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「それと……ずっと、渡せなかった物があるの……」
そう言って奥さんは、応接室を出て手に何かを持ち戻って来た。
「やっと、これが渡せるわね。家族が出来た尋君なら、大事にしてもらえるかしら」
そう言って、彼に手渡す。
彼の手に少し小さめのサイズ、A6サイズぐらいの『母子健康手帳』。
可愛いイラストが描かれた下に、『橘 尋(たちばな ひろ)』と書かれている。
彼の目から涙がポタポタと零れ、手帳に落ちる。
慌てて彼は手帳に落ちた涙を拭いた。
私は彼に近寄り、彼の顔を見ると微笑んで中を開く。
名前と生年月日の他は……全て……黒のマジックで塗りつぶされている。
住所や親の氏名、かかりつけの病院や産んだ病院の名前や住所全て。
「尋君がうちに来た時には、その黒塗りの状態だった。身元が分からないように、親御さんが塗られたんでしょう……名前と生年月日しか分かるものはなかった」
(だから……親から残されたのは名前と生年月日だけって……)
「だけど、お腹にいる尋君の様子はずっと、記録に残されている。成長を楽しみにして、きちんと病院に通っていた証拠。親御さんにどんな事情があったのかは分からないけれど、尋君を大切に育ててくれていたと思う」
黙って涙を零し、何度も頷いている彼。
「中学を卒業して、この学園を出た時に本当は渡そうと思っていたのだけど、あの時に渡していたらきっと、恨みや憎しみが増えてしまうかも知れないと思って渡せなかった。でも、今なら、尋君は大切に育てられて生まれて来たんだって分かってもらえるよね」
「…っ…はいっ……ふっ……先生、俺、先生が今言った事、聞いたの2回目だよ」
「えっ……」
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