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3・4人目 三和美容室のマスターとお姉さん
何度も引っ越しをして、違う街で暮らした。
行きつけのスーパー、行きつけの定食屋、行きつけの喫茶店、
ひとつひとつ開拓して新しい街での生活に慣れていく。
その中で、だいたい最後に決まるのが髪を切る場所だった。
1カ月に一度しか店を試せない。
口下手なので、まずいろいろと聞かれるのが苦手だ。
完全な沈黙だと気まずくなってしまう。
感じよくコミニュケーションをとれる店にかぎって、仕上がりのイメージが合わない。
結局、納得できる店を見つけられないまま、その街を離れることもあった。
大学に入って初めて一人暮らしを始めた時も、行きつけの理髪店がなかなか決まらなかった。
アパートの周辺や、大学周りの理髪店はどこも合わない。
仕方なく生まれて初めて「理髪店」ではなく、「美容室」のドアをくぐった。
それが三和美容室だ。
ドア越しに髭のある男性が立っているのが見えて、美容室でもいいかもしれないと思ったのだ。
この髭のマスターは、ずっと一人で喋ってくれるタイプで気が楽だった。
髪型もナチュラルに仕上げてもらえて、とても満足した。
マスターは、ぼんやりしている僕に、つい言いたくなってしまうのだろう。
いつも自分の下積み時代の話をしてくれた。
美容師は腕一本で成り上がれる職だということ。
(カリスマ美容師といった呼び名も存在しない時代だった)
早く独立してやろうと、本気で修業していたこと。
だから29歳で独立して、この店を持てたんだ。
そう何度も誇らしげに語っていた。
何度か通ううちに、僕の担当が女性スタッフに変わった。
熊本出身で背が高く、眼の大きなお姉さんだった。
東京に出てきて、まだ長くなかったのだろう。
どこか田舎のおっとりした空気があって、笑顔のかわいらしい人だった。
そのお姉さんとは、不思議とリラックスしていろんな話が出来た。
僕も小さい頃に鹿児島にいたから、九州の話や、大学の話。
食生活のことまで心配してくれた。
まともに学校に行ってないと言うと、
「ちゃんと授業受けなさい」と笑顔で叱られた。
その時、少し頑張ったおかげで何単位か獲った。
かろうじて留年が2回で済み、退学にならなかったのはその単位が活きたからだった。
優しい笑顔の三和美容室のお姉さん。
こんなお姉さんが本当のお姉さんだったらいいよなぁ、と何度思ったことだろう。
※ ※ ※
ある日、渋谷からの井の頭線の電車で「コラっ」と声がした。
びっくりして見ると、三和美容室のマスターと、笑顔のお姉さんが向い側のドアのところに立っていた。
「お前、お母さんに連絡とってないだろう!
親不孝すんな!」
電車の中だというのに、大声で怒られた。
数ヶ月前、入学して親に準備してもらったアパートを勝手に引き払っていた。
大学の近くの安いアパートに引っ越したのだ。
そのまま親には知らせていなかった。
まあ正月には帰るからいいやぐらいに考えていた。
それが、どれほど心配をかけるか、考えもしていなかったのだ。
行方不明の息子を探しあぐねた母が、
美容室の年賀状を見つけて、それを頼りに電話で問い合わせたらしい。
それからは三和美容室に行く度に、マスターには「バカ息子」が来たと言われ、
バカ息子、バカ息子と呼ばれ続けた。
三和美容室は、
マスターに説教されに、そして笑顔のお姉さんに癒されに行く場所になった。
※ ※ ※
専門課程に進むと、大学の場所が変わった。
恋人も変わって、そのために住む場所も変わった。
そして、三和美容室からも足が遠のいた。
地方の会社に就職が決まり、最後のつもりで三和美容室に挨拶に行った。
マスターは、バカ息子がなんとか卒業して就職できたと聞いて、本当に喜んでくれた。
そして「ちゃんと働いて、親孝行しろよ」と、やはり説教された。
その日、会いたかった笑顔のお姉さんは居なかった。
マスターに聞くと、
「アレとは結婚したから、今は、下北の新居にいるよ」と。
そうか、マスターとお姉さんが!
マスターも、お姉さんに癒されちゃったんだな。
僕は納得し、二人の幸せを心から祝福した。
※ ※ ※
それから10年ほどして転職して、久しぶりに、東京に戻った。
ふと懐かしくなって大学や、大学の周りの商店街に立ち寄ってみた。
東京の姿は驚くぐらい速く移り変わって行く。
多くの馴染みの店と一緒に、三和美容室もなくなってしまっていた。
美容室の向い側には、和菓子屋があった。
2階がお茶のできるスペースになっていて、
高齢のご夫婦が変わらずに細々と営業を続けられていた。
ご夫婦に、廃れていった商店街の話を聞いた。
大学構内にあった寮が解体され、住んでいた学生が皆移ってしまったのが大きなきっかけだったらしい。
学生相手だった飲食店などは次々に店を閉じていった。
三和美容室についても尋ねた。
店は、人手に渡ってしまったらしい。
マスターは、渋谷のパチンコ屋で、かなりの額の借金を抱えたという。
そういえば、マスターは時々パチンコで儲けた話をしていた。
パチンコが怖いのは、玉を借りるようになった時だ。
自分の金で、最後の玉が無くなったら終わりに出来ればいい。
そこで熱くなって止められなかった時、店は、常連に喜んで玉を貸してくれる。
それは借金を背負うことだ。
今も、そんな悪質なパチンコ店があるのかわからないが、
当たりの設定確率など、裏でいくらでも変えられる。
嵌められた客は、底無し沼に沈んでいく。
借金がかさんで自殺したという話を聞くことだってあった。
「最後の日は可哀想だったよ。店の中のものが運び出されてて。
奥さんもね、子どもを抱えて、イヤだと泣いててね」
マスター、、、
どうしちゃったんだろう。
あんなに頑張って独立して手に入れた店だったのに。
あんなに可愛いい奥さんと築いた家庭だったと思うのに。
九州の奥さんの実家に身を寄せたのだとか。
それからも引っ越しをして、新しい街で髪を切る店を探す度に、三和美容室のことを思い出す。
マスターと笑顔のお姉さんはどうしているだろう。
手に職のあるお二人だ。
だからきっと、経済的なやり直しはできたと思う。
どこかで、二人の店をもう一度持っていたらいいな。
あんな風にちゃんと叱ってくれたマスター、
そして、本当のお姉さんだったらと願った笑顔のお姉さん。
お二人がご家族で、どうかお幸せでありますように・・・
僕はそのことを心から祈っている。
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