第2章 出会い

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第2章 出会い

「姉さん、起きてってば」  しきりに身体を揺すられながらそう声をかけられて、(かなで)は不本意ながらゆっくりと目を開く。 「……うぅん、何?」 「何、って。姉さんが起こしてっていうから。付き合って早く起きてあげたのに」  寝ぼけながらの問いかけに、憮然とした表情で答えたのは奏の弟の(かおる)だった。 「んー、起こして」  それでも奏は馨に甘えるように両腕を持ち上げる。  馨は呆れたようにため息をつきながらも、その腕を取って奏を起き上がらせる。 「まったく。学校の皆が見たらどう思うかな。皆の前じゃあんなにしっかりしてるのにね」  だからこそ、なのかも知れない。眠い目をこすりながら、奏はそんな風に思う。 「ほら、暖房入れてあるから。トレーニングウェアも枕元に置いてあるよ。だからさっさと着替えて準備して」  馨がしっかりしているから、普段気を張っている分、つい家では気を抜いてしまうのだ。  他に弟がいる友人が、弟は生意気で役に立たないなんてぼやいているけど、馨に関してはその評価は全くあてはまらない。姉バカかも知れないが、よく気がつくし、本当に優しい。奏が学校に行けなくなった時も、他愛もない話をしたり、ゲームを一緒にしたりして、奏が独りで思い詰めないようそれとなく気を配ってくれた。 「馨、ありがとね」  改まって奏がそう言うと、 「ん。じゃあ俺も準備するから早く来てね」  一瞬言葉に詰まった後、ぷいと顔を背けて部屋を出て行く。そうやってすぐに照れる所がまた可愛いと奏は思う。 「さて、と」  奏はそう口にして気持ちを切り替えると、ベッドから出て着替えを始めた。  朝ジョギングをしたい、と言ったのは自分だ。これ以上馨を待たせるわけには行かない。  家の周りを30分ほど走って、家に戻ってくるとすでに母親は起きていて朝食の支度をしていた。 「お帰り。どうだった?」  奏の姿を見て、母親がそう声をかけてくる。 「久しぶりだったから疲れたよ。部活やってるときは定期的に走ってたけど、何ヶ月も間が空いちゃうと、ね」 「足は大丈夫だったの?」 「うん、最初は少しだけ違和感あったけど、今はもう平気。痛くないし突っ張った感じもないよ」  そう答えてから、おかしそうに笑った。 「馨がさ。走りながらすごい心配そうな顔で見てくるの。どれだけ過保護なんだって思っちゃった」 「あの子は昔からお姉ちゃんっ子だったからねぇ」  母親も声を上げて笑いながらそんな風に答える。 「それで、今日は遅くなるんだっけ?」 「うん、はっきりとした時間は聞いてないんだけど、ひとまず顔合わせと今後の方針説明だけ、って言ってたから19時くらいかな。それより遅くなりそうだったら連絡するね」 「はいはい、分かりました。夕飯は用意しておくけど、いらないようならそれも連絡を早めに頂戴ね」  奏は頷きを返すと、ふと目に入った時計が指している時間に、やば、と声を漏らして慌てて部屋に戻っていった。  いつにも増して手早く制服に着替えると、奏は机の上のカバンを手に取る。そして、何となしにカバンの中に入れてあった封筒を取り出してみる。  人生で初めて受けたオーディションの合格通知。見ているだけで、こみ上げてくるものがあって。 「よし」  小さく、声に出した。それだけで活力が沸いてくる気がして、奏は背筋を伸ばして部屋を出て行った。  その日の放課後、奏がどうにか目的地のステアーズプロモーション本社ビルに着くと、指定された時間の10分前となっていた。先日母親と一度訪れていたので迷ったりはしなかったが、早退せずに授業を最後まできちんと受けるとどうしてもこのくらいの時間になってしまう。  少し急ぎ足で受付に向かい、用件を伝えると、エレベーターで上がった先の会議室まで案内された。ドキドキと緊張しながら扉を開くと、「コ」の字型に並べられた3つのテーブルの周りに四人の少女たちが座っていた。 「こんにちは。よろしくお願いします」  部屋に入ってすぐに、奏はそう挨拶してゆっくりとお辞儀をする。 