別れ

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 次の日、揺すられる感覚に目を覚ました。顔にかけていた布団を退かすと、勇兄さんが優しい目をしながら私の頭を撫でた。  「おはよう、依ちゃん。学校に遅れるといけないから、そろそろ起きようね」  「勇兄ちゃん…おはよう」  眠い目を瞬きながらそう言うと、私は口を手で隠しながらあくびを1つした。勇兄さんはクスリと笑うと、言った。  「今日は特別にお兄ちゃんが床上げしてあげるから、依ちゃんは顔を洗っておいで?」  「ありがとう、お兄ちゃん」   私は勇兄さんに抱き着いてから、洗面所へ向かった。  顔も洗って、着替えも済ました私は居間へとやってきた。居間にはもうすでに父も母も兄達もいて、朝食を食べ始めていた。食事は楽しくという我が家のルールはどこへ消えたのか、何とも不穏な空気が流れている。  「父!どうして、何も話さないのですか?」  「依子、いいから食べなさい!時間がないんだから…」  新聞で顔を隠しながら黙り込んでいる父。ただ疑問を持ち、聞いただけなのに母が怒った。悲しくなった私が兄達を見ると、申し訳なさそうな顔で私の頭を撫でた。  息の詰まる食事を終え、学校へ持って行く準備を済ませると、靴を履きながら言った。  「行ってきます」  しかし、両親の返事はない。いつもは母が玄関先まで出向き、見送ってくれるのに、それすらもない。私はため息を吐くと、家をあとにした。  いつもは兄と歩く道。もう兄達は行ってしまったのか、落ちている小石を蹴りながら俯きがちに歩く。そして、とうとう私の足は止まってしまった。ため息をもう1つ吐くと、急に目隠しされた。  「だーれだ」  「勇兄ちゃん!匠兄ちゃん!」  大好きな声と大きな優しい手。私は目隠しをした指を掴み、下ろしながら言うと、振り返った。  「正解!」  笑顔で拍手している兄達に私は目を潤ませながら抱き着いた。  「兄ちゃん…さみしかった」  「ごめんね…先に行って、桜の木の陰に隠れていたんだ」  勇兄さんが頭に手を置きながら言うと、匠兄さんが私の手を握った。  「依ちゃん、全然、気がつかないんだもん。お兄ちゃん達と、一緒に学校、行こう?」  私は匠兄さんの手を握り返すと、勇兄さんの手も握りしめ、笑った。  朝の話せなかった時間を取り戻す勢いで兄達と話していると、もう着いてしまった。  「あーあ…着いちゃった」  「着いちゃったね…よし!じゃあ、依ちゃん、行ってらっしゃい!」  勇兄さんはしょぼくれている私と目線を合わせると、そう言った。唇を尖らせながら頷くと、兄達はクスリと笑った。匠兄さんが私の手を揺すりながら言う。  「依ちゃん、今日も笑顔でお利口さんにするんだよ?お利口さんにしていたら、時間もきっと早く進むと思うよ」  「うん!行ってきまーす!」  私は元気に頷くと、校門に礼をしてから学校の中へ足を踏み入れた。  机に鞄を掛け、自分の席に座ると、隣の教室から何とも楽しそうな声が聞こえてきた。目を閉じ、耳を傾けていると、肩を叩かれた。振り返って、私は目を輝かせた。  「…夏子さん!おはよう」  「おはよう、依子さん!」  小学校へ上がった時に初めて友達になった夏子さん。上品で大人っぽくて、一緒にいても夏子さんの方がお姉さんっぽい。  「何していたの?」  「男の子たちの遊んでいる声がすごく聞こえるから、何をして遊んでいるのかなって気になって、耳をすませていたの」  すると、夏子さんも耳に手を添えながら目を閉じた。しばらく2人で聞くと、夏子さんが言う。  「こども将棋だね。最近、流行っているね」  「ねっ!あれ、自分たちで作ったんだね。…今の悔しがった声、すごかった」  私達は顔を見合わせ、くすくすと笑った。夏子さんが頬杖をつきながら言った。  「やっぱり、大佐とか大将とか出てくるから楽しいのかもね」  「あー…お兄ちゃんから聞いたんだけどね、行軍将棋って言うらしいよ。どうやってやるのかは男の子の遊びだから知らなくて大丈夫って言って、教えてくれなかった」  私が苦笑いを浮かべると、夏子さんは笑った。  「私のお兄ちゃんも相当、過保護だけど、依子さんの所もすごいね」  「まあね。甘やかされるのはうれしいんだけどね」  私がうれしそうに言うと、夏子さんもうれしそうに頷いた。私も頷き返すと、言った。  「でもね、男の子達がこども将棋に魅力を感じた理由、なんだかわかる気がするの」  「私もわかる気がする。こういう遊びができない時に男の子になりたかったって思うわね」  その頃の私達にとって、国も知らないようなところで我が国のために戦って散っていく兵隊さんは憧れだった。男の子は自然と大人になったら自分も兵隊になって散っていき、女の子は戦地に出ない代わりに国のために兵隊さんのためにできる限りの奉仕をしようと思っていた。  私達は一丁前に頬杖をつきながらため息をこぼした。そして、顔を見合わすと、私達はお腹を抱えて笑った。  そのあとも、夏子さんと他愛もない話をしていると、飯田先生が入ってきた。級長が号令をかける。  「起立、きよつけ、礼!」  私達が飯田先生に頭を下げて、席に着くと先生は1人1人の顔を見て、微笑んだ。  「みなさん、おはようございます!先生は、今日もみなさんの元気なお顔が見れて、安堵しました」  飯田先生は教師になったばかりで、とても明るく優しい先生で、私達は大好きだったのだ。  「我が国は難しい状況ではありますが、お国のため、兵隊さんのためにもより一層の我慢をしてまいりましょう。みなさん、今こそ大和魂を見せつける時です!」  「オー!」  熱い思いに私達は拳を突き上げ、答えた。飯田先生はうれしそうな顔で頷くと、言った。  「それでは、みなさんも何か報告したい人!うれしいことでもなんでもいいです。教えたいよって人は、手を挙げてください」  その時、私は今しかないと思い、思い切って、手を挙げた。飯田先生は一瞬だけ驚いてから、うれしそうな顔をした。  「渡辺さん、教えてくれるのかな?聞かせてください」  「はい!兄達は兵隊に志願しました。兄達はお国のために戦い、散って行きます」  私は少しだけ緊張しながらも伝えた。私は報告を終えると静かに席に着いた。  「渡辺さん、ありがとう!上手に報告してくれました。お兄さん達の志願は、並々ならぬ勇気と覚悟がなければ、できないものです。素敵な話を聞かせてくれた渡辺さんと、お兄さん達を称え、皆さんで拍手を送りましょう」  すると、みんなが私に拍手を送ってくれた。その瞬間、兄達のことがさらに誇らしく思えたのを覚えている。  「はい!それでは、1時間目の授業は国語ですが、内容を変更して兵隊さんへ励ましのお手紙を書きましょう」  飯田先生に返事をすると、私達はさっそく兵隊さんにお手紙を書き始めた。
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