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爪先で踊る
ずっと人間が嫌いだった。嘘をつく人間が嫌いだった。
人間はすぐに嘘をつく。嘘をついて取り繕って、自分を隠すことが当たり前で。
意味もなく周りに同調して、同じであることを強いてくる、そして同じにならない者は“異物”として排除する、そんな人間が嫌いだった。
だけど、それよりも何よりも、自分が一番大嫌いだった。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
都心から少し離れた場所に位置する、どこにでもあるような公立高校があった。
制服も、これまたよく見られるようなセーラー服と学ラン。校則は緩すぎず、キツすぎず、だけど積極的にそれを破っていくような典型的不良もいるわけではない。まぁまぁ真面目で、まぁまぁの偏差値を誇る、それが、俺の通っている高校、梧桐学園である。
入学してすぐは新しい環境にぎこちなさもあったけれど、一年という時間を経て、そんな新鮮さもなくなってくる。時期が経つにつれて、チャラいやつは見てわかるくらいになってきた。髪色が少し明るくなったり、制服を着崩してみたり。女子はセーラー服故に、スカートの裾を折るくらいしかできないと嘆いているのを聞いたことがある。俺も最初こそ周りに合わせて真面目な生徒然としていたけれど、今はもうそちら側だ。
古典の先生の眠くなるような教科書の読み上げをぼんやりと聞き流す。ちらりと前方を眺めると、机に伏せっている頭がちらほら見える。昼食後のこの暖かさにこの先生の声は眠くなるよね。ふぁ、と出てきたあくびを噛み締めるように堪えた。
教科書を読むだけの授業もつまらなくて、窓際の席であることをいいことに窓の外に目を向ける。少し前まではピンクの花びらをつけていた桜の木も、今は緑の葉っぱに包まれて風にそよいでいた。
この学校に入ってから、二度目の夏を迎えようとしていた。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
「これで中間考査は終わりです。お疲れ様でした」
答案用紙の回収が終わった先生が、教室に向かってそう言う。中間考査の最後の科目を終え、先生が出て行った教室にはさっきまでの緊張感は一気に掻き消え、開放感に包まれた。
「やぁっと終わったー!」
「俺もう結果とかしらね〜」
「なー、この後カラオケ行かね?」
ざわざわと賑やかになる教室内。テストの出来栄えがどうだったかだとか、あの問題がわからなかっただとか、そう言う話をしている人がいる一方、テストの内容に一切触れない会話をしている人もいる。かくいう俺の周囲も、テストそのものの結果云々よりも、これからどうするか、という話題で盛り上がっていた。
「な、修磨も行くだろ?」
前の席の友人が、振り返りながらこっちに話を振ってくる。屈託のない笑顔が、やけに眩しく見えた。
「もちろん! 行く行く!」
返事をすると、けってーい! とその友人は声をあげる。他にも一緒に行くことになった男子たちが騒ぎ始めて、より一層賑やかになる。ホームルームのために戻ってきた先生が、静かにー! と声を張り上げていた。
俺の机の周囲にいた奴らがしぶしぶ各々の席に戻りながらも、そわそわとした雰囲気が拭えない。俺自身、この後の放課後をどうするかについて考えていた。
この後も気を抜かず、だとかなんとか言う先生の話は、きっと多くの生徒が聞き流していたことだろう。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
学校にほど近い繁華街にあるカラオケ店。うちの学生のいくつかのグループも誘われるようにして入って行くのを見た。同じように連れ立ってきた俺たちも、受付を済ませると大人数用の部屋へと案内される。各々に場所を決めてくつろぎながら、人によっては我先にとマイクを手にし始めていた。誰かが機械を操作したらしく、最近流行りの曲のイントロが流れ始める。
「俺、飲み物入れてくるね」
「あ! 俺のも入れてきて〜。コーラ!」
「お、じゃあ俺はジンジャーエールかなぁ」
一人がそういうと、自分もと言うように声をかけられる。一人二人と聞いていると、他の奴らも順番にあれが欲しい、あれをお願い、と注文をしてきた。
「よろしく修磨!」
「はいはい、コーラとジンジャーエールと、あとはー?」
全員の注文を聞いて、個室を出て扉を後ろ手に閉める。背後の扉の向こう側から、盛り上がるみんなの声が漏れていた。
ドリンクバーのところで、頼まれた飲み物を順番に注いでいく。言われた内容を思い返しながらグラスを飲み物で満たしていると、後ろから人が来る気配がした。
「修磨くん?」
「え? あ、わさちゃん」
声をかけられて振り返ると、見覚えのあるうちの制服を着た人、綺麗に整えられた髪がさらりと揺れた。名前を呼ぶとわさちゃん──高科和沙ちゃんはにっこりと笑う。一年生の時同じクラスで、話す機会が結構あった女の子だ。ちなみに、わさちゃんと言うのは下の名前の読み間違いから広まった彼女のあだ名である。彼女の周りの女の子がそう呼んでいて、俺も便乗してそう呼ばせてもらっている。背があまり高い方ではない俺よりも小柄で、表情豊かで、小動物のような可愛らしい雰囲気の女の子だ。
