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江名はペコリと頭を下げると、別の社員の所へ行った。
江名から褒められた所で「アナタより私の方が魅力的なんです」と言われているような気持ちになる。
心にピシピシと亀裂が入っていくのが分かる。
「…杏璃ちゃん。私、14時から研修なの。ちょっと総務に用事もあるから、少し早いけど出るね」
「10年目研修でしたっけ?」
「そうなの。常務の長ーい話し聞いてくる」
「アハハ。分かりました!いってらっしゃーい」
定期的に行われる社内研修。
今回は入社10年目が対象で、いつもは心から面倒くさいが、今日は研修があって良かったと思った。
聡君と江名を見なくて済むから。
堂々と逃げ出せる理由が欲しかった。
だけど逃げ出す前に、しなくちゃいけない事がある。
「樋口課長」
聡君の席の前に立つと、書類の方へと落としていた顔を上げた。
お互い名前で呼ぶこともなければ、仕事上の必要最低限の話しかしない。
変な緊張と、切なさと、まだ捨てる事ができない恋心。
「14時から10年目研修なので、いってきます」
「あ、そうだったね。及川さんも、10年目かぁ」
聡君はシャープな目を更に細めて、フッと笑った。
「もう、そんなになるんだね」
……そんな顔しないでよ。
私の事を捨てたくせに、私との思い出を懐かしむような事しないで。
好きな人を見るだけで、心が弾んでいた時が懐かしい。
今は愛しさと切なさが必ず一緒だ。
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