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第10章 失意
ボイスパートが終わって、アウトロに入ると、カナデの周りにメンバーが順番に近づいてきてそれぞれのポジションにつく。そしてカナデは掌を上に掲げると、そっと何かをつかむように優しく指を折り曲げて、そして胸の前までゆっくりと腕を下ろした。
そうして曲を終えると、拍手が起こった。万雷の、とまではいかないが、少なくとも今日一番の大きさではあった。
お礼を言って、お別れの挨拶をするメンバーを見ながら、羽村はふっと息をついた。
「ま、上々かな。なぁ――って、うおッ!?」
傍らの樋口に顔をむけて、思わず声を上げた。
「はむらざぁん、よかったでずよ゛ねぇ。あのこだぢ、がんばっでまじだよねぇ」
ぼろぼろとこぼれる涙をこらえようとしているのか、思いきり顔をしかめてしわだらけにしていた。
あまりに不細工で正直引いた。というか、諸々込みでドン引きだった。
ついさっきまで割と冷静に見てたじゃん。内心でそう突っ込みながら、
「……ほら」
羽村は半ばあきれ気味にポケットティッシュを渡す。
「あ゛りがどぅございばず」
樋口はそれを受け取って乱暴に鼻をかみ、顔を拭いた。
女らしさなどかけらもないその豪快さに、羽村は苦笑いを浮かべていたが、ふと礼を終えてステージを降りていくメンバーの表情が目に入って、わずかに眉をひそめる。
「すまん、悪いけど片付けを頼む」
え?と怪訝な表情を浮かべた樋口を尻目に、羽村は控室に向かった。
メンバーが戻ってきた控室に、ダン、と大きな音が響いた。
「2曲目のあれ、どういうこと?」
翔子の胸倉をつかみ、そのまま壁に押し当てた理央が詰問する。
抑えようとしてもこらえきれない怒りが、震える声に表れている。
「別にさ、ミスをするなって言ってるわけじゃないよ。細かいミスはあたしだって、他の皆だってしてる。けどさ、あれは違うでしょ」
2曲目でミスが起こったあの振付は、つい先日全体の流れを確認した時、最後の最後に変更した部分だった。だからこそ、ここは絶対に間違えないようにしよう、と皆で言っていた。
「百歩譲って、緊張で頭が真っ白だった、とかならまだいいよ。それだって怒りはするけど、こんなに許せない気持ちにはならない。でも違うよね? あんたはちらちら観客席見ながら、立ち去っていく人たちを見てた。そりゃあミスも出るよ。自分がやるべきことに集中してなかったんだからさ! これって技術の問題じゃないよね? 完全に意識の問題じゃん!」
興奮で声のトーンが上がっていく理央に、悠理がおろおろとした表情を浮かべながら救いを求めるように奏に視線を向ける。
けれども、奏はじっと二人を見つめるだけで、動こうとはしていなかった。
その様子を見て、沙紀と玲佳も口を挟もうとするのを止める。おそらく、奏は理央が発する言葉は自分たちに必要なことだと判断したのだ。そしてきっと、その上で止め所を探っている。
「……ごめん」
顔をうつ向かせ、頭一つ身長の低い理央にされるがままだった翔子が、ぼそりと言葉を発した。
「謝る相手はあたしじゃないでしょ! 残ってあたしたちのライブを見てくれてたファンの人たち全員だろ!」
真っ青だった翔子の顔色がさらに悪くなり、噛みしめた唇に血がにじむ。
「謝れ!! 今からライブ見てくれた人全員追いかけて謝って来い!」
理央も目に涙をにじませながら叫ぶ。
そこで口を開こうとした奏を押しとどめて、
「豊口。そこまでにしておけ」
最終的にその言葉を発したのは羽村だった。
興奮して羽村が入ってきたことに気づいていなかったのか、理央が驚いた表情を浮かべる。