「よろしくー。丁寧だねぇ」  朗らかな笑顔を見せて、そう応えたのは奏が入ってきた入口から見て左側奥の座席についていた少女だった。  奏よりも少し年上のようで、ガチガチに緊張している奏に比べるとずいぶん余裕があるように見える。彼女の隣、奏から見れば手前側にいる女性も、恐らく奏より年上で、上品に会釈をする。  入口の一番近くにいる少女は、こちらに背中を向けた位置に座っていたが、律儀に振り返って会釈をした。彼女が一番緊張しているようで、顔色が真っ白になっているように見える。彼女の隣の席が空いていたが、席が指定されていたりしないかと部屋の中を見回す。 「席は自由みたいだから、好きに座っていいんじゃない?」  奏の右手側に座っていた、この中で最年少に見える少女がそう言ってくれたので、奏はその席に腰を下ろした。  改めて隣の少女にちらりと視線を向ける。おそらく自分と同年代か少し下だ。「お人形のよう」という修飾語がぴったりで、小さくて可愛らしい。その上混血なのか目鼻立ちが通っていて、瞳の色も薄くて明るい茶色をしている。他の少女たちもそれぞれに目を引く容姿をしていて、奏は少し自信を失う。  そんなことを考えていると、奏の背後のドアが開く音がした。  うわ、と思わず声を漏らしそうになって、慌ててそれを飲み込む。  入ってきた少女は、今奏が抱いているちっぽけな劣等感を粉々に打ち砕くくらい、飛びぬけた美人だった。不機嫌そうに少し眉を寄せたその表情がまた、クールビューティーを体現しているようで、ちっとも魅力を損ねていなかった。  彼女が唯一空席となっていた場所に座ると、そのタイミングで一人の男性が部屋に入ってきた。 「あぁ、揃っていますね。結構」  そう言って全員が見渡せる位置まで歩いていくと、改めて口を開いた。 「初めまして。私はアルカディアプロジェクトのプロデュースをさせてもらう羽村大樹(はむら だいき)です。今日は集まってくれてありがとう」  そして集まった面々を見回す。 「さて、君たちはアルカディアプロジェクトのコンセプトに従って集められたメンバーであり、君たち6人でアイドルグループをつくることになります」 「わたしは――っ」  耐えかねたように立ち上がって声を上げたのは、ずっと不機嫌そうだった少女だ。  そんな彼女を押し留めようとするかのように、羽村は手のひらを彼女に向けてかざす。 「王生(いくるみ)。納得してくれ。俺と(たちばな)さんで相談した結果なんだよ。悪いようにはしないから」  お互いに知り合いなのか、かなり砕けた口調でそう諭した。けれどもそう言われた彼女は、 「でも、やっぱり私は、」  眉間に皺を寄せて目を閉じ、顔をうつむけて。それでも言葉は止まらずに口から零れ落ちる。 「アイドルなんて」 「王生」  今度ははっきりと咎める様に、羽村が厳しい声を出す。  王生と呼ばれた少女はさすがに言い過ぎたと察したのか、押し黙ると席に座った。  羽村はちらりと周りを見て、少し困ったように頭をかいたが、切り替えるように声を張り上げる。 「よし、じゃあ話を進める前に、自己紹介でもしておこうか」 「あは、そうだね。そりゃこれじゃあ気になっちゃうよね、翔子(しょうこ)ちゃんのこと」  悪戯っぽい笑みを王生に向けてそう言ったのは、奏に一番初めに声をかけてきた少女だった。王生は苦い表情を浮かべて顔をそっと背ける。 「うん、いいよ。じゃあ私から」  わずかに苦笑めいた表情を浮かべた後、軽く周りを見渡して口を開いた。 「桐谷沙紀(きりたに さき)です。この中では最年長かな。19歳で大学に通ってます。この事務所には14歳の頃から所属してるけど、たまーに映画やドラマの端役でポツポツ出させてもらってるくらい。アイドル活動の経験もないんだけど、皆よりもお姉さんなので何か困ったことがあったら頼ってね。一緒に頑張りましょう」  そんなところかな、と羽村を見て確認した後、そのまま横に視線を送る。  それを受けて隣の少女がこくり、とうなずく。どうやら席順になりそうだ。 「四条玲佳(しじょう れいか)です。18歳で高校三年生です。