の男として傍にいて守り続けたい。 「大丈夫、ズット一緒にいマス」 「うん……」 「不安だったら、いつでもこうしてあげマスから、そろそろ戻りましょ?」 「そうだね、行こう」 「あ、トコロで、もし本当にキングになったら、一つお願いしたいことアリマス」 「何?」 「コミック! 新しいコミックが読みたイ! 国民に創作活動を推奨しまショウ!!」  そういえば彼女は、彗星が落ちてきたらしばらくは好きな漫画の続きが読めなくなってしまうかもという理由で、両親と共に日本へ移住して来たのだった。彼女の父親があの彗星の発見者だったから、その功績に免じて特別に新宿の地下都市に住むことを許されたらしい。 「相田先生の作品だけじゃ駄目なの?」 「もちろん先生の“突発性エモーショナル症候軍”は名作デース。でも、他にも色々読みたいヨ! ここ日本なのに、今はアイダ先生の漫画しか読めナイッ!」 「ほとんどの漫画家さんは東京にいただろうしね……描ける人自体は避難民の中にもまだいるんだろうけど、今はまだそれどころじゃないからなあ」 「復興のためにも癒しは必要デスっ。是非とも皆サン、漫画描いてくだサイ。小説でも構いませんっ」 「地下都市にも色々あったよね?」 「めぼしいのはもう読んじゃったヨ。フレッシュな作品が読みたい」 「う~ん、そうか……」  王様になるつもりはないが、もしもならざるを得なくなったらそういう政策も面白いかもしれない。たしかに、生き延びるためにがむしゃらに働いてばかりではいけないと思う。もっと皆が笑顔になれる機会は増やすべきだ。  笑えてさえいれば、人は生きられる。旭はその事実を他ならぬドロシーとの出会いによって学んだ。同じように、笑うことを忘れてしまった人達に伝えられたらなと、そう思う。  ──直後、朝日より眩い輝きが彼方に落ちた。 「ホーリーシット! いい雰囲気だったのに、空気読みなサイ!!」 「……そんなこと言ってる場合じゃない」  普通の人間には感知できない光が旭には見える。地球全体を汚染した謎の物質が放つ銀色の輝き。それが集まり、何かの形を取って自分達に迫って来ている。凄いスピードだ。それの前にある建物がことごとく打ち砕かれ、瓦礫が宙に舞い上げられる。凍結し静寂に包まれていた廃墟が一転、激しい破壊音の波に飲み込まれた。 (クソッ、見逃してた!)  目の前の景色やドロシーに気を取られ、頭上に流れてきた黒雲を見逃してしまっていた。  だが、まだ遠い。自分が囮になれば彼女の退避は間に合う。 「すぐに地下へ戻るんだドロシー。皆に気を付けろって伝えて」 「イエス! アナタも気を付けて、あさひ!」 「ああっ!」  ドロシーが走り出すのと同時、旭は急速に近付いて来る気配を見据え、力を解放した。  渦が生じる。銀色の微粒子が結合した空気中の水分と共に向かって吸い寄せられ、彼の周囲で螺旋を描く。その様から、人々は彼をこう呼ぶ。  嵐を生む英雄“渦巻く者”(ボルテックス)。 「こっちだ!」  この力を使うと、霧から生まれる怪物達──“魔物”は何故か自分に引き寄せられる。なので地下都市の入口から離れるようにビルからビルへ飛び移って移動すると、案の定こちらを追いかけてきた。よし、これで地下都市からは引き離せる。  ある程度距離を取ったところで足を止め、迎撃態勢に移る。 「ここから先には進ませない。やっと、一年かけてようやく皆、立ち直りつつあるんだ。少しずつ前に進んでるんだ」  一年前のあれは人類史上でも類を見ない大災害だった。人類がかつての暮らしを取り戻すまでには、きっと想像を絶する長い時間を要するのだろう。  自分達はまだ、その一歩目を踏み出したに過ぎない。  王様になるかどうかは、ともかくとして── 「邪魔はさせない!」 「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」  巨獣が咆哮する。今回はドラゴン型か。翼こそ無いが、それ以外は“アイツ”に良く似ている。その事実に気付いた途端、旭の中で燻っていた炎が燃え上がった。怒りに滾る復讐者の意志。母を殺した赤い巨竜への殺意。 「消え失せろ! 俺がいる限り、もう誰も殺させない!」  銀の軌跡を描いて飛翔する彼。吸い込んだ魔素を噴射し、超高速で敵の額に蹴りをぶち込む。鱗が吹き飛び、頭蓋が陥没し、巨大な怪物がその一撃でたじろいだ。それほどの威力の攻撃、普通に考えれば人体が耐えられるはずはない。反動でバラバラに砕け散るはず。しかし彼の肉体は傷一つ無く、それどころか彼の意志に応えるようにさらに強靭さを増していく。ミシミシ、ギシギシと音を立てながら、一瞬ごとに自分の体がより強く進化していくのを感じる。  これは、本当に意志に反応しているのかもしれない。この身に吸い込まれる銀色の微粒子には、もしかしたら願いを叶える力があるのでは? だとしたら、現実には存在しなかったはずのこの怪物達が現れることも誰かの願いの結果なのか?  どうでもいい。今はただ、敵を倒し、彼女達と共に生き残る。  そして世界を復興する。いつか母との約束を果たすために。 「俺は! オリンピックに出て、メダルを取るんだ!」  腰だめに構えた拳へ集束する銀色の光。ひるんだ相手の顔の下に潜り込み、ますます輝きを増したそれを叩き付ける。  