「久しぶりだねー、こんなところで会うなんて偶然!」
「ね! クラス遠くなったから全然会えなくなったよね」
そんな世間話をしつつ、ドリンクバーの前を陣取っていた俺は一歩ずれてわさちゃんに場所を譲る。ありがとー、と言った彼女はグラスを機械に置いて、アイスティーのボタンを押す。ちらりと俺の手元を見た様子のわさちゃんは、ぱちぱちとその丸い目を瞬かせた。
「それ、他の人の分?」
「ん? あー、そうだよ。頼まれたんだぁ」
そう返事をすると、わさちゃんは露骨に顔を曇らせた。その表情を見て、何か気に障るようなことをしてしまっただろうかと思った。
「もしかして修磨くん、パシられてる?」
「え、なんで? そんなことないよー」
詰め寄るように、心配そうに覗き込んでくる姿も、男心をくすぐられる、じゃなくて。
「気づいたら俺が取りに行く感じになってたんだけどさ、まぁ俺が好きでやってるようなことだから。気にしないで」
あはは、と笑いながら言うけれど、彼女は不満そうだ。むぅ、と明らかにむくれた表情で俺のことを見上げている。
グラスが満たされたのに気づいたわさちゃんは、嫌なことは嫌って言うんだよ! と言って去っていった。ありがとねー、と返事をしながら、彼女がいなくなったところに戻り、まだ空のままのグラスに飲み物を注ぐ作業を再開した。
わさちゃんがいなくなって、急に周りが静かになったような気がする。そこここの部屋から音楽が漏れているはずなのに、それすらも少し遠くに聞こえた。目の前の機械から鳴る無機質な音だけが、やけに大きく響いていた。
先ほど交わした会話を頭の中で反芻していると、人数分の飲み物が入れ終わる。流石に六人分のグラスは持てないや、トレーとか借りれるかなぁ。あ、あった。
「よいしょっと」
それなりの重さになったトレーを持ち上げる。中身を溢さないようにゆっくりと歩きながら、自分たちの個室へと足を向けた。
自分で言うのもなんだけど、俺は団体行動する上で、物事を円滑に進めるための都合のいい人、だと思う。損だとか言われることもあるかもだけど、みんなが快適に、まぁまぁ仲良くやってけるならいいんじゃない?
それに、これが俺の“いつもの”、だから。
余計なストレスもないように、適度な距離感で、いい感じに振る舞ってくのがちょうどいいってもんだよね。
「おまたせー」
「おっそいよー! 早く俺のー!」
「はいはい」
身に馴染んだ騒がしさに包まれる。数分後には、さっき交わした会話なんて、頭の中から消え去っていた。
*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜*〜
浮かれた気分が続いたのも数日だけ。テストの返却が始まると浮ついていた空気は段々と沈んでいった。テストの点数という現実をまざまざと見せつけられて、どんよりとした空気を背負っている人があちらこちらに。
「うわ……物理ヤバ。修磨は?」
返却された薄い答案用紙をぼんやりと眺めていると、後ろから声をかけられた。肩越しに振り返ると、友人が俺の手元の用紙を覗き込んでいた。
「37……、俺よりも下のやついて安心したわぁ」
そいつは言葉通りに安心したように笑っている。何点? と聞くと39、と返ってきた。ほとんど変わんないじゃん、と笑い返すと、上なことには変わりねぇから、とのこと。
「全然わかんなかったー。公式とか覚えるの無理じゃね?」
「わかるわー。でも修磨は大体俺よりも馬鹿だから見てて安心するわ」
「なんだよそれ」
返事をしながら軽く殴るようにする。目の前の相手は笑みを崩さないまま、それをひょいと避けた。
「修磨はいつまでも俺の安心のためにそれくらいの点数取り続けてくれ!」
「はぁ? 嫌だし!」
そんなやりとりをしながら机の隙間を縫って自分の席へ戻っていく。席についてからも、一喜一憂しているクラスのみんなを眺めながら、返却が終わるまで手持ち無沙汰に手元のペンを弄んだ。
その後のテスト内容の解説に費やされる時間も退屈で、空欄ばっかりの回答用紙から目を背けて、先生の話も右から左へと聞き流した。
ぼんやりと黒板を眺めていると、何気なくその隅に書かれている名前に目が吸い寄せられた。今日の日直が上野くんと榎本さんと書いてあるのを見て、明日は自分の番だ、と思うと同時に少し気分が重くなった。
盗み見るようにして、自分の少し前の席に目をやる。そこには、明日俺と一緒に日直をするはずの女の子。
俺みたいに頬杖なんかついていない、姿勢正しく机に向かう後ろ姿。染めていない、烏の濡れ羽のような真っ黒の髪。前から表情を見るまでもなく、きっと今も何を考えているのか分からないような無表情なんだろう。
彼女は尾崎さん。下の名前は……、なんていうんだっけ。
俺は、優等生を絵に描いたような、この女の子がどうにも苦手だった。
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