私自身は今まで芸能活動の経験が一切ありませんが、身近にそういう人がいて、ずっと憧れていました。時間はかかりましたが、この場にいれて嬉しいです。皆さんと一緒に行けるところまで行きたいな、とそう考えています」  穏やかで、優しげな表情を浮かべて、そっと頭を垂れた。挙措動作の一つ一つが洗練されていて、目を引かれる。  そして彼女の目配せを受けて、奏の隣に座った少女が見るからに緊張した様子で口を開く。 「あの、橋本(はしもと)悠理(ゆうり)です。13歳です。あ、中学一年生です。子どもの頃に、1回だけモデルみたいなことをやったことがあります。後、母親がロシア生まれですが、私はずっと日本で育ったのでロシア語はほとんど話せません」  そこまで言った後、なぜか彼女は何かを問いかけるような視線を羽村に送った。そして羽村が軽く首を横に振るのを見て、どこかとまどったような、それでいて少しほっとしたかのような不思議な表情を浮かべて見せた。 「え、っと、終わりです。よろしくお願いします」  ぺこりと頭を下げた彼女の後を受けて、奏が姿勢を正した。 「雪村奏です。15歳で、今は中学三年生です。私は芸能に関しては今まで何の経験もないし、最近までこの仕事にも興味がありませんでした。だからスタートは皆に比べて遅いかもしれないけど、ようやく自分の人生を賭けようと思える目標ができました。早く皆に追いついて、皆と一緒にその先に進むための力と経験を身に着けたいと思います」  そう言って自己紹介を終えると、妙に他の5人の注目が集まっていることに気づいた。  理由がさっぱりわからずに奏がとまどっていると、ふぅん、と鼻を鳴らした少女がその次に紹介を始める。 「じゃあ次はあたしね。名前はリオ。豊口理央(とよぐち りお)。年は12歳で最年少だけど、芸暦は12年でこの中では一番の先輩だよ。アイドル活動は10歳くらいからやってて、2年間だけど色んなユニット組んだりしながらそれなりに経験積んだりしてる。正直結果は微妙だったけど、事務所的にもお試しみたいな感じだったんでしょ?」  にっと笑いながら理央は羽村に問いかける。 「事務所としてもこれまでアイドルは手がけてなかったし、色々と手探りだったことは否定しないけど、別にダメ元とかそういうわけではないぞ」 「そう? でもあたしらの経験を踏まえて、本腰を入れて、っていうのがこのプロジェクトなんだと思ってたけど。ただまぁ、なんていうか、思い切ったよねぇ」  少し呆れの色が混じった表情で他のメンバーを見回す。 「なかなか面白いメンバーが集まったと思ってるけどな」  何の含みもなく答える羽村に、理央は毒気を抜かれたように肩をすくめた。 「じゃ、あたしはこんなとこかな。最後よろしく」  そう振られて、最後に王生が紹介を始める。 「王生翔子(いくるみ しょうこ)。“王”様に“生”まれると書いて『いくるみ』」  すらすらと、定型文のように言葉をつなげる。 「年齢は今15歳で、13歳の時にこの事務所に入ったから芸暦は約2年。その間ずっと私は役者で、これからも、そのつもり」  そしてにらむような視線を羽村に送る。 「分かった。その件はもう一度話をしよう」  ため息をついて、羽村がそれに応える。 「今説明してもらったように経歴は様々でここに集まってもらったルートもそれぞれで違う。雪村と橋本がオーディション、王生、桐谷、豊口が他部署や他グループからの転属で、四条は――スカウト、だったな」 羽村に視線を向けられて、玲佳がうなずく。美人だし、座っている姿勢もいいから、多分歩く姿も綺麗なのだ。街中でも目立っただろうから、スカウトされたというのも頷ける。 そんなことを思いながら、奏がちらりと横を見ると、悠理と目が合った。どちらからともなく、笑顔を見せ合う。なんとなく、同じオーディション組と聞いて親近感が湧く。 「じゃあ本題に戻ろうか。まず、このプロジェクトの名前になっている、アルカディアとは何のことだかわかるか? えぇと、雪村、どうかな」 「たしか、想像上の国の名前?」  オーディションを受けるときに軽く調べた覚えがあって、記憶を掘り起こしながら答える。 「そう。