入学式

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入学式

 嫌いなものがたくさんある。  走ること。汗をかくこと。心臓が激しく動くこと。誰かに触れられること。海。人の背中。答えのないもの。そして「本当」。  好きなものは、たぶんない。数学は嫌いじゃない。正しい手順を踏めば答えが出るから。  得意なことは嘘をつくこと。  私は、世界中の誰よりも上手に嘘をつく。つかなくちゃいけない。そんな宿命を負っているのだから。  なんてことを考えながら、薄っぺらくて耳障りがいいだけの言葉を滑らかに口から吐き出していた。 「新入生代表、澤野(さわの)千佳(ちか)」  スピーチをそう締めくくって一礼すると、体育館には温かい拍手が起こった。思いのこもらぬ言葉に、思いのこもらぬ拍手。そんなざわめきの中をかいくぐって席に戻る。  今日は星山(せいざん)高校の入学式。  県内でもトップクラスの進学校であるこの高校は、良く言えば何の問題もない学校で、悪く言えば他人に興味のない人間の集まりだ。大切なのはテストの点数と三年後に控えた大学受験の結果だけ。  しかし、新入生を迎えるこの日ばかりは、そんな殺伐とした星山高校にもハレの日特有のほのぼのとした空気が漂っていた。  壇上には今、グレーのスーツの胸元に花飾りをつけた校長がいる。慣れた様子で、にこにこと藍色の制服を着た集団に向かってありがたくてありきたりな長い長いお話を続けていた。  春の陽気とその単調なリズムに眠気を誘われながら、私はネットで検索した例文を継ぎ合わせただけのスピーチを思い返す。  そういえば、新入生の中に私をすごい目でにらんでいた眼鏡の男の子がいたっけ。きっと自分が入試のトップだと表明する新入生代表を狙ってたんだろう。  ごめんね。こんな、明日には誰も覚えていないようなことに情熱を燃やしている人がいるなんて思わなかったんだ。言ってくれたら代わってあげたんだけど、それはそれで君のプライドを叩きつぶしちゃうんだろうね。  どんなに平和な場所にも争いの種は転がっていて、ちょっとしたことで簡単に芽吹いてしまう。これから始まる三年間の高校生活、きっとあの男子生徒は私を嫌い続けるだろう。 「これからは仲間として協力し合い、切磋琢磨して――」  校長先生はそう言うけれど、私たちはこれから競争し、蹴落としていかなければいけない敵同士。学校だってそれを望んでいる。それを仲間だとか切磋琢磨だなんて綺麗な言葉で誤魔化しているにすぎない。  もしも、蹴落とされたほうが「仲間じゃないか」と叫んだとして、その言葉に耳を貸す人間なんて、この学校の中にはどれくらいいるんだろう。そんな綺麗事を信じて勝手に傷付くほうが悪いのだ、と言われるのがオチだ。  世界は嘘であふれている。 「――では、みなさん。我が星山高校の一員として、実りある高校生活を送ってください」  入学式は、校長のそんな言葉で幕を閉じた。
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