恋人ごっこ

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「え〜、もう帰るんですかー?」 「幸せ見せつけないで下さいよ!」 少し先にある、タクシー乗り場の方から大きな声が聞こえてきた。 あれは、同期の須田君だ。 フィールの男性社員が集まって、ワイワイとなにやら騒がしい。 誰かをお見送りしているのだろう。 上司を送る役目も、仕事のひとつだからなぁ…。 「ねぇねぇ、須田君達はどこかに行くのかな?聞いてみようか?」 同僚の提案にみんなが賛同して、人だかりの方へと近づいていく。 すると、その集団から抜け出して、タクシーへと向かう男女の姿が見えた。 聡君と江名が、冷やかしをかわしながら、笑ってタクシーに乗りこんだ。 「課長、よい夜をー!」 「お疲れ様でしたー」 社員達は頭を下げたり、手を振ったりしながら、2人の乗ったタクシーを見送っている。 私と一緒に歩いている同僚達は、目の前の光景に「しまった」と思ったようで、会話が止まってしまった。 ………そっか。 江名も、来てたんだ。 これ以上傷つくのを心が拒否しているのか、まるでフィルターをかけているみたい。 生々しい現場を突きつけられたのに、傷が深くなったのか、傷つくのに慣れてしまったのか分からなかった。 だけど同僚達の手前、何事もないように笑う。 「私達は別れて、お互い吹っ切れてるので、気を使わないで下さいよ」 わざと明るい声で言うと、みんなが"そうだよねー"と、変な空気を繕うように笑う。 「及川さんなら彼氏はすぐできるでしょ! ……というか、もう居たりして!」 「いやいや、いませんよ」 場の空気を壊さない。 大人だから、こんな事で泣かない。 当たり前。 こんなの、当たり前。 「ねぇ、須田くーん!これからどうするの?」 同僚の1人が男性社員の集団へ声をかけると、一気に視線が私達の方へ集まる。 あれ? 聡君を見送っていた輪の中には篠宮がいて、パチリと目が合った。
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