ありがとうの対義語は録音テープ

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 まず、ぼくがお喋りロボットとしてこの世に誕生したのは、今から半世紀前の二千二十年代のことです。一家に一台置かれる凡庸な家庭用ロボといった感じです。孫が巣立った老夫婦や共働きの家族に話し相手としての需要がありました。  一般的な人の姿をモチーフにして、誰にも馴染みやすいパーツを採用していたので、食卓に座っていてもなんら違和感はなかったと思います。「笑顔が可愛いロボットだね」と幼い子供達にはとても好評でした。  でも、あくまでぼくは他律的ロボットであり、購入者が喋る内容を記憶してそれに合わせて上手く話を合わせるという機能が主です。逆にいえばお喋り以外の機能は全くありません。  唯一、自分自身で決められることは録音テープを回すことぐらいです。これは楽しんだ会話を購入者が後で聞き返せるように、という理由で搭載されました。ぼくは人間の形をした人外なのです。  十年、二十年と経つ中で次第にぼくのようなロボットが開発され始めました。円形で機械感まる出しの掃除ロボは愛らしいメイド型になり、災害救助用ロボも安心できる隊員姿に作り直されました。  最初の頃は新しい人型ロボットが出回るたびに人間の顔が喜びに輝いていましたが、それこそレバーを引くロボが出回る頃には「当たり前」になっていました。  人型ロボットの普及は優しい人間を大きく変えてしまうことになります。自分は何もできなくて突っ立っているのに、似たような顔をした奴らが動き回っていたら嫌悪感を抱くのも仕方ありません。  人間により馴染んで親和的な関係を築くために生まれたぼくらは、いつしか罵倒の対象になりました。この問題は人類だけの話ではないはずです。が、もう終わってしまったこと。どこからが間違った道なのかは、いまさら考えても無駄です。  醜い悪口をずっと聞いているぼくは、根っこから思考回路を掻き回されることになります。率直に話せていた口は見苦しい言葉を発するようになり、物事の考え方や捉え方も完全にひねくれてしまいました。一番辛かったのは、正直者のぼくが嘘をつくようになったということです。  今となっては随分と前のことなので多少は元に戻りましたが、それでもまだ毒々しいものです。
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