【奇縁氷人石〈後編〉】

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【奇縁氷人石〈後編〉】

 扉の外には、夏が広がっていた。  サクが居なくなったのと同じ頃合いで、俺は思わず自分の手足をみた。中学生の頃に戻っているのではないかと。  残念ながら、あるいはホッとしたことに、俺は俺のままだった。成長し、大学生になった自分と、中学生のままのサクのことを思い、涙が滲んできたが、涙を拭いて辺りを見回す。  みえている季節はどこかのっぺりとしていて本物らしくなかった。透明感のある雰囲気は、綺麗すぎて嘘くさい。気持ちの悪い汗も、草いきれも、ブヨやカもいない。なんなら、セミの声すら機械的に思えた。  そこは学校からの帰り道で、あの日、サクを置いて逃げ帰った場所に似ている。そして、彼女の泣き声が聞こえた。  道端で、中学生のサクが泣いている。 「サク!」  俺の呼びかけに、びくりとしたように顔をあげる。こちらをみた懐かしく愛らしい顔が、涙と恐怖に歪んでいた。  だれ?  そう問われたことがショックで声も出ない。俺だ、幼馴染みの……。と言いかけるも、サクはいまにも逃げだしそうな様子だ。そりゃそうか、もし、ここにいるのが中学生の頃のサクだとすれば、みしらぬ大人に急に声をかけられたようなもの。不審者でしかない。  どうすれば俺だと伝わるだろう。  しかし、考えている時間もなく、そこにやってきたのは、俺だ。中学生の頃の俺が走ってきて、いまの俺とサクとの間に割って入った。  なんだ、あんた? サク、行くぞ。  と、サクを連れていこうとする。それは当時の過去の俺なのだろうか。俺に背を向けながら、置いて行って悪かった、ごめんなと謝っている。あのとき、まさに俺が言いたかったこと、きっとサクが聞きたかったことを。おまえのことを嫌いになんてなるわけがないだろ、と中学生の頃の俺が言う。だが、 「違う!」  思わず声を出していた。 「それは、言えなかった言葉だ。言いたくて言えなかった。いつでも言える、明日でも、明後日でも言える、そう思って、言えなかった言葉だ。サク! ごめん。おまえなら許してくれる、いつでも会える、そう思っていたんだ」  不思議そうに、サクが俺をみる。しかし、もう一人の俺が、中学生の俺が、サクの背中に手をあてて連れていこうとする。一歩、二歩、だんだんと遠去かり、こちらの足は動こうとしない。ぐるんと振り返った俺が、にたりと笑う。その顔はもう俺の顔ではなく、どろどろに溶けた泥細工のようで、こぽこぽと音を立てた。 「その赤い糸を切ってやろう。年をくって別人となったおまえなどお呼びでない。この娘が望むのは子供の頃のおまえとの再会よ」  そして、その望みはもはや叶わぬ。  一歩、一歩、急速に離れていくサクの背中に呼びかけても返事はなく、張りつめた糸がチリチリと切れ始めていた。足下がずぶずぶと音を立てて沈み込んでいく。  俺は確かに……。サク! 信じてくれ。どうすれば信じてくれる?  どうすればいいのか、血の巡りの悪い頭をグルグルと必死で回転させる。どうすれば、どうしたら、俺を俺だと信じてくれるのか。 「サク! これを!」  俺は肌身離さず持っていた大切な紙を取りだした。奇縁氷人石に貼り付けられていた縁結び願いの紙だ。それを高く掲げて叫ぶ。 「おまえは、俺のお嫁さんになるんだろう? 浮気するんじゃない。サク!」  ずぶずぶに溶け始めていた足下の道が広くしっかりとした道となり、いまにも消えてしまいそうだった紅線が太い縄の如く。  ……くん?  振り返ったサクが俺の名前を呼び、ぱっと笑顔に変わった。隣にいた泥人形のようなものを振り払って走り寄ってくる。  しっかりと手を繋いで、もと来た道を戻るが、後にした道がぼろぼろと崩れ、夏を作っていたセカイも崩れていくようだった。  待て!待て!待て!  なにかが叫んでいる。もはや、俺の声でもなければサクの声でもない。ひねこびた恨みがましい声が俺たちを追ってくる。ものを考える余裕もないなか、眼前に本殿の扉が現れた。  こっちじゃ!  巫女さんの声がして、開いた扉へサクを押しこむ。続けて飛び込もうとしたところ、がしりと腕をつかまれた。  (のが)すまいぞ。  とのその声は、恐ろしいよりも悲痛な響きがあり、どこか哀れを誘うが、握りつぶすほどの力で腕をつかみ、俺を壊れた夏へ引き戻そうとするのだ。とても抗しきれない、そう思うところへ、扉の内側へ、ぐいと引く力がかかった。それぞれ俺の手を握って、巫女さんとサクが一生懸命に引っ張っていた。  そうして俺は助かった。  と言いたいところ、実際には、そう上手く行かず。右腕を化物に、左腕を巫女さんとサクに引っ張られ、体が千切れそうだ。 「あだだ、痛い痛い! やめて、離して!」 「馬鹿者! 離したら最後、おぬしが化物に囲われてしまうぞ。