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「いらっしゃいませ」
「今日はお休みだったんですか?……すみません。盗み聞きするつもりは、なかったんですけど」
「いえ、今日は大事なお客様がいらっしゃることになっていたので、夕方から店を開けていたんです」
つい調子に乗ってしまったが、本当のことだ。
「そうだったんですね。それなら、丁度良かった!」
それが誰なのか気にならないんだ…と落胆したが、彼女の表情が明るいから、気にしないことにする。
「“あの子”、咲いたんです!見てください。」
彼女は、鞄からスマホを取り出し、正面に立つ俺に見せた。待ち受けにしていたようだが、光の加減でよく見えない。
「すみません。角度のせいか、よく見えなくて…」
すると彼女は僕の左隣に立って、「ほら、見てください!」と画面を見せてくれた。
俺の肩の辺りにある彼女の頭。160あるかないか、と言ったところだろうか。髪の毛の良い香りがした。嬉しいけど、この距離感は苦しい。
正確には、嬉しくて胸が苦しい。
「ね、きれいですよね。この色合いに、花弁の薄さと柔らかさ」
無防備な笑顔で、俺を見上げる。
錯覚するじゃないか。
そんな笑顔にしたのが、花ではなく俺だと。そこで、彼女は言った。
「店長さんのお陰です。“この子”が咲いたのは。」
彼女は、スマホの画面を指でなぞりながら言った。
耳を疑った。
俺のお陰?
俺のお陰で咲いたから、この笑顔?
夢、半分叶ったんじゃね?
普段抑えている言葉が、どんどん出てきてしまいそうだ。
「それだけ伝えたくて」
ぱっと、俺のそばから離れ、正面に向き直った彼女は、頭を下げた。
「ありがとうございました。店長さんに大切なお客様がいらっしゃる前に、私、帰りますね。また、色々教えてください。“あの子”が待ってるので!ではまた」
軽く会釈をして、彼女は足取り軽く去って行った。
近付けたと思ったのに。
「あの子が待ってる。」とかクソ可愛い。
でも、俺は“あの子”に負けたのか。
あの、芍薬に。
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