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夜が咲く
夜も深くなってきた。私はテルルに誘われて彼の家に泊まることにする。しかし、問題が起きた。ベッドが小さいのである。テルルママやテルルパパでさえ、百八十五センチの私よりも二十センチほど小さいので、当たり前かもしれない。
「あらまあ、セレンくんは大きいからしかたないわね。パパのベッドでも小さいなら、藁ベッドをこさえるかしら」
ママが地下室へ行くらしいので、私もついて行く。地下へ通じる階段は、暗かった。先頭を歩くテルルはランタンを手に持ち、壁にかけてある松明に明かりを灯す。ゆらゆらと揺れる灯火に誘われるように階段を下りた先に、地下室の扉が現れた。扉を開けると、なんだか懐かしい古びた家具と薪や藁が積まれている。奥の方で、何かが輝いた。
「テルルママ、あれは何ですか?」
私が奥を指差すと、ママは首を傾げる。
「ああ、ママ。あれはぼくが拾ったものだよ。広げてはないんだけど、たぶん壁の向こうの世界のものだと思うな」
テルルは奥から、私が指差したものを持ってきた。それは袋に入っていて、金属のような棒が飛び出している。私が引き抜くと、ものの正体が分かった。
「テントの骨組みだ。シートもあるし、簡単に組み立てられそう」
その様子を見ていたテルルとママは頷く。
「じゃあ、そのテントはあげるよ!人間サイズだろうし、好きなところに張るといいよ」
「いただいてもいいんですか?ありがとうございます」
私はママたちに頭を下げる。ママは優しい瞳でこちらを見ると微笑んだ。
「ちょうど地下室の整理をしたかったの。使ってくれる人が現れてテントも喜んでいるはずだわ」
テントを受け取ると、自室で寝ていたはずのパパが降りてきた。
「こんばんは、セレンくん。私が昔使っていた秘密道具をあげよう。男の独り暮らしはいいぞ」
パパは膨らんだ布袋を私に差し出す。中を見ると、金属で作られた小さな鍋やコップ、フライパンなどが入っていた。どれも使い込まれていて、特にフライパンは四角になりそうなくらいに凹んでいる。
「ありがとうございます。助かります」
頭を下げると、テルルが私の袖を掴み、軽く引いた。
「セレン、ぼくからはこれ。ランタンと布団をあげるね。夜は寒いだろうし、暖かくして眠ってね」
私はテルルの頭を撫でると、感謝を伝える。(素敵な家族だなあ)と私は思った。テルルたち家族と、イオンが眠る家におやすみなさいと手を振る。
私は、小川のそば、レモニードの大木の横にテントを張ることにした。簡易式のテントは、広げた骨組みにシートを引っ掛けて被せ、杭を打つだけで完成する。近年のものらしく耐久性に優れていそうだった。テントの天井にランタンを掛けるフックが付いていたので、示されるままに行動した。
布団にくるまり、今日の出来事を振り返る。まさか私が、生きていて良かったと思う日が来ようとは。アノニマスとの再会、テルルたちとの出会い。優しく私たちを受け入れてくれた彼らに、どのようなお返しをすれば良いのだろう。そう考えているうち、テントの外から聞こえるカエルや虫の鳴き声に眠気を覚えた。ランタンの灯りを消し、「おやすみ」と一言。
「アダム、もっと私を頼ってよ」
昔の彼女の声がした。名前はなんだっけか。ああ、そうだ。レイだ。ここは夢の中だ。私の夢は全て真っ暗な世界にただ一人歩いている。私はスーツを着て、彼女の声を背に受け列車の音が聞こえる方に向かって歩いている。ぼうっとしていると、誰かの温もりが左手に触れた。手から腕へ、腕から顔を見る。狐の面をつけた青年が手を引いた。アノニマスだ。
「そう、僕だよ。アノニマス。どうしてこんなに暗い世界にいるんだい?」
分からないよ。私にも分からないし、知りたくもないんだ。気付いたときからずっとこの夢を見ている。
「夢の見方を忘れてしまったんだね。大丈夫だよ。僕が今助けてあげるから。さあ、今日の出来事を思い出すんだ」
彼は私の両手をとり、息を吸った。そうだな、今日はテルルやママ、パパ、イオンに出会った。
「その調子だ、セレン」
そして、アノニマスと再会して、テルルたちに助けてもらったんだ。とても、暖かかったなぁ。私の瞳から涙が溢れて止まらない。あの温もりは、メガロポリスでは死に絶えたものに似ている。そうだ、母の温もりに似ているんだ。
「セレン、涙を拭ってごらん」
アノニマスは私に黄色のハンカチを渡した。受け取り、涙を拭う。
空を見上げた瞬間、夜が咲いた。花開くように、真っ暗な世界に紺色が滲み、色付ける。白く黄色い満月から光が弾け、星々を夜のキャンバスに生み出した。降り注ぐ星の絵の具は線を残し、次の瞬間には消える。
「君の本当の夢は、こんなにも綺麗じゃないか」
アノニマスが笑う。その瞳は太陽のように輝いていた。
私の頭を撫でるように温もりが差す。目を覚ますと、テントの隙間から陽が差していたことに気が付いた。大きく欠伸をした私の左手が、何かを掴んでいる。手繰るように目線を動かすと、アノニマスが寝息を立てていた。知らずのうちに彼がテント内部に侵入していたようだ。叩き起こしても良いだろうか。私の中の良心がよせ、と言う。
意地悪はしないと決めたが、ふとアノニマスの髪に触れてみる。さらさらの茶髪が後ろで跳ねているのがなんだか不思議だ。ふふ、と笑みを漏らすと、寝ている彼も微笑んだ。私たちは……
「おはよう、セレン!あれっ、アノニマスさんもいる」
テルルの元気の良い挨拶にむくりとアノニマスが起き上がる。彼はテルルに近付くとほっぺたを掴み伸ばす。何故だか腹を立てている彼に、私は笑顔になった。
「笑ってないで、助けてよセレン」
テルルはもがもがと声を上げる。ああ、平和だなぁ。
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