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窓枠から顔だけ覗かせ、もさもさの髪を風になびかせる。ため息をつくと、「どうしたんだい」と、頭上から声がする。フードを深く被り、狐の面をつけた青年が屋根の上からこちらを見下ろしていた。
「やぁ、アノニマス。今日も合奏するかい?」私が彼を誘うと、「ああ」と、嬉しそうな返事が聞こえた。
私はフルートを、彼はアコースティックギターを演奏する。奏でる曲は、『ラ・カンパネラ』。ピアノの曲ではあるが、お互い記憶のある曲がこれしかなかったのだ。優しい音色はメガロポリス中に響き渡る。私たちはお互いの音だけを見つめていた。悲しみたちに手を振り、喜びと手を取る。異空間を生み出すと、身を心に委ねた。
最終節を終えた。見えぬ下から大きな拍手が上がる。私たちは心を通わすだけで幸せだった。
「セレン。僕はずっとそばに居るからね」
「ああ。アノニマス、風邪に気をつけてね」
そして抱き合う。これが彼との別れの挨拶だ。
アノニマス。彼は、私が幼い頃からの内緒の友達だ。ある日この屋根に現れて以降、度々現れ話や合奏をする。昔から顔を隠した姿なので不思議ではあるが、知られたくない身分なのだろう。
私は、そんな彼のことが好きだ。もし彼が家族だったら、私はもっと生きる気力が湧くのに、と何度思っただろうか。
そう、私は死ぬ気でいる。このメガロポリスには簡単に死ぬ方法がある。それは、酸素濃度の濃い外界へ出ること。通常、緊急用通風口には警備員が立っている。しかし、毎週土曜日には向かいの大型店舗の本屋の警備で手薄になる。そして、今日は土曜日だ。行くなら今しかないのだ。
夜の帳が下りる世界にサヨナラを告げる。母の着ていた黄緑のワンピースを縫い直した服を着て、黄色いネクタイを締める。フルートと母の写真を手にすると、ビルの上を駆け抜け、通風口に向かった。
警備員の姿はない。今がチャンスだ!数秘術で通風口のハッチを捻じ曲げ、人一人が通れるサイズにする。その間をしばらく這い進むと、地面に落ちた。
長い歴史の中で退化した肺が空気で満たされて、酸素を過剰に摂取し、酸素中毒になる。そのうち意識が消え……。
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