序章

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 私の姉、りんについて何を知っているのかと言われれば、ほとんど何も答えることができないだろう。  結局最後まで、姉が何を考えて、何を求めていたのかはわからずじまいだった。姉は多くを語ったがどれも霞のように不透明で掴みどころがなく、あるいは姉自身もわかって適当なことを言っていただけかもしれない。  姉はそれこそ刀のような人だった。引き締まり研ぎ澄まされた体は、女性の柔らかさや瑞々しさを伴いつつ、一本の芯があり佇まいは一目で剣を振るう者のそれだった。たいそう美人であったから道場でも人気で、姉を見るために通う者もおるほどで、うちの道場が田舎にあるにも関わらず遠方にまで名を知られていたのは、剣術もさることながら姉の影響が大きかっただろう。  檜垣陰月流史上最強の女剣士。姉はそのように称えられていた。  事情を知らぬ者は、美人の女剣士と過度な風評と笑い、侮った剣士はこれ見よがしに試合や出稽古を申し入れてきた。  それでも我が道場の面目が守られてきたのは、道場主である父、檜垣新十郎も含め以下門弟達の確かな実力と、やはり姉の達人ぶりゆえだろう。  人の世を知る頃には、世には自称も含め達人や秘剣使いが多くいるのは知っており、門弟の中にも檜垣陰月流以外の流派を学び、極意を教わった者はいた。我が道場はその辺りには寛容で、すきに学ばせていた。  剛の剣も柔の剣も数多く見てきた。わざわざ江戸から噂を聞きつけやってきた酔狂な者もいた。どれも紛うことなき剣の名手で、中にはそうでない者もいたが、腕に覚えのある武芸者ばかりだった。  人は皆、姉との試合を望んだ。最強の女剣士を評された姉を打ち負かし、その後で、美人の女を評判に使うのではなく、真の剣士はおらぬのかと煽るためだったのだろう。初めの方の挑戦者たちの眼はどれも小馬鹿にしたような、侮蔑の色も強かった。  その者たちを、姉は悉く一蹴した。
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