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虎との邂逅
虎との邂逅直後、外に逃げた私は再び虎の前に戻ってきていた。
やっぱり――見間違いじゃない。
私の部屋で虎が目を閉じてぐっすりと寝ている。すーすー寝息をたてて、腹の部分を膨らませて、気持ちよさそうに。
それはまさに虎模様の体毛。黄金色でふさふさ。その金色の額に、白くVの字になっているところがあった。
体長は私より全然大きい。百七十センチくらい。四肢の先には研ぎ澄まされた爪。私は思わずそれから目を逸らす。
この状況、どうする。
「とりあえず、連絡くれって言ってたし……」
ブレザーのポケットを探ってメモを取り出す。
加藤真一。
だいぶ変な人だったが、このおかしな状況を話す相手にはちょうどよさそうだ。それに本質的に悪い人じゃない気がした――これは私の直感だ。私の直感は小さい頃からよく当たる。
私はそのナンバーを順番にタップしていった。そして最後の数字をタップし終えた、そのとき。
「お主はなにをしておる?」
一瞬、もう電話が繋がったと思った。しかし音声がクリア過ぎる。それに聞こえたのは小学生くらいの男の子の声色だ。
「おい、応答しないか」
今度は耳が準備していたから声の方向がはっきりわかった。下だ。あしもと。そこにいるのは、虎。その虎は黄金色の透き通った氷の刃のような目を私に向けていた。
「どうした、お主は鳩か? そんな豆鉄砲を食らったような顔をして」
「虎が……虎が喋った」
「はん。虎が人語を話してはいけない理由がどこにある? もしや声帯が違うとかそんなつまらぬ回答をするわけではあるまいな」
私は凍ったように動けずにいると、スマホから声が漏れてきた。
「はいはーい、加藤でっす」
「――あ! あ、あの、私です」
「日本に『私』は一億人いるんだよ……あんた誰?」
「いや……あの……」
「ああ、その声はさっきの……佳奈ちゃんだったか。なんだ、虎でもいたか?」
そうです、うちに虎がいます、と出かかるけれどその言葉が舌の先でUターンしてしまう。言おうとしても、言えない。
「……どうした?」
「いやその、すみません。間違いました」
「間違えた? そんな――」
赤いボタンを押してスマホをしまう。……なぜ私は電話を切ったのだろう。
「お主。言わないなんて少しは賢いじゃないか」
「違う……言いたかったけど言えなかった」
「くくっ。そうだろうとも。ワシの目を見た人間はいいなりになってしまうからな」
「……どういうこと?」
そしてふいに虎が立ち上がった。四本の足を真っ直ぐピンと伸ばして。その雄々しい姿はどこか冗談みたいな不自然さがあった。
「それにしても無駄に広い家じゃ。それなのに人がほかにひとりもいない。それになんだか油くさい」
私、そんなに油くさいかな?
「お父さんがお手伝いさんとか雇うの嫌いだから」
「ふん。なあお主。虎信仰、というのはわかるか?」
知らない。
「それは世界各地にある。強いモノを信仰して自分も強くなろうとする……ま、人間特有のあれじゃな」
「……それとこの状況に何の関係が?」
「察しが悪いな。要するにワシがその神様なのじゃ」
神様。
虎が神様。
声が小学生男子のような甘ったるく、それが余計に神という言葉とアンバランスだ。
「――つまりじゃな。お察しの通りワシは本物の虎ではない」
「バーチャルな存在とでも?」
「仮想、というよりは理想に近く、もしくは妄想じゃな。端的に言えば、お主だけが認識している、虎の神様じゃ」
「……ほかのひとには見えないの?」
だとしたらさっき加藤を呼んでいたら大変なことになっていた。家宅捜索して白い粉が出てこなければいいけれど。……あれ。私の妄想であるのなら虎が出たという証言はおかしくないだろうか?
「誰かが神の存在を信じればそれだけで神が顕在化する。当然、他人にも見える。ワシ自体の存在はお主が虎の噂を聞いたから生み出されたのじゃろうな」
「ちょっと待って難しい……。虎のくせに……」
「虎のくせに、か。その生物差別はやめたほうがいい。知能が優れている種が生物的にも優れているという根拠はどこにもない。それと。その訝しげな目もやめた方がいい。他者を不快にさせる」
「……」
虎が私の部屋にいて喋る。
それにお説教まで。
現実がおかしくなったと言い切れるほど人生経験が短いわけでもない。となればおかしいのは私の頭。
「――でも私は虎の神様なんて信じる理由がないよ?」
「心の奥底でずっと願っておったろうに」
「私が願った……? なにを?」
虎が私を見る。そしてふっと視線を外した。
「ぐだぐだと話すのも勿体ない。神のワシとて時間は惜しいものだ――さあ儀式を始めるぞ」
「え、なに? 儀式?」
「そうじゃ。願い事を叶えるには儀式が必要だと、昔から相場が決まっているからの」
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