第1章 雪村 奏

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第1章 雪村 奏

志望動機は? ――私、学校では暗くて地味で。それで変わりたいなと思ったんです。 特技は? ――歌には自信ないんですけど、ダンスなら少しは。  もう何十人と繰り返された同じようなやり取りに、羽村(はむら)はうつむいて欠伸をかみ殺した。  相手が真剣にやっていることは重々承知しているが、さすがにこれだけ判を押したような回答が続くと聞いている方にとっては結構な苦行だ。 羽村は気を紛らわそうと、手元の資料を漫然と読み流す。 その資料には、今目の前で必死に愛想笑いを浮かべている少女の写真が貼り付けられており、身長や体重、趣味・特技などのプロフィールが記載されている。そして最上部には傍線付きで、「アルカディアプロジェクト 初期メンバーオーディション」と書かれていた。 「×(バツ)でいいですよね」  面談を終えて受験者が部屋を出るとすぐに、その少女の面談シートを持ち上げて、このオーディションを主催している営業部マネジメント課課長の(さかき)が同席者に確認する。 「異議なし」  営業部部長の小垣(おがき)がつまらなそうに口を尖らせながら伸びをする。 「オーラなし。容姿に突出したものなし。あまり人に好かれるタイプでもなさそうだしねぇ」  羽村を含めた残り2名の審査者からも異論がなさそうなのを見て取ると、榊は足元に並べた2つの箱のうち、左側の方にシートを入れた。 「次の人、入ってもらって」  榊の言葉に、入り口付近に立っていた女性、緑川(みどりかわ)が頷いて本日最後の候補者を招きいれる。  彼女が部屋に入ってきた瞬間、小垣はおもむろに足を組んだ。  こういう時の彼の反応には一定の法則性がある。外れだと思うと彼は微動だにしない。当たりなら口角がわずかに上がって手を顎に当てる。足を組むのは『微妙』だ。当たりとは思えないが、何か気になる。だから、この反応を見せたからといって毎回合格にするわけではない。それでも採点の辛い彼の事だから、5、60人に1人程度にしか見せない反応だ。 「どうぞ、おかけください」  榊に促されて、挨拶を終えた彼女が、用意された席に腰を下ろした。 「それでは、改めてお名前と年齢を教えてください」 「雪村奏(ゆきむら かなで)です。15歳です」 「じゃあ中学三年生?」  榊がプロフィール欄に目を通しながら質問する。書いてあることだが、答えやすい質問をしてこの後の流れをスムーズにするいつものやり方だ。 「はい」  緊張の色は隠せていないが、真っ直ぐに視線を向け、はっきりとした声で質問に回答する。 「どうしてこのオーディションに応募しようと思ったの?」 「アイドルになりたいと思って、募集しているところを探していました。募集要項や企画内容が不明瞭なものを除いて、オーディション日が近いものから順番に受けています」 「じゃあうち以外も受験しているってこと?」 「はい」 「うちは何社目?」 「面談をするのはここが初めてです」  正直すぎる。羽村は腕を組むとそっとため息をついた。個人的にはそういう回答も嫌いではないが、少なくともこの業界では、正直さは必ずしも美徳ではない。 「アイドルになりたいと思った理由は?」  それまで間をおかずテンポよく回答していた奏が、答えに詰まった。  羽村はいぶかしげに眉を寄せる。定番の質問だが―― 「憧れたから、です」  悩んだ末のその言葉にも、自分で納得がいかないのか、ひどくもどかしげな表情を浮かべる。 「いいよ。良かったら詳しく話してみて」  羽村はちらりと小垣や榊に視線を向けて確認をとりながら、そう促してみた。 「私、今年の夏までバレー部の部長だったんです」  それでも逡巡していた彼女が、しばらくして発したのはそんな言葉だった。 「うちのバレー部、結構強くて。今年は地区で勝って関東大会に行けることになったんですけど、その大会の直前に私は交通事故で足を怪我してしまいました。幸い足以外の、頭とかは無事だったので日常生活は問題なかったんですが、さすがに大会とかあきらめざるを得なくて」  淡々とした彼女の言葉が、かえって当時のショックを物語っているように感じる。 「私、部長だったから。本当は学校に通えている以上部活には顔を出さないといけなかったんです。でも、すごく辛くて。悔しくて。バレーをうまくなることも、皆をまとめることも、あんなに苦労したのにこれで終わりだなんて、って思ったし、何よりもバレーをできないこと自体が本当に苦しかった。最初は部活にも行っていたけど、皆が頑張っている姿を見ても応援する気持ちになかなかなれなくて、すぐに行けなくなりました。そしてそんな自分がショックで、自分で自分にプレッシャーかけるようになって、段々学校に通うことさえもできなくなって、最終的には家からも出られなくなっていました」  ゆっくりと、かみしめるような言葉には嘘が感じられなかった。 