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結婚して十年子宝に恵まれなかった両親の元に、俺は産まれた。
例に漏れず、溺愛された。女系家族で、母も祖母も婿を迎えていた。親戚の間で男の子が産まれたのは、何十年かぶりだったらしい。一族で、猫可愛がりだ。
叔母がどこかから、隣県に派手な七五三をする地域があると聞きつけてきたらしい。結婚式場を借りて、お披露目をするという。
ゴンドラで登場。
お色直しを2回。
子供のかわいいご挨拶。
両親を筆頭に、親戚一同乗り気になったらしい。式場を予約をし、決行した。
紋付き袴姿で、大勢の前に立って話すのが恥ずかしかった記憶がある。
自分が人に可愛がられることを当たり前だと思うようになっていた気がする。顔立ちを誉められていい気になったり、周りを見下したり。
バスケットを始めた小学校高学年の頃から、背がぐんぐん伸びた。幼いときは運動ができて、背が高ければそれだけで人気者。
でも、相当自信過剰で自己愛に溢れた、嫌な子供だったと思う。
両親が共働きで、教員を退職後に生け花の教室を開いた祖母宅に預けられることが多く、自然に植物に興味を持った。
その祖母だけが、自分に厳しかった。今思えば、祖母は子供に対するごくごく当たり前の対応をしただけなのだと分かる。悪いことをすれば、教え諭し、時には叱る。そんな当然のことを、知らずに育っていた。
だから、生け花を始めたのは、逆らえない祖母のご機嫌取りのためだった気がする。しかし、生け花をして植物同士や空間とのバランスを取るのが、楽しくて仕方なかった。
バスケの傍ら、生け花。
そのギャップが中高時代、面白がられた。
高校を卒業するまでは、調子に乗った嫌な奴だったと思う。女の子もとっかえひっかえだった。
仕事にするなら、植物に関わることをしたいと専門学校に通い、花展等にも出品した。
広い世界を知るようになり、どうあがいても敵わない存在に出会うたび、自分の至らなさや、鼻にかけた態度を反省するようになってきた。
それから、仕事や人に対する態度が変わったように思う。
数年はフラワーショップやホテルで働き、26の時に独立し、「eternal」を開店した。
今年で3年目になる。
努力の結果だと思いたい。今では収入の7割が、フラワーデザインによる。
それでも、もやもやした感情は常にある。
俺が生けた花を愛でてくれるならいい。
なぜ、俺自身を興味の対象にするんだろう。
技術やセンスを誉めてくれるならいい。
俺の見たくれなんて、どうでもいい。
それが言動に透けてしまうのか「調子に乗ってる」なんて陰口。
それも結構。
彼女の噂と同じ。出る杭は打たれる。
それだけのことだ。
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