醤油ラーメン1つ、お願いします

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「えっと・・・醤油ラーメン1つ、お願いします。」 「1つ?父ちゃんは食べないの?」 「父ちゃんは、お腹が空いてねーんだ。」 「だって、朝も食べなかったよ。」 「とにかく、アレだ大人の事情ってヤツだ。」 「でも・・・」 「子供はそんなこと心配しなくてもいいんだ。」 そう言って俺は、息子の頭をクシャクシャと撫でる。 安い店を探して歩いたせいで昼を随分と過ぎていて、店には人がいなかった。 外の看板の『一杯500円』を見て、この店に決めた。そう、俺の全財産はポケットの500円。ラーメンを食べた後のことは何も考えつかず、いっそ息子と二人で・・・そんなことも頭をよぎっていた。腹が減っていたせいかもしれない。 「醤油ラーメン、お待ちどお様でした。」 ラーメンどんぶりからは湯気が立ち上り、美味しそうな香りが漂う。 「グルルルル・・・」 たまらず腹が反応してしまった。 「・・・父ちゃん・・・半分食べる?」 「これは違うんだ。えーっと、父ちゃんは腹の調子が悪くってな・・・」 そこへ、もう一杯のラーメンが俺の目の前に差し出された。 「あの、1つだけしか頼んでないんだけど。」 俺は店主であろう、年老いた男の顔を見上げながら言った。 「すまんねぇ。これはお節介ってヤツだな。大人の事情はさておき、ほら、冷めないうちに。」 俺は何度もお礼を言って、久しぶりに口に出来た食べ物をありがたく頂いた。 そのラーメンの味は、心身共に疲れ果てた俺に優しく沁み渡って、さっきまで頭によぎっていた悪い考えも、すっかり溶かしてくれた。 「どうだろうなぁ、困っていることがあったら話してみるってのは。この店に来たのも何かの縁ってもんだ。」 そう老人は諭すように言って隣に座り、俺は小さな声でポツリポツリと話し始めた。 高校の時に彼女が妊娠したため、中退し就職して結婚したこと。 その妻も三年前に病気で亡くなったこと。 妻の治療費で大きな借金が出来たこと。 一年前に会社が倒産して仕事を無くしたこと。 就職活動したが中卒では話にならないと言われたこと。 失業保険も切れて、全財産が500円しかないこと・・・ 「そうかい、そうかい・・・そりゃ大変だったなぁ。本当に、よく頑張ったなぁ。」 今までどんなに辛くても、誰からも労ってもらったことなどなかった。身内でもなんでもない老人に親身なって話を聞いてもらい、どうしようもなく泣けて泣けて、俺は嗚咽した。 「お宅さんは中卒で働いてきたから、知らねえことも多いと思う。この世の中にはよ、ありがてぇ制度つーもんがあるんだ。そんでもって・・・」 そう言って老人は腕を組んで少し考え込んでいたが、また話し始めた。 「これはよ、俺の思い付きだが・・・ラーメン屋をやるってのはどうだい?俺は見ての通りの年寄りだ。この店をたたむ気でいたんだけどよ、もしやってくれるってのなら、一から教えるがどうだろうなぁ。こう見えても通ってくれる常連さんもいる。贅沢しなきゃ十分やっていけると思うんだが・・・」 俺は突然の申し入れに戸惑い、言葉が見つからなかった。 「嫌なら断ってくれていいんだ。ラーメンのことは気にしなくていいんだぞ。」 「違う、違うんだ。あまりに突然でびっくりしただけなんだ。えっと・・・あなたは見ず知らずの俺に、この店を継がせるって言ってるんですか?」 「まあ、驚くのも当然だな・・・俺はな、この仕事をして50年以上だ。色んな客がこの店に来る。だからよ、人を見る目には自信があるんだ。」 老人は誇らしげに胸をポンと叩いて見せた。 「・・・本当に?本当に俺で、俺なんかでいいんですか?」 「さっきから目の前の泣きっ面の男に、話しているんだがな。」 俺はテーブルに頭をこすりつけて、泣きながら何度もお礼を言った。 「あ・・・ありがとう・・・ありがとうございます・・・ありがとうございます・・・」 「父ちゃん、男は泣くなって言うくせに、さっきから何回も泣いてる。」 「う、うるせー。アレだ、大人の事情ってヤツだ。」 「まったく、大人の事情ってのは便利な言葉だな。」 そう老人が言って、息子と一緒に俺を見て大笑いした。 あの日からラーメン屋に息子と住まわせてもらい、必死でラーメンの修行に励んできた。そして、今日晴れて一人で店を開店させる。 開店準備を終わらせ暖簾を外に下げて、ふと空を見上げた。大将が作るスープのような、どこまでも澄んだ優しい青空が広がっていた。
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