「そんなときに、テレビ番組でアイドルが歌っているのを見たんです。とても不思議でした。彼女たちは、ただ楽しそうに笑いながら歌っているだけのように見えるのに、私はその姿にすごく心揺さぶられたんです。歌が人並みはずれて上手いわけではなかった。歌詞が特別胸に刺さる内容だったわけでもない。ただ確かに何か強烈に私に訴えかけてくるものがあって、私は気づいたら涙を流していたんです」  榊は書類に視線を落としながら、うんうんと微かにうなずいている。多分、感動している。羽村もこの仕事をしている以上、そういう言われ方をすると心に来るものがある。  けれども奏は言葉を懸命に探しながら視線を上に向けているので、それに気づかないまま言葉を続ける。 「そんな風に励まされて――いえ、違う、かな。ううん、やっぱりそう。私は確かに力をもらった。今やるべきことがあるなら、全力でやり切りたい。そう思えるまでになって、ようやく私は学校に行けるようになった。そしてなんとか部活にも出られるようになって、皆に許してもらうことさえできた。私は、彼女たちに救われたんです」 「自分も、そうなりたいと。誰かを救えるようになりたい、と思うようになった?」 「それは――いえ、そうです。それもあります。でも、どうして私は救われたのか、親身になって助けてくれた親や友達の言葉にも応えることができなかったのに、なぜアイドルだったのか。その理由が知りたい、追及していきたいという気持ちもあるんです」  その意味を咀嚼するように、審査員たちの間にしばしの沈黙が下りる。 「ダンスや、歌は得意?」  しばらくしてから、少し矛先を変えるように羽村が問う。 「歌は人並みには。ダンスは――あまり自信がないです」 「じゃああなたの長所はなんですか?」  少し意地悪な流れにしたのを承知の上で、羽村はそう質問した。  一瞬の間の後、奏は視線を宙に浮かせて、言葉を選びながらゆっくりと搾り出すように答えを口にする。 「どん底を知っていること。そこから救われたことがあること。この経験があるから、私はどんなことがあっても前を向いていける」 「いやあ、難しいですね」  面接を終えた榊は開口一番にそう言って大きなため息をついた。 「うちのスタッフとしてなら採用ですよ。中学生があんなにしっかりとした考えを持ってあそこまできちんと話ができるなんて。個人的にはご両親の教育方針を教えてもらいたいくらいです。でもアイドルとしては……しっかりしすぎてるんですよねぇ」 「骨太だったねぇ」  小垣も苦笑いの表情でそう言葉を漏らす。 「自己顕示欲とか、いい意味での軽さ――親しみやすさかな。そういう、いわゆるアイドルっぽさはかけらもありませんでしたね」 先ほどの候補者のときは一言も発さなかった、マネージャーの柳沼(やぎぬま)が半ば呆れ気味に言う。 「アイドルは向いてないんじゃないかな。私なら彼女は女優で育てたいですね」  柳沼はそう言って周りを伺うが、 「いや、あれは妥協しないでしょう。芸能人なら何でもいい、って言うタイプじゃないよ」  榊がそう首を振るのに、羽村も同意する。 「羽村はどう思った?」  小垣が不意にそう話を振る。 「俺は好きですよ。ああいう自分を確立してて頑固なタイプ」 「だろうなぁ」  榊はそう言って笑い、柳沼も苦笑しながら頷く。  小垣はひとしきり思案気な表情を浮かべると、 「なぁ、羽村。お前うちに来て何年目だっけ?」 「え? えーと……5年目ですね」  指折り数えながら答える。そういえば年齢も今年で26歳になる。もうそろそろ若手という表現も場によってはそぐわなくなってきた。 「よし。お前やってみるか、これ」 「雪村のマネージャーをやれってことですか?」  目をしばたかせる羽村に、小垣は悪戯っぽく笑う。 「違うよ。このプロジェクトのプロデュースだよ」  軽く言い切ってみせる小垣に、羽村は思わず絶句する。 「……小垣さん。アルカディアプロジェクトって、うちの事務所でも肝いりのやつですよね。俺できちんと回りますかね」 「はっは。そんなのやってみないと分からん。精々苦しんでみろ」  他人事のように笑う小垣を見て、羽村も力なく笑う。 「いいんじゃないか。たまにはこういう思い切ったことをしないと力がつかないぞ」  榊は榊でもっともらしいことを面白そうに言う。  しかしおそらくその通りなのだ。思っていたよりも時期は早かったが、いずれやりたいと思っていた夢でもある。 「わかりました。じゃあよろしくお願いします」 「おう。このプロジェクトに関わることならいくらか権限を融通してやる。その範囲で思ったとおりにやってみろ。その代わりどんなに忙しくても週2回の定例報告は怠るなよ。で、細かいことは後で引継ぎしてやるから準備しとけ」  なんだかんだ言いつつも、面倒見が良い小垣はいい上司であることは間違いない。その幸運に感謝しながら、羽村は一礼して席を立った。やることはいくらでもある。
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