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「電話、今までの番号にかけないでって言ってたけど新しい番号は」
「友達のスマホ、使えなくしちまってさ。俺、スマホ使わないからしばらくの間、貸してるんだ。だから今は何も持ってない」
「なんだ、ややこしいな」
「スンマセン」
佐野にだけ、自分のスマホは薫が持ってると伝えた。
置き手紙とともに、アオのスマホを薫の部屋へ置いてきた。その代わり、薫のスマホはアオの手元にある。水分を抜くために密封袋に乾燥剤をたくさん入れて、今日のお守りがわりにバッグへ入れてきた。
「先代の葬儀は無事、終わったのか?」
「終ったよ。親戚からも会社からも社葬にするべきだって言われたのに、社長が頑として聞き入れなくてね。結局、こじんまりとした葬儀だった。あれ以来、なんだか社長の機嫌がずっと悪くてな」
「その怪我、社長にやられたわけじゃないよな」
「はは。そんなわけないだろう」
明らかに清治はうろたえていた。清治は六十も半ば。それくらいの年齢の人間が、そんな表情をそうそう浮かべるものではない。
「今日、何の話があるのか知らんが、気を付けろよ。このあいだだって……」
「もともと節操がないから、こないだのことは別にいいんだ。それより、その怪我どうした」
何度も問い詰めると、ようやく清治が口を割った。
「渋滞にはまっちまってな」
「それだけで?」
「ああ。車を降ろされてガツっと一発。それくらい、社長はずっと機嫌が悪い」
「そっか……。しかし、社長も暴力に訴える年でもないだろうに」
「いやいや。あの人はずっとそうだよ。先代が社長を退いたときに、一緒に辞めればよかったんだ。わしも耄碌したもんだ」
清治は笑っていたが、ふつふつとアオの中で怒りがこみ上げてくる。冷静さを失ったら負けだと自分へ言い聞かせながら、車内の空気を入れ換えようと窓を開けた。
信号待ちで、白いパラソルを持った女性が横断歩道を歩いていた。海へ早く行きたい、昨日のことを薫に早く謝りたい、そんな気持ちをアオは抱えていた。
清治に社長の好みを聞いてから、三森出版近くのコーヒーショップに立ち寄った。アイスコーヒーを二つ買い、一つは自分用にブラッドオレンジのシロップを追加した。そして車は、三森出版の社屋にある地下駐車場へと入っていく。
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