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三 湘南宗化
修行僧たちがその日の勤めを終えた遅い夜、湘南宗化は住職を務める大通院に絶蔵主を呼んだ。大通院は大方丈のすぐ北側にある。
「来たか」
湘南は経を繰る手を止め、穏やかな笑みで絶蔵主を迎える。絶蔵主は無言で部屋に入り、湘南の前に座した。
揺れる灯火が若い僧の姿を照らし、唇を固く結んだ厳しい顔に影を作る。
特に殊勝な態度でもない。見ようによってはふてぶてしいと形容出来るほど堂々としている。背筋を伸ばし、真っ直ぐに己れに眼差しを向ける若い僧と、湘南は黙ったまましばし対峙した。
寺が己れを逐うというなら、火を放って灰にしてやる。
昼も夜も、腹を下して厠に籠った時でさえ書を手放さなかったと噂される青年は、抜群の記憶力と理解力と、強烈な知識欲、そして己れの能力に対する、傍目には傲慢と映るほどの自信と自負心の持ち主だった。同輩は勿論、師僧も名のある高僧も、納得出来なければ経典さえも、容赦なく嘲り罵った。だが先日、ある儒者が仏典を攻撃した際、中堅の僧たちも手を焼く中、相手の矛盾をつき、鮮やかに仏の学の優位を論じきったのもまたこの男だった。
聞いた話では、幼い頃は通行人の足を掬って水路に落として面白がるといったとんでもない悪童ぶりを発揮、町内から苦情が殺到し、困り果てた両親が一度比叡山に預けたという。その後一旦家へ戻ったが、成人の式をあげてから―――この男は、浪人ではあるが武家の出身だ―――、妙心寺に入って正式に僧侶となった。
だが仏道修行に入っても、この男は依然、どんな手綱も許さぬ悍馬であった。
恐らく、わしの手綱などさらに受けまいが。
内心で、湘南はつい苦笑する。
絶蔵主が妙心寺に入るにあたって、湘南は縁あって多少の働きかけをした。かれの方でもそれは承知しており、互いに相手に対して多少の情がある。
朝廷から紫衣も許され、和尚の称も賜った己れを、高僧と人は見るだろう。
だが、湘南は凡僧とは言わぬまでも、せいぜい学識ある優秀な一僧侶に過ぎない。目の前に坐すこの激越な気性を持つ青年僧を心服させるほどの何かが、己れに備わっていると自惚れてはいなかった。
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