「王生、謝る必要はないぞ。ステージの上での失敗は、ステージの上でしか返せないからだ。だけど今日来てくれた人が次にいつ来てくれるかは分からない。だから今後ステージに立つときは、その人たちがいるかもしれないと思いながらやって欲しい。どんな小さな、どんな短いものでも、毎回だ。もちろん、中にはもう二度と来てくれない人だっているだろう。失敗は取り返せないこともあるんだっていうことも、認識しておいて欲しい」
とどめの様に、思いの外厳しい言葉を並べられながらも、
「はい」
翔子ははっきりと声に出して答えた。
「よし、じゃあこの話はここまでだ。皆、帰りは送るから着替えてくれ」
そう言って、羽村は出ていこうとするが、ふと思いついたように、
「あぁ、豊口、ちょっといいか?」
そう声をかけて部屋から連れ出した。
「何?」
控室から出ると、理央は羽村に意図を問う。
「いや。熱くなってたみたいだから、少し頭冷やした方がいいかと思ってな」
からかうような表情を羽村が向けると、理央は少しむっとした表情を浮かべながらも自らを落ち着けるようにため息をついた。
「それにしてもお前は王生と合わないなぁ」
振付のことやファンサービスの方法について良く議論しあっていた二人の姿を思い浮かべながら、冗談半分、本気半分でそんなことを言うと、
「そうでもないけど」
理央は意外にもそう答える。
「いつものは、今日のとは違うよ。翔子は考え方がアーティスト寄りだから。振付も表現とか世界観とか、作品としての完成度を追求する。でもあたしはアイドルってお客さんあってのものだと思うからさ、完成度を崩してでもお客さんの視線を意識した演出をしないと、って思う。それはお互いに分かってて、あたしたちがいつもやってるのはその落としどころの探り合いだよ」
「へぇ、結構熱くなっていたように見えたけど、実は冷静なやりとりだったんだな」
羽村が感心したような視線を理央に向けるが、理央はそっとかぶりを振る。
「実際には意見がぶつかると、やっぱり熱くはなるよ。でも相手の考え方とか価値観をわかろうとはしていたつもり。でも、」
理央は苦笑を浮かべる。
「今日はダメだったな。カッとなって一方的に言い過ぎた」
そう言ってトン、と背中を壁にあずけると、ずるずると座り込んだ。
そして立てた両ひざに顔をうずめる。
「……もう、解散はイヤだよ」
その声はわずかに震えている。だから、
「大丈夫だよ」
羽村は安心させるように理央の頭にポンと手を置いた。
「さ、落ち着いたんなら戻るか。風邪ひかないようにさっさと着替えよう」
消沈した様子を見せながらも、うん、とうなずいた理央は立ち上がった。
少し気まずげに理央が控室に戻ると、最初に目が合った玲佳が、にっこりと笑顔を浮かべた。それに勇気づけられて、理央は着替え途中だった翔子に声をかける。
「ごめん。さっきのは、言い過ぎた」
それが意外だったのか、翔子は虚を突かれたような表情を浮かべて、そして小さく頭を横に振る。
「うぅん、あなたが言っていたことは正しいから。ちゃんと伝わってる。私の過ちもその償い方も、理解してる。……私、頑張るから」
そう言って、翔子は微笑んでみせる。けれどそれは硬さの残るもので、彼女が負った傷の生々しさを伺わせるものだった。
わずかに苦みを感じながら理央は頷いて、着替えを始める。
そんな彼女の頭に沙紀が手を置いて、くしゃくしゃと撫でた。
面倒くさそうな視線を沙紀に送りながら、理央はぐっと泣きそうになるのを堪えた。
そして恐る恐る後ろを窺うと、奏がそっと慰めるように翔子の手を握っていた。それを見て理央は内心ほっと安堵する。
着替えを終えると、イベントの担当者にお礼の挨拶をして事務所の車に乗り込んだ。
8人乗りのワゴン車はマネージャー2人とメンバー6人で定員ちょうど。
運転席、助手席の後ろの列の座席に右から理央、沙紀、玲佳。その後列に右から悠理、奏、翔子の順で座った。けれども会話はほとんどなく、重苦しい雰囲気が漂う。
「あのな、反省は必要だけど、そんなに暗くなるほどか? 俺が予想していたよりもずっといいライブだったぞ」