ただのアッパーカットだ。だが、それが巨大な光の柱を生み出す。天を貫き、怪物の胴体に風穴を空けた。  するとその一瞬、何かが見えた。 「なっ!?」  頭に流れ込んで来る無数の景色。霧に包まれた東京。そこを彷徨う奇妙な格好の人々。刀を持った武士らしき一団。凛とした女剣士。蜂蜜色の長い髪。そして、どこか生物的なデザインの一本の杖。  最後に、白い髪の女性が振り返って微笑む。良く似た少女が傍にいるから、母親だろうか? 『彼女をよろしくお願いします、旭さん』 「──……」  誰のことかと問いかける前に、その一瞬の白昼夢は終わっていた。呆然と空を見上げる旭。確信は無いのだが、この“誰かの記憶”は空から降って来た。そう感じた。  次の瞬間、そんな彼を巨大な前肢が殴り飛ばす。 「うぐっ!?」  いくつもの建物をぶち抜き、やがて瓦礫の山に激突して止まる。あの怪物に殴られた。今しがた空けた風穴がすでに塞がり始めている。 「外して、いたのか……」  少なからぬダメージに耐えつつ立ち上がる。霧から生まれる魔物の一部には“結晶”を抱えているもの達がいる。銀色の霧が集まって球形になり状態の安定したそれは、大抵の場合“心臓”の中に宿っている。それさえ破壊すれば倒せるのだ。  さっきは適当に心臓がありそうな位置に当たりを付けて攻撃した。しかし外れていたらしい。結晶持ちの魔物はそれを破壊しない限り、いくらでも再生してしまう。  でも、まだ戦える。こっちもこの力に目覚めてから異様に頑丈な体になった。この程度ならまだ十分勝てる。  そう思った時──さらに複数回の落雷が立て続けに発生した。 「……嘘だろ」  五体の巨大な魔物が彼を取り囲むような形で出現した。それぞれ姿の異なるその怪物達の顔を見渡し、旭は再び嘆息する。その周囲で渦がよりいっそう大きくなり、加速した。  応えろ、応えろ、応えろ。怪物を生み出す銀の霧よ、お前がもし本当に願いを叶えるものならば、この願いに応えてみせろ。 「俺を、もっと強くしろ!」  吠え立てて、彼は再び目の前のドラゴンに立ち向かって行く。振り下ろされた爪を砕き、自分を圧し潰そうとした顎を力ずくでこじ開け、今度は口の中に閃光を叩き付ける。  再び光の柱が生まれ、ドラゴンを消し去った。余波で大きく弾き飛ばされながら、その勢いを利用して外骨格を持つ羊のような怪物との間合いを一気に詰める。 「おおッ!」  彼の叩きつけた拳は、再び敵を粉々に砕いた。 「あさひ! 大丈夫!?」  地上の喧騒が止んだからだろう。様子を見に、何人かの仲間達が上がって来て道路に倒れている彼を見つけた。その中には顔を真っ青にしたドロシーもいた。 「酷ぇ怪我だ……おい、地下都市に運び込むぞ! タンカ持ってこい!」 「お前さんがこんなにやられるなんて、いったいどれだけ敵がいたんだ」  地上の仙台市は見るも無残に破壊され尽くしてしまっていた。これではあと数年以内に完全に風化してしまうだろう。この戦いの影響が地下にまで及んでいないといいのだが。  それよりなにより彼を助けなければ。仲間達は必死に応急手当を施し、手を握っていてやれと言われたドロシーが両手でギュッと旭の左手を握る。  すると── 「おい、無理するな!」 「少し、だけ……」  気絶しているものと思っていた血塗れの彼が目を開け、自分の右手をドロシーの両手に重ねる。  そして言った。 「結婚……して、ください……」 「へっ?」  唐突なプロポーズ。何体もの怪物と戦った直後で頭に血が上っていたことも一因だが、それだけではない。あの赤い巨竜との戦い以来、初めてここまで追い込まれた。死ぬかもしれないギリギリの状況。そのおかげで思い出した。どんなに超人的な力を持っていても、自分は人間だ。傷付けば死ぬ人間なのだと。  だから、悔いを残して死にたくない。想いを伝えなければと思った。 「愛してる……ドロシー、ずっと一緒に、いてほしい……」 「あさひ……」  彼女はしばし黙していたが、やがてポロポロ涙を零しながら毒づく。 「バカァ、どうして、こんな時に言うのヨ~」 「ご、ごめん」  予想外の反応に旭の方が戸惑ってしまう。  でも結局、ドロシーは頷いた。 「ズット、ズットズット一緒ね。大事にしてヨ、ダーリン」 「ありがとう。大事にするよ」  ズタボロの体で求婚して、病院のベッドの上でOKを貰った彼は、それから一年後──新たな国の王になった。そして赤い髪のお妃様と結ばれ、可愛い娘を一人授かり、その力で人々を守りながら仲間達と共に人類復興の礎を築いた。  そして、およそ三十年後、唐突に姿を消す。  地下都市の一部が崩落した事故で最愛の妻を喪ってしまい、それから一年後のことだった。 「父さんはいつか帰って来る」  唯一彼の行方を知っていると思われる二代目の王は、誰かに父のことを聞かれる度、そう言って微笑んだ。結局、彼女の寿命が尽きてもなお初代王・伊東 旭が戻って来ることは無かったが、彼が失踪してから二百と数年後、人々は彼女の言葉が正しかったことを知る。  彼は帰って来た。一七歳のときの記憶と姿で、己が王であることも忘れていたが──たしかに、帰って来たのだ。
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