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彼は項垂れた。しばらく考えた後、顔を上げて言った。
「そうですよね。もっと早くそうするべきでした。きっかけをくださって、ありがとうございます」
「頼むよ」
「でも、店長はそれでいいんですか?」
「俺?俺は、この件に口を挟む立場じゃないから。ただ、彼女が辛くなければそれでいいんだ。未来に目を向けてくれたら、それで」
「未来に?」
「そう未来に。できれば、武田君も。
もし、このままうちに就職したら、また別な思いや煩わしいことが生じるかもしれない。でも、あと1年こき使われつつ、学べたらよくないかな?たくさん吸収して、新しい活躍の場を自分で探すと良いよ」
「本当に、いいんですか?」
「もちろん」
「辞めるべきだと思っていました。でも、踏ん切りもつかなくて」
「俺は経営者だから。店にとってブラスかどうかの判断は、間違わないつもりだよ」
彼は深々と頭を下げた。
「ありがとうございます」
「今日は、歓迎会だから、ね」
話が終わって少し経ってから、長坂が戻ってきた。
もしかしたら、聞き耳を立てていたのかもしれない。別に構わないけど、猫みたいな奴だ。やっぱり、チェシャ猫。
「すみません!お世話になった方がいらしたので、つい話し込んじゃって。お詫びに、お酒追加注文してきましたから」
「全然、お詫びになってない!」
三人で大笑い。お酒を飲んでいると、ご主人がサービスでエイヒレを焙って出してくださった。長坂の飲む勢いが増したのは、言うまでもない。
それでも、しっかりご飯ものと水菓子まで頂いて店を出た。
「二次会は?」
まだまだ飲めそうな長坂が言う。
「俺、明日授業があるんで。せっかく会を開いてくださったのに申し訳ないんですが」
その方が良いと思った。たぶん、今の彼にはじっくり考える時間が必要だ。
「俺、今まで以上に頑張るので。週明けからまた宜しくお願いします!」
駅の改札まで見送った俺と長坂に頭を下げて、武田君は帰っていった。
「さて、店長どうします?まだ飲みます?」
「俺はもういいかな」
「じゃ、ちょっとコーヒーでも飲みません?」
「酒の後に?」
「じゃ、やっぱり酒?」
「あそこ行くか。立呑屋」
ビルの一階に、焼鳥屋、餃子バー、イタリアン、ショットバーが入っている立呑屋だ。どこで何を食べてもよいのが魅力的。
ショットバーだけチャージ料を払えば、5席だけあるカウンターで座って飲むのもありだ。
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