たまりかねたように運転席の羽村が後ろを向いて言うと、隣の助手席に座っていた樋口も後ろに向かってこくこくとうなずく。
「本当に?」
理央が皮肉気に笑う。
「じゃあ何点くらい?」
「そうだな、……30点くらいか?」
直前の彼の発言とは裏腹に、辛い採点に理央たちは鼻白んだ表情を浮かべる。
「それって、採点基準は? 80点以上が一流歌手とか、そういう感じ?」
沙紀がフォローのつもりかそんな質問をするが、
「いや、君たちが現時点でのポテンシャルを100%発揮した場合を100点とした採点だな」
完全に逆効果に終わる。
理央はフン、と鼻を鳴らして顔を窓に向ける。その目には涙が滲んでいた。
翔子は両手でぎゅっと自分の膝をつかみ、肩をすぼめる。顔をうつ向かせて表情を隠していたが、こらえきれなかった嗚咽がかすかに漏れる。
思いきり非難がましい目を樋口から向けられた羽村が慌てたように、
「20点くらいだと思ってたんだからな? 褒めてるんだって」
そう弁明するが、
「褒めてないから」
思わず樋口がタメ口で反駁する。
「だから、ポテンシャルをすごく高く見てるっていう意味でもあるし……」
なおも言いつのろうとする羽村だったが、翔子を慰めるように背中に手を置いた奏や、困ったように顔を見合わせる沙紀や玲佳の表情を見て尻すぼみになる。
まぁ、いいか。この状況も別に悪いことでもない。そう思い直して、羽村は車のエンジンをかける。
「ここから家が近い順に送るからな。桐谷、豊口、四条、橋本、王生、雪村の順だ。それでいいよな?」
再度後ろを振り向いて確認を取る羽村に、
「あ、私玲佳ちゃんと一緒に降ろして欲しいな。一番近い駅のあたりで」
沙紀が注文を付ける。それに対して羽村は、あぁ、そうだな、と何か思い出したように頷いた。
カーナビに順番に目的地を登録すると、羽村は車を発進させた。しばらく低速で細い道をうろうろして、不審な車がついてきていないことを確認してから、大通りに出て高速に乗った。今の時点ではまずないだろうが、追跡されることを防ぐための、念のための対策だ。
高速に乗ってしばらくすると、羽村の背後から数人分の寝息が聞こえてくる。無理もない。初めてのライブで心身ともに疲労困憊のはずだ。
隣で大口を開けて爆睡する樋口には閉口するが、ライブの準備をしっかりやってくれたのは事実なのでまぁ良しとする。
ちらりとバックミラーに視線を送ると、それぞれの寝顔が目に入ってきた。理央は目をつぶりながら眉間にしわを寄せ、翔子は目を少し腫らして奏の肩に頭をもたれかからせていた。
そんな姿を目にして初めて、少しやり過ぎただろうか、という思いが羽村の中に生じていた。
先ほど本人たちにも言った通り、彼女たちのパフォーマンスは十分に評価できるものだった。採点が30点というのは嘘ではないが、それは彼女たちが30点しか取れなかったということではない。羽村が、彼女たちに30点しか取らせなかったのだ。もしも高得点を取らせることが目的であれば、もっと時間をかけて準備して、入念な計画をたてていた。
しかし、羽村にはそれとは違う目的があった。
パァン、と乾いた音が突然車内に響いた。
羽村が後ろに視線を向けると、奏が自ら手を思いきり膝に叩きつけていた。そして深くため息を吐きながら上を向いて、唇を噛んだ。メンバーの前では見せなかった、心の底から悔しそうな表情。
そんな彼女とミラー越しに目が合う。
ぞくりとした。歓喜でだ。羽村が望んだものが、そこにあった。
「羽村さん」
周囲の眠りを妨げないように抑えてはいるが、それでも確かな熱を感じさせる声で奏が問いかける。
「次のライブは、いつですか?」
彼女が向ける瞳には、はっきりと成功への飢えが表れていた。
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