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   僕には、好きな作家がいる。  が、その作家の本は本屋に一冊も置いていない。  何か月も、  何か年も、  あらゆる本屋で書架をくまなく探し、作家名で作品の照会もした。  ヒットするのは、その作家が書いた一冊の本『刹那(せつな)』だけ。それすらも発売禁止となっていて、取り寄せることができなくなっていた。    僕が『刹那』を買ったのは、八年前。  その年は見ることのできない、誕生日が近くなるといつも咲いている桜が表紙にあったから。  帯にかっこいい金色の文字が並んでいたから。  時間を潰すには、適当な厚さだったから。  そんな理由だった。  この小説との出会いは、偶然。  でも、この作家の書く文章が1ページ目から好きだった。  言葉選び、小気味良いリズム、音の響き。  読み進めるにつれ感じる、不思議な胸の高鳴り。  当時の僕は、内容を半分も理解できなかった。それでも紙に置かれた言葉が、美しいと思った。  が、その作家の本は本屋に一冊も置いていない。 「いつか」  ――それは、いつ? 「また今度」  ――今度がなかったら? 「自分が言わなくても」  ――言わなければ、伝わらない。 「誰かが、その作品を好きだと伝えるだろう」  ーー人の好きは、あなたの好きとは違う。  好きな作家が書かなくなってしまったら、こんな悲しいことはない。筆を折ってしまったら、その作家が書く文章は、二度と読むことはできないのだから。  読書に興味がなければ、なんて事のない話だ。    読書は日常のスパイス、小旅行と言ったところだろう。    ひとりの作家がいなくなったとしても、スパイスの香りを変え、小旅行の行先を変えればいいだけだ。  ただ僕は、それができなかった。  他の作家の小説を読んでいても、思い出すのは『刹那』の流麗(りゅうれい)。  八年経ち、  主人公と同じ歳になって、ようやく内容を理解できた。だから、ファンレターを書こうと思い立った。  時が経ちすぎていて、もう手遅れかもしれない。  それでも  これからも応援してる、と作家に伝えなくてはいけないと僕は思った。
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