大岡裁きではあるまいし、そっと手を離し、とはいかん。我慢せい」  と言われても痛いものは痛い。いだだ、あだだ! と声をあげてしまう。サクの顔に迷いが浮かび、心配そうに巫女さんの方をみた。 「いかん、緩めてはいかんぞ。サク、こやつを化物に奪われてもよいのか」  問いかけに、ふるふると首を振る。それをみてうなずくと、巫女さんがさらに容赦なく俺の腕を引きはじめた。 「よし、サクよ、決して離すでないぞ。こやつのことは変な声をだす大きなカブだとでも思うがいい。さあ引け、よし引け、力の限り。腕力ではない。想いの力こそが力を持つのだ」 「あだだ、痛い痛い! 本当に痛いんですけど」 「やかましい! 自分の立場をわきまえんか。そのまま取りこまれたら、もう二度とこの世に戻ってこれんぞ。  それに、これは我にとっての好機でもあるのだ。おぬしを(えさ)に、縄張りを荒らしよった愚か者を一本釣りのうえ、叩き殺して、三枚におろしてくれるわ!」 「まさかのエサ扱い!」 「うらー!引っこ抜けい!」  すぽん! 勢いよく本殿内に引き込まれ、三人そろって床の上に引っくり返った。あわせて、ばたんと扉が閉まり、夏のセカイとの繋がりは断ち切られた。  助かった? 化物はどうなったのだろう? 「そこにおるではないか」  巫女さんが心の疑問に答えてくれた。その指差した先、俺の右腕に大きなセミの幼虫が張り付いていた。ひえっ、と気持ち悪さに動けないでいると、巫女さんが手を伸ばして、幼虫を乱暴にむしりとった。 「やれやれ、羽化しそこねた(セミ)であったか。大方、頭上をコンクリートにでも塞がれ、地上へ出られぬまま(よわい)を重ねたのであろう。こやつは我が浄化しておこう。さて、少々つかれたでな、我はもう寝る。おぬしらは、さっさと家へ帰れ」 「え?」 「なんじゃ、サクの家族にどう説明すればよいかだと? そんな瑣末(さまつ)なことは知らぬ。ただいま、と言うて帰ればよかろう」  いや、それは、とマゴマゴしているうちに、本殿の外へ放りだされた。サクと二人して、ごろごろと境内に転がり落ちる。互いにひっくり返ったまま顔をみあわせ、思わず、声をあげて笑ってしまった。  もはや季節は夏ではない。肌寒いなか、濃密な梅の匂いがする。さて、立ちあがった俺は、中学生のままのサクに手を差しだし、立ちあがらせると、あの日、一緒に帰れなかった道を、サクの家へむかって歩きだした。  子どものように、いや、子どもなのだが、小さなサクとはアンバランスだ。きゅっ、と手を握り返してきたサクが、クスクスと笑う。 「オジサンになっちゃったね」 「うるさいわ。何年経ったと思ってるんだ。って、そんなことより、どうすりゃいいんだ。親父さんらにどう説明すればいい?」 「さあ。なんとかなるよ、きっと」 「そうだな。まあいいさ。サクが帰ってきたなら、なんでもいい」 「ね、ね、何年も待っててくれたんだよね?」 「ああ」 「じゃあ、もうちょっと待っててね」 「なにを?」 「もう、結婚でしょ! プロポーズしてくれたじゃない。あたしはいま14歳だから、なんと後2年で結婚できるよぉ。あれ、待ってよ、同い年なわけでしょ。もしかして、あたしってばもう結婚できるんじゃない?」 「そんなわけあるか。そもそも親御さんの許しもないしだな」 「あれぇ、許しをもらえるように頑張ってくれるってことぉ?」 「知らん!」  と、そのようなことがあって数日、まさに現代の神隠しとして村中が大騒ぎとなった。なにを聞かれても説明のしようがないけれど、騒ぎとなるのもしばらくの間のことで、いずれ、昔のように、サクが生きてそこにいることが当たり前となっていくのだろう。  神社を訪ねていっても巫女さんの姿はなく、声が聞こえてくることもなかった。今日もまた神社を訪ねてみたけれど、梅の匂いも薄れ、もう季節も変わってしまう。過ぎてしまったことは、明け方の夢のように消えていく。  ただ、忘れないようにしよう。なにもかも、夢のように、雲のように、泡のように消えてしまうとしても。 「消えとらんわ!」  と懐かしささえ感じるツッコミが入った。 「馬鹿者が、勝手に消滅さすな!霊力の使いすぎで霊力痛が出て寝込んでおっただけだ」 「そんな筋肉痛みたいなことある?」  あるそうでして、事実は小説より奇なり。 「季節はうつろい、また戻ってくるものよ。また来年、梅の匂いをかいだらここへ来い」 「わかったよ」  散り始めている梅の花を眺めているところへ、サクが走りよってくる。 「どうしたの?」 「なんでもない」  みあげた空は晴れ渡り、空を行く梅はないけれど、薄れていく梅の匂いがしている。そして、人々の想いをうけとめてきた奇縁氷人石は、ただ黙ってそこに立っていた。
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