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昔、あの青く広い場所を何度も飛びたいと願った。手を伸ばし、伸ばし、それでも届かなかったあの場所。手を上下に振っても、それこそ飛行機に乗ったとしても、飛べも、飛べたとも思えなかった。
――そんなことを、こんな真っ暗なところで思い返す。ついぞ叶わなかったその願い。そして今は、そんな空を見ることも出来なくなっていた。
「おい104」
「あ、490先輩」
作業中に番号を呼ばれたので振り向くと、そこにはなぜか俺によく構ってくる先輩がいた。見た目はいつ見てもとても不健康そう。真っ黒な髪も服も……羽だってぼさぼさでぼろぼろだ。
「いつも作業なんかして。そんなにここが嫌なのかよ」
「先輩は逆に、ずっとここにいてもいいんですか」
作業の手を止め、体ごと先輩に向ける。
俺みたいに作業を頑張って早く出たがる者、作業をせずに好きに生きる者。俺は早くここを出たい。なぜ先輩がここにいたがるのか、ずっとずっと謎なんだ。
「当たり前だろ? オレは天使なんざごめんだ。天使なんぞになるなら、オレは一生この真っ暗な世界で生き続けてやるよ」
先輩は俺に背を向け、ボロボロの黒い羽を見せた。同時に自分の綺麗な羽を思い出す。
そして最後に、見たことはない想像上の真っ白な羽を。
俺らは、悪魔だ。人間時代”いいひと”になれなかったやつの末路。犯罪を犯した者、何も成し遂げられなかった者、そういう奴が集まる。真っ黒な空間で好きに暮らし、任意で作業をしていく……生前考えていた地獄より楽な、それでもゴミ溜めのような。
対して、そう、天使が空の向こうにいる。天使は人間時代に何かをなしとげた者……それか悪魔がここで”いいこと”をしてなる。俺のやっている作業もそのひとつ。
「分かりません。俺は、あの空を飛びたいんです。だから天使になるために頑張ります」
「はっ。まぁ管理番号が104の時点で、そういう奴なのはわかってたけどな。対してオレの番号はずっと変わらず、このボロボロの羽が朽ちた時に消えてやっと変わる」
管理番号は別に若いからと数字が大きくなる訳ではなく、天使になったり消えたりした番号に入っていくため、俺と先輩も俺の方が若いのに数字が小さい。
そして俺の数字はなぜか皆天使になっていくため入れ替わりが激しいそうだ。
「お前だって、もうすぐ天使になれるんだろ?」
先輩の言葉に深く頷く。悪魔になってからただひたすらに作業をしてきた俺は、人間時代でいうあと一週間ほどで天使になるための”いいこと”に達するらしい。
昔見た青い空を思い出す。もうすぐあの空へ行けるんだ。
「そうです。何十年も頑張ったかいがありました。あと少し、頑張らないとですね」
―――――――
――そして、俺が悪魔ではなくなる日。
「先輩、今までありがとうございました。次の104も可愛がってあげてくださいね」
「当たり前だろ。まあ、次のやつが来る前にオレは消えてるかもしれないけどな」
何百年もここにいたらしい先輩。確かに、もうそろそろ時期なのかもしれない。
先輩にこれからずっと会えなくなってしまうんだなと思うと、とても悲しくなった。この暗い光なんて少しもないような世界で、いつか天使になれるということと……先輩が、俺にとって光だったから。
天使にはなりたくないと言うけれど先輩は”いいひと”だった。
「ですね。悪魔のまま消えると天使みたいに転生もできないですし……正真正銘のお別れです」
「オレは自分でこの道を選んだからな。お前も自分の進みたい道を楽しく進めよ」
先輩の言葉に、不覚にも涙がこぼれる。
「では、さようなら」
深くお辞儀をする。
そのまま『天生の儀の間』へ。
誰もいない灰色の空間。恐る恐る足を踏み入れると、すんなりと入ることが出来た。
ここは監視も誰も居ないけれど、天使になる資格がある人しか入れない。
悪魔となった人達は天使になる条件を満たした時に、右の手の甲に徐々に濃く小さな羽の紋章が現れていく。それが資格。
中に入ると淡い光が現れ始めた。俺を包むように……体の黒い何かが洗われていくように。音を閉じ、その感覚に体の全てを委ねる。とても暖かく優しい感覚だった。
目を開ける。そこには長らくみていなかった……白が、あった。
羽を軽く触ってみる。悪魔時代毛なんてひとつもないツルツルだった羽が、ふわふわの真っ白な羽に変わっていた。
「俺……本当に天使に、なったのか?」
恐る恐る羽を動かしてみる。前だって飛べてはいたけどあんな真っ黒な空間だ。飛べてるなんて感覚はあまり無かった。
しかしここは天使の場所。下を見れば飛行機から見るよりも高いところから見下ろしたような地球の世界があった。
足が少しずつ立っていた場所から離れていく。そして――
「飛べた……」
前に羽を動かす練習をしていたので、ある程度は自由自在に動くことが出来る。練習の甲斐あって、俺は天生してすぐに空を飛ぶことが出来ていた。
空を飛ぶ。
ずっとずっと叶えたかった夢が今叶っている。楽しく飛んでいると他の天使が俺の方に合わせるように飛んできた。
「ねぇ、君あそこからでてきたってことは今天生したばっかりなのかい? 僕も元は悪魔なんだ、仲間さ! よろしくね」
「私は元から天使だけれど、たくさんの人の悪魔時代の話が聞きたいの。お話して欲しいわ」
「あぁ。よろしくな」
夢にまで見た羽を思う存分広げ、動かし、届かなかったこの場所を、飛んでいる。
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