テルル

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テルル

目の前にツノが二本生えた白く毛深い生物の顔が見える。私は目を覚ましてしまったようだ。死ねなかった。再び目を閉じると少年の声がした。 「お兄さん、生きてるんだね?よかった……」 彼は、ふうと息を吹くと私の横たわる側に座ったようだ。絶望の淵に立たされた私に声をかけ続ける。 「あ、言葉通じるかな……?ぼくはテルル。毎日あの穴の辺りで人が亡くなっていたら、お墓を作って埋めてあげてるんだ。お父さんから聞いたんだけど、人間にはこの空気が毒なんだってね。お兄さんは強いんだね」 「私は強くなんかないよ。出来損ないの人間。だから死ぬために来た」 私の低い声を聞いた彼は怯えただろうか。少しだけ目を開けた。 「じゃあ、生きてよ!こんなに綺麗な空と川と野原で暮らすことができるなら、生きてみてよ!」 少年は輝いた瞳で私の手を引っ張る。仕方なく立ち上がると、見渡す限り、空、川、野原。なんて広いんだ!木々は蒼く、そよぐ度に爽やかな風を生み出す。小川には小魚やカエルが泳いでいる。私も浸かりたい、と思った。 「いいでしょ?ここの世界で生きたらいいじゃない。ぼくの家においでよ。パパもママもイオンも歓迎してくれるよ!」 私は、彼に無理やり連れられ石造りの太い鉛筆のような家にお邪魔することになった。 「そうだ!ぼくん家からまっすぐ先に生えてる大きなレモニードの木。あそこに誰かが住み始めたみたいなんだよね。ご飯食べたら一緒にあいさつしにいこうよ!」 テルルは大きな声で「ただいま!」と扉を開けた。 「おじゃまします」 私が小さな声で言うと、二階から三人駆け下りてきた。テルルママはツノが無く、瞳から優しそうな雰囲気を感じる。テルルパパは威厳がありそうだが、靴の色が左右で違うので、少し天然そうだ。そして、イオンはツノが一本生えているテルルのガールフレンドらしい。和やかな一家を見ると、瞳が潤む。 「あらあら、まあまあ、あなた怪我をしているわ。すぐに塗り薬を持ってきますからね」 額に切り傷があるらしく、血が一筋頬を伝った。 「いえ、これぐらいなら大丈夫です。何かお花でもありますか?」 「お花?ほら、花瓶に生けているこのガーベラではどうかね?」と、テルルパパが一輪差し出す。受け取った花を傷口付近に刺し、両手をかざした。すると傷口はみるみるうちに塞がる。これが数秘術だ。 「まあ、すごいわ!」とイオンとテルルが興味深そうに見ていた。 「このガーベラはテルルにあげるよ。私を助けてくれた恩人だからね」 私はテルルの左ツノにガーベラを巻いた。照れていたテルルだが、私をぎゅっと抱きしめた。ふかふかで、クセになりそうな触り心地……!私は決心した。あのメガロポリス・ジャポンで死んだのならば、この平和で拓けた世界で生きよう、と。 私は優しい家族に迷惑をかけないように、大きなレモニードの木の下に小さな日除けを作り、生活することにした。 「大樹の新人さん!お名前はなんですか?」と、テルルが大声で尋ねる。 「アノニマス」 その名前、その声に驚いた。 「狐面の私の親友、アノニマスではないか!私だよ、君のセレンだよ」 木の上から身軽に降りてきた青年は、私と同じ『月輪の青』を持つ青年だった。母と同じ茶髪で、私と同じ垂れ目だ。 「アノニマスがセレンだったのか。正直に言おう。君が憎い」 「そんな……。アダムはセレンだよ。世間が認めなくても、私のセレンは君だ。嫌いにならないでくれ」 私は歩き出した。川に向かってテルルが貸してくれた釣り糸を垂らす。 「テルル。ちょっとだけこのお兄さんと話があるんだ」 「わ、わかったよ、セレンのお兄さん」 セレン……セレン。私の名前はセレンの筈だ。それなのに何故アノニマスが……? 「セレン……隣いいか?」と、彼が言うので私は横を開けた。 「セレン、僕はずっと君のそばに居るって誓っただろう?だからここにいる。僕は君のことが好きだ。例え僕がクローンであろうとなかろうと変わらない。昔から僕の憧れは、ずっと君なんだ!」 「そうか。私はセレンの君は嫌いだった。だから今は君を許せそうもない。メガロポリスに戻れ。博士や国民が待っているだろう」 私は半ば怒りながら声を押し潰し続けた。釣り糸に魚がかかる。手で針を抜こうとしている私に、彼は近づいて来た。 「もう、地獄には戻りたくないんだ。僕は、僕は……」そう言い泣き出したアノニマスを、僕は放っておけなかった。仕方なく頭を撫でる。詳しい話は夜にするべきかもしれないと思った私は、彼の耳元で囁いた。「続きは夜に、ね?」 この言葉を聞いたアノニマスは涙を引っ込め、耳を真っ赤に染めた。きちんと聞こえただろうか。 日が暮れるまで釣りをしていたが、六匹ほどの成果だったので、四匹テルル家におすそ分けした。 焚き火に串刺しの魚の二匹の煙は、向かい合う私たちの鼻をくすぐった。
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