月の丘

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月の丘

焼きたての魚はとても美味しかった。水槽養殖の魚しか食べたことのない私に、自然の味が身に沁みる。ほんのりと脂の乗った魚を、思わず無言で頬張り続けた。 「セレン、それで……」 私はアノニマスの言葉で思い出す。彼について聞き出さねばと、二つ質問をした。一つめは、何故黙っていたのか。二つめは、何故私をアダムではなくセレンと呼ぶのか。 「僕は、君との関係を失うのが怖かった。あの夜が壊れてしまうのが、怖かったのさ。そして、君は正統継承者のセレンだ。間違いなく僕より素晴らしい力と心を持っている」 彼は私の瞳を見つめた。嫌になるくらい輝く『月輪の青』は、月と私を映し潤む。私は迷った。濁りきってしまった心に尋ねても答えは出ない。ならば、私は彼の瞳に尋ねてみよう。見つめ合い、溶け合うように……。 彼を責めても意味がないことに気付いた。私のことを思って、クローンである彼は真相を隠していたのだ。嘘だとしても、褒められるのは嬉しいことだ。 「分かったよ、アノニマス。私も意地を張って申し訳なかった」 「いいんだよ、セレン。君は僕よりももっと辛い経験をしてきたと思う。なんとか君の純粋な心を取り戻したいから、僕は君をここに誘ったんだ。メガロポリスはいつか滅びる。でも、その前に君が壊れてしまうだろう。君が壊れてしまうのが一番怖いから、多少リスクはあろうと連れ出したかったんだ」 そうか。警備員がいなかったのはアノニマスのおかげだったのか。つまり、彼はこの平和な世界を前から知っていたんだ。それでも一人で逃げ出さなかったのは、私のためだったのか。アノニマスはなんという男だ。彼を嫌った私の心を消し去りたいほど、後悔をした。 「セレン、お客さんだよ」 アノニマスの声に振り返ると、獣の少年テルルが立っていた。 「お兄さんたちに見せたい場所があるんだけど……」 最後の方は消え入りそうな声で話した。私は彼にも強く当たっていたかもしれない。 「ありがとう。案内してくれるかい?」 私の言葉に彼は顔を上げた。その朱色の瞳は太陽のように煌めく。へにゃっと笑うと、「うん!」と私の手を握った。笑顔は伝染するものだ。私も笑うと、アノニマスの手を握る。驚くアノニマスをよそに、私たちは走り出した。 着いた先は、なだらかな丘だった。草は夜風に吹かれそよいでいる。 「ほら、仰向けになって空を見上げて!すごく綺麗なんだよ」 テルルに促されるまま、仰向けになる。瞼を開けた瞬間に広がったのは、星、星、星。そして、大きな月だ。 「なんて綺麗な月夜なんだ……!」 私とアノニマスは同じことを呟いた。絵にも描けない美しさとは、まさにこのことだろう。携帯のカメラには映らない、瞳に映る空の宝だ。 「綺麗でしょ?ぼく、月の丘から見る空が大好きで、嫌なことがあったり失敗して落ち込んだ時にはよく来るんだ。ぼくの秘密の場所なんだよ」 「この宝物を、私たちに分けてくれるのかい?」 テルルは頷くと、照れ臭そうに笑った。 「だって、お兄さんたち落ち込んでそうだったから。きっとこの場所ならお兄さんたちを治してくれると思ったんだ」 見ず知らずの私たちに大切な場所を共有してくれたテルルの心が一番綺麗に見えた。澄み渡る空のような純粋な心に、私は涙を零した。 「お兄さん大丈夫?」 「大丈夫だよ。あまりにも綺麗だったから、泣いてしまったんだ」 横を見ると、アノニマスは満面の笑みで空を見上げている。星に手を伸ばし、掴もうとしていた。 「テルル。私のことはセレンと呼んでくれないかな」 「そして、僕はアノニマス。しばらくお世話になると思う」 テルルは私たちの手を取ると、「わかった!セレン、アノニマス、よろしくね!」と尻尾を振った。 ふわふわの彼を見つめ、私たちは声を揃えて言った。 「よろしく、テルル!」
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