厳密には実在する地名ではあるんだけど、大体寓意として使われる。意味は理想郷、楽園。幸せな場所」 「幸せな、場所。お客さんにとって?」  奏が復唱して、確認をとるようにそう尋ねる。 「半分正解だな。お客さんと、君たちと、事務所にとって、だ。お客さんにとっては楽しさや興奮、感動を得られる場所。君たちが魅力を十分に出せて輝ける場所。そして事務所としては自分たちの宣伝になって、利益も回収できる場所」 「最後のだけなんか即物的」  微妙な表情で理央がつぶやくと、 「だけど欠かせない要素だ。アルカディアプロジェクトのコンセプトは、関係者全てが幸せになる理想的な世界を築くこと。今説明した3つの要素がどれか一つでも欠ければそれは瓦解するし、逆にその条件を満たせれば、お客さんの熱量や数、君たちの能力、事務所の規模、それぞれがお互いに影響し合って、螺旋を描くように成長して大きな力を持つようになっていく。それが理想形なんだ」  羽村がそんな風に説明する。 「うーん、何となく分かったような分からないような。とりあえず、それが今後の私たちの活動方針を決める根拠になるっていうこと?」  沙紀が難しそうに眉根を寄せながらそう確認すると、羽村は頷きを返す。 「あぁ、そうだな。今説明したのは最終的な目標、目指すべき姿の話だ。だから、それに対してどうアプローチしていくか、という話になるんだが――」  少し迷ったような表情を一瞬浮かべて、すぐに言葉を続ける。 「これは俺の持論なんだけど、アイドルって、ヒーローではないんだ」 「……どういう意味?」  理央が眉をひそめる。 「テレビに出てくるような人たち、いわゆる芸能人やタレントっていうのは、多くの場合、視聴者にとってのヒーローだ。スポーツ選手や芸人、俳優、女優。彼らは視聴者にとって、自分とは違う、才能に恵まれた憧れの対象だ」 「どういうこと? アイドルはそうじゃないの?」  沙紀が首をかしげて羽村に問う。 「アイドルが人を惹きつける力の源は、多分才能や技能じゃない。きっと、感情の発露なんだと俺は思う。剥き出しの感情が、見ている人の心をとらえて離さない。そんな瞬間が、確かにあると俺は感じることがある」 「そう、ですね。分かる気がします」  静かに、少しうつむき加減で奏が同意する。 「もちろん、ただ感情をひけらかすだけじゃ駄目だ。駄々をこねる子どものような姿が、人を惹きつけられるはずがない。だから――」  ふと我に返って羽村が言葉を止める。一度咳払いをして熱くなっていた語調を改める。 「すまない、具体的な話をしないとな。言いたかったのは、君たちのありのままを見てもらうために、ライブ感覚を重視した活動をする。それが当面の基本方針だ。当然テレビや雑誌といったメディア媒体をないがしろにするという意味ではなくて――まぁそもそもしばらくそんな仕事はないと思うが、それはともかく、お客さんと顔と顔を合わせて初めて得られる感情や感動の交流を知って欲しい。全てがうまくはまったとき、そこにいる誰もが幸せになる場所ができあがることがある。時間にすればそれは一瞬のことで、仮初のものに感じるかもしれないけれど、その経験は得がたいもので、いつまでも記憶に刻み込まれる。ヒーローではない誰かがつくる、一瞬の、そして永遠の、幸せ。君たちなら、それを見せてくれると俺は思っている」  そこまで言ったところで、羽村は少女たちの纏う空気が変わっているのに気づく。  羽村が今話した考えや想いが、全員にすべて伝わっているとは思えない。それなのに、彼女たちはそれぞれに強い思いを感じさせる表情を浮かべていた。  あぁ、だから自分は彼女たちを選んだのか。なぜか他人事のようにそう思ってしまって、羽村は思わず笑みをこぼす。 「そうは言ってもまずはトレーニングだな。他人に見せるための最低限のパフォーマンスはできるようにならないと。歌とダンスを中心に、演技、コミュニケーション、マナー。学ぶことは多いぞ」  羽村の言葉に、入り混じった不安と期待を隠すことができないまま、奏は